第5話 マリスと伯爵
マリスは、長い机の端に座り、反対側の端に座ってマナー良く食事をする伯爵を見ていた。
マリスの前には、こんがりと焼かれた肉と野菜、色とりどりの果物と甘そうなデザートが所狭しと並べられている。
手にしたフォークで突き刺した丸いポテトフライを弄びながら口に入れ、不服そうに「不毛だね」とマリスは言った。
目線だけチラッとマリスに向けた伯爵は、食事の手を止めずに聞き返した。
「何がだ。」
広い食堂に、食器とカトラリーの擦れる音が小さく聞こえる中、二人のいつものやり取りが始まった。
「僕たち二人にとって、この食事という行為は何の意味も持たない。」
「その通り。私は血を飲んで生きるヴァンパイアであり、君は何も食べなくても死なない
「だったらなぜこの行為を毎日、昼と夜に行うのだ?」
「朝食が無いのは、私が朝は起きなくて昼に起きてくるからだよ。」
「そうじゃない。そもそも、この行為自体が、この人間のような食事をしている時間自体が、不毛だと言っているんだ。」
不機嫌なマリスを気に止めることもなく、扉の脇で控えていた老婦人が、伯爵のグラスにワインを継ぎ足した。
「ありがとう、ソフィア。」
伯爵は人間の真似事をするのが趣味だった。
単純に人間という知的生物を愛でており、その文化を愉しんでいた。
人間と共存していくために、人間のように生活をするのは、伯爵にとって当然と思えることだった。
ゆえに、城の使用人たちでさえ、伯爵の正体を知る者は少ない。
***
伯爵と出会った頃のマリスは、全ての感情を忘れたかのような、空虚な目をしていた。
元々口数の少なかったマリスは、伯爵の生活に合わせるよう日常の多くのことを指示されてても文句も言わずに従った。
ただ一つ、自分の部屋は街を見渡せる塔に、とだけ望んだ。
伯爵はその少女の血を、よりクオリティの高い美食とするために、マリスに身だしなみとテーブルマナーを教え、文字を教え、最低限の知識と教養を与えた。
最初の頃は、味覚も忘れていたマリスだったが、最近は甘い味に興味を示し始め、
特に、老婦人・ソフィアの作ったプディングはマリスのお気に入りとなっていた。
今も、不満そうな顔のマリスだが、プディングの皿だけは空になっているのを見て、伯爵は満足そうに笑みを浮かべた。
不満そうな顔も、マリスが思い出した”感情”の一部だ。
「トマトも食べなさい。」
自分の食事を終え、口元をナプキンで拭きながら伯爵が言った。
「ドラキュラはトマト好きらしいが、伯爵はトマトが好きなのか?」
「別に好きではない。」
「トマトの味は血の味か?」
「そんなわけないのは、お前も知っているだろう。」
「じゃぁ、僕の血の味は?」
「…」
伯爵は少し困った顔をした。
伯爵はマリスの血の味を思い出し、人間の食事を終えた直後にもかかわらず、急に空腹を感じた自分を誤魔化した。
人間の食事をする際に伯爵がマリスと離れた席で食べているのは、マリスの血の匂いに気を取られないためでもあった。
「この上ない美味だ。
そうだな…しいて言えば…、熟れた無花果(いちじく)、に近いだろうか。」
今度はマリスが少し困った顔をする番だった。
マリスは、無花果の甘い香りは好きだったが、甘さの中に少し感じられる土臭さが好きになれなかった。
「私の血は、微妙な味なんだな。」
「最高の味だ。」
「酸っぱくはなく、甘みがある、ということか。」
「至高の味だよ。」
そう言って席を立った伯爵は、マリスを振り返って言った。
「今夜は舞踏会へ出かける。その後で食事をして帰るから、お前は外へ出るなよ。雨でマントを濡らしたくない。」
ここで言う”食事”は、本来のヴァンパイアにとっての食事のことだった。
マリスは返事の代わりに、トマトを口の中に放り込んだ。
そんなマリスを横目で見ながら、伯爵は部屋を出ていった。
マリスと女中たちだけが広い空間に残った。
マリスは窓から空を見上げた。
今日は雨も降りそうにない。
久々に街を歩いて、自分で魔女を探そうか。
そう考えながら、グラスの水を飲みほした。
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