第2話 契約
「あなた、死ぬの?」
目の前に現れたその声の主は少女であった。
その少女は、黒いワンピースに黒い髪飾り、黒いブーツに黒い傘、そして、濡れていても美しいと分かる金髪と白い肌。薄暗がりから、緑色の瞳が伯爵を見つめていた。
それは、誰の目から見ても、あの『雨の魔女』の噂通りの姿をしていた。
こんな状況でも、たとえ相手が正体不明の少女でも、相手が”女性”であれば優しく微笑みかけてしまうのが、伯爵の悪い癖だった。
「君は…もしかして、あの有名な『雨の魔女』かい?」
少女は答えず、しばらく伯爵を見つめ、聞き返した。
「あなたは、ヴァンパイアなのでしょう?」
幻想的な雨の中の不思議な少女の姿に見とれ、すっかり油断していた伯爵は、ギクリとして再度身構えた。
そんな伯爵の反応を見越していたかのように笑いながら、彼女は開いたままの傘をゆっくりと地面に降ろした。
そして伯爵に近づきながら、もう一度聞いた。
「あなた、死ぬの?」
餌はいつも自ら近づいてくるものだな、と伯爵はぼんやりと考えた。
しかし、今、こんな小さな娘一人の血を、たとえ一滴残らず飲みつくしたところで、この状況はさほど変わらないだろう。それよりも――。
「我々ヴァンパイアは千年近い寿命を持っているし、生命力も非常に高いんだ。よっぽどのことがなければ死にはしない。だけど…」
伸ばした手が届くほど近づいてきた少女の白い頬を、血だらけの指が汚した。
「この傷では身動きが取れない。もし、君が雨の魔女ならば、魔法で助けてくれないだろうか。」
ヴァンパイアだと名乗っても少女には怯える様子は見られなかった。
キザな言葉とは裏腹に、切実に精気を失いつつある伯爵の顔をじっと見つめて少女はポツリと呟いた。
「僕が――、僕がその『雨の魔女』かってことなら、半分はあたりで、半分は間違い。」
そう言うとあたりを見回して落ちていた錆びた金具を手に取ると、おもむろに自らの手首に突き刺した。
痛みに顔を歪めることもなく、少女は続けた。
「僕は『
だけど、僕の血なら、今のあなたを救うことが出来るはず、そうだよね。」
(
そう思いながら、伯爵が血の滴る少女の手を掴もうとすると、少女は意外なほどの強い力でそれを振り払い、言葉を続けた。
「その代わり、この血との契約を。」
「なんだ、言ってみろ。」
「…僕と同じ血の味がする人間を探して。」
(
その異常な前提と、なぜ、目の前の少女がその人間を探しているのかという疑問。
少女の要求は伯爵の知的好奇心を刺激するには十分な内容だった。
「いいだろう。それだけか?」
「あと一つ。」
雨音が一段と激しくなり、少女の声が少し小さく聞こえた。
「僕、ずっと一人ぼっちなんだ。だから、この先、ずっと僕のそばにいて。」
少女の緑の瞳と伯爵の灰色の瞳が数秒間、互いを見つめ合った。
「いいだろう。」伯爵はゆっくりと頷いた。「君の名前は?」
少女は、手首を憔悴しきった伯爵の口元に差し出しながら答えた。
「マリス。…マリス・フローレンス」
白く細い手首から、一滴の血が伯爵の口元に落ちた。
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