2-9 ルムンオートの森林地帯


 ルムンオート――

 冒険者たちが新たな発見と危険に挑み続ける地であり、同時に彼らの休息の地であった。

 

 野営地は外部の脅威から守るために簡易な木の防壁に囲まれており、内側には冒険者たちのテントが整然と並んでいた。

 野営地の中心にはギルドの仮設本部が設置されていて、冒険者たちの情報交換の場でもあった。

 本部は木造でありまだ建設のため足場が架けられていたが、仮設にしては立派な外見を持ち、田舎のギルド集会所より大きく作られていた。ギルド「蒼銀の剣」と「瑞風海商」の旗が風になびき、訪れる者にその存在を誇示している。

 

 野営地には物資を運ぶ荷馬車が絶え間なく行き交い、その度に馬のいななきと車輪の音が響き渡る。食料、武器、魔法の道具など、冒険者たちに必要なあらゆる物資が次々と運ばれてくる様子は、まるで大都市の市場のようだった。

 物資の輸送は野営地の生命線である。物資が運ばれるたびに活気が増し、人々が忙しなく動き回る様子が見受けられる。

 特に魔物の素材を積んだ荷馬車が到着すると、一層の賑わいを見せ、取引のために集まった商人達が、目を輝かせながら品定めをする光景が広がる。

 

 未開拓地の魅力と高価な報酬金に引き寄せられ、経験豊富な多くの冒険者たちが集まっていた。冒険者たちは、営火を囲みながら情報交換や、装備の手入れをしており、その装備はルークたちに引けを取らなかった。

 冒険者中には緊張感を漂わせつつも、新たな冒険への期待に胸を躍らせる者も少なくない――



♢ ♢ ♢



 5人は12日間かけルムンオートの野営地へとたどり着き、翌日には森へと入っていた。

 

 

 

「見ろよ、あいつら狩りの最中みたいだぜ」

「ゴブリンとフィンガルドだね」


 木の陰から覗く5人の視線の先では、4体のゴブリンが1体のフィンガルドを取り囲んでいた。


「フィンガルドも相変わらず気色悪いな……」

「私、あの歯が本当に無理……キモすぎるよ……」


 ヘレナはルーカスの感想に同調する。

 

 2人の印象通りに『フィンガルド』は奇妙な生き物であった。身長はわずかにゴブリンより低い程度であるが、横方向に大きく、全体像は丸みを帯びており、後肢はカエルのように発達した筋肉を持っていた。

 身体は暗い緑色のぶよぶよとした皮膚で覆われており、まるで長年湿った森林の中で暮らしてきたかのような質感は、まさしく丸く太ったカエルのようである。

 しかしカエルと決定的に異なる特徴は、その巨大な口である。常に開かれた口からは無数の鋭い歯が並び、捕食や攻撃の際には強力な武器になるだろう。

 古来より『フィンガルド』に手足を嚙み千切られた者は少なくなく、人々からは危険な生き物、『魔物』として認識されていた。


「でも姉さん、フィンガルドの足おいしいって言って食べてたじゃん」

「そうだけど……あの見た目はどう見ても気味が悪いでしょ」


 魔物を前に雑談をする3人を咎めるように、ルークが口を開く。


「どうするんだ。やらないのか?」

「もちろん倒すが……楽に倒せるならそっちの方がいいだろ……ほら、見てみろよ」


 ルーカスが目を配るようにルークに仰ぐと、1体のゴブリンがフィンガルドに殴りかかった。


「ギィシアァッッ……!」


 声を荒げながら振りかざした手には粗悪な棍棒が握られており、フィンガルドの背中を強打した。

 鈍い打音と共に、襲撃されたフィンガルドは重い響きの唸り声を上げる。


「ィガァァ……!」


 手ごたえを感じたのかゴブリンは再びを声を荒げると、残りの3体も一斉に襲い掛かった。

 執拗に何度も、何度も――手にした木の棍棒でゴブリンたちは暴虐を限りを尽くす。

 フィンガルドは魔物とはいえ、その生態は動物に近く、集団で更には武器を持つ『人間』のような狩りを行うゴブリンには敵わない。

 猛打され続けるフィンガルドの皮膚からは血が滲み始める。


「ゴブリンも俺らとやってることは変わらねえな……」

「こうやって観察してると、私たち冒険者の行いも生々しく感じるわね」

「けど俺らはあいつらがいると危害が……」


「イッィ……グイェ゛アアアァァァァ………!!!」


 ルーカスとヘレナの会話はゴブリンの甲高い声によって中断される。

 殴られ続けていたフィンガルドだったが、1体のゴブリンに抵抗するかのように腕に嚙みついていた。フィンガルドの巨大な口は腕のみならず、そのまま胸部まで飲み込むように噛みついていく。

 もがき続けたゴブリンはどうにかフィンガルドの口から解放されるが、左腕から左胸部までえぐり取られていた。

 辺りには鮮血、フィンガルドの口も真っ赤に染まっており、猟奇的な光景が広がっていた。


「うわぁ~ひでえな」


 ルーカスは猟奇に満ちた惨状に動じないのか、軽々しい口調で話す。

 他の者もルーカスと同じく平然を保っていたが、1人だけ物怖じしていた。


「セレーネちゃん、大丈夫?」

「はい、大丈夫です……少し驚いただけです……」


 ゴブリンの臓器が引きずり出される生々しいありさまに驚倒したのか、セレーネの顔は血色が悪くなっていた。

 冒険者として戦闘行為に慣れていない彼女にとって、グレーターデーモンやドレッドトロールのような明確な『化け物』より、人間に近いゴブリンが、臓器を撒き散らしながら絶命する姿の方が衝撃的だった。

 

「冒険者になったばっかりって言ってたもんね。結構キツい光景だよね」

「初めて見るので驚いてしまって……」

「セレーネ、最初は驚くだろうが、冒険者を続けていたらそのうちに慣れるから大丈夫だ……なあルーク?」


 話題を振られたルークはルーカスに賛同する。

 

「冒険者になったからには慣れておけ」

「はい……」

「はぁぁ……2人とも……」


 ヘレナは溜息を付くと配慮のない2人を批難する。


「もうちょっと言い方ってもんがあるでしょうよ……」

「言い方も何も慣れるしかないもんなぁ……?」

「ああ」


 自身の意見に賛同者がいたルーカスはヘレナに言葉を返す。


「それに……お前も最初は嫌がってたが、いつのまにか俺らの中で、一番解体が上手くなってただろ?」

「いやそうだけど……気持ち悪いことには変わりがないでしょ」

「そこはまあ……我慢するしかねえな……。冒険者を続けていたらこういうのはよく目にするから、セレーネも少しずつ慣れていったらいい」

「はい……頑張ってみます……」


 セレーネが弱い意気込みを見せる中、4人の会話に参加せず、ゴブリンたちの様子を伺っていたカルロスが真剣な物言いをする。


「姉さんそろそろ準備は良い? 手前の2体をお願い」

「分かった」

「その後は……」

「俺だろ? いいぜ」


 それまで緊張を欠けていた2人だったが、引き締まった口調で返事をする。

 ヘレナは背負っていた矢筒から矢を2本取り出すと、ゴブリンたちに忍び寄る。

 フィンガルドは必死の抵抗を見せ1体のゴブリンを食い殺したが、それでもゴブリンたちを撃退することはできず、なぶられ続けていた。

 同種を殺され狂乱するゴブリンたちは、ヘレナの接近に気付かない。彼女はリカーブボウを構えると、弦を顔まで引き絞り――射る。

 

「イ゛ェエアァッ……!!!」

 

 矢は風を切りながら1体のゴブリンに命中し、頭部に突き刺さった。しかしヘレナはその結果を確認するまでもなく、2本目の矢を放っており、それは別のゴブリンの胸部に刺さる。

 彼女は流れるように、再び矢筒から矢を取り出し弓を射ると、3本目もゴブリンの胸部を射貫いた。


「ルーカス!」


 ヘレナはルーカスの名前を呼ぶが、既に彼はゴブリンの目前に迫っていた。

 

「はぁぁっ……!」

「イ゛イエエアァァァ……!!!」


 他の仲間が襲撃され、逃げ出そうとするゴブリンだったが、背中をスピアで貫かれ絶叫する。

 ルーカスはすぐさまスピアを引き抜き、胸部に矢が突き刺さるゴブリンに追い打ちをかけた。


「これで……終わりだ……!」

「イ゛ェ……イギィアアァァァ……」


 4体のゴブリンは全て絶命し、かろうじて動いていたフィンガルドにルーカスはトドメを刺した。

 2人は戦闘中のゴブリンとフィンガルドに奇襲をかけたことにより、苦労することもなく5体の魔物を仕留めることが出来た。


「全部終わったぞ~」


 ルーカスはフィンガルドからスピアを引き抜くと、他の者に伝えた。


「2人ともお疲れ様」

「こんな程度疲れねえよ!」


 カルロスは労いの言葉をかけるが、ルーカスは元気良く一蹴する。


「フィンガルドの足は僕が解体するから、姉さんはゴブリンをお願い」

「分かった」


 カルロスとヘレナは携帯していたナイフで、魔物の部位を剥ぎ取っていく。カルロスの手は血で汚れ、解体の様子を見ていたセレーネは恐々と尋ねる。


「冒険者って大変なんですね……」

「まあ大変ですね。解体は手が汚れるので僕は特に嫌いです」


 スパルトイを倒しダンジョン内を進むことより、今のカルロスたちのような行いが一般的な冒険者としての行為であり、セレーネは冒険者の現実を目の当たりにしていた。


「やりたくないですが、この足は今日の夕飯になるので仕方がないですね」


 ルーカスは切断されたフィンガルドの足をセレーネに見せつける。人間の腕より太いその足は、絶命してから間もないため、筋肉が弱く痙攣していた。


「これを食べるんですか……!?」

「そうよ。足の色も気持ち悪いけど、味は悪くないのよ」


 ゴブリンの耳を切り落としたヘレナはセレーネに説明をする。

 フィンガルドの足も身体と同じく深い緑色であり、食欲をそそられる色合いではなかった。


「けど足以外はまずいから食べられないのよねぇ」

「報告用の手は解体したから、もう燃やそうか」


 カルロスはフィンガルドの身体を転がしながらゴブリンたちの死体の元へを運ぶ。


「これらは……燃やすんですか?」

「そうですね。衛生面の観点から、魔法が使えるパーティーは不要な魔物の死体を焼却するように命じられているんです」

「決まりがあるんですね」

「けど罰則があるわけではないので、焼却しない冒険者も多いですね。どうせ死体はスライムが食べてしまいますからね。焼却は僕が火の魔法を使えるので、いつも僕が……」

「待てよカルロス、魔法は俺にやらせてくれ」


 死体に向け、杖を構えていたカルロスにルーカスが割って入った。


「練習してきたって言ったろ? 俺に任せてくれ!」

「けどルーカスじゃ死体を燃やしきれるだけの魔法は……」

「いいから杖を貸してくれ……!」


 ルーカスは自信満々な物言いでカルロスの杖を素早く取り上げ、死体に向け杖の先端を向けると、堅苦しい口調で魔法を詠唱する。


「え~……我が魔力は赤き魔に変わり、炎が生まれる……対象を燃やし尽くせ、ゲニティ……!」


 ルーカスの力強い叫びに反応した杖の魔石は、かすかな赤い光を放ち炎が放たれる。しかしそれは炎と呼ぶにはあまりにも刹那的な現象であり、死体を燃やすには至らなかった。

 

「あはっ、やっぱり出来ないじゃん」


 ルーカスの必死な魔法詠唱をヘレナはからかう。


「うるせえ! くそ……! なんでだよ! 我が魔力は赤き魔に変わり、それは炎となる……対象を焼き尽くす、ゲニティ……!」


 ルーカスは再び魔法を詠唱するが、その場で火の粉が生まれただけであった。


「はぁ……俺にはやっぱり無理なのか……」

「仕方がないよ。特に魔法は出来る出来ないがはっきりしているから」


 カルロスは杖を受け取ると、ルーカスを慰める。

 落胆するルーカスは、これまでのやり取りを黙って見ていたルークに話題を振る。


「ルークもやっぱり、この程度は余裕なのか?」


 ルークは無言のまま死体に手を向けると魔法を唱えた。


「ゲニティ……」


 ルークの手から生まれた炎は死体を包み、激しく燃え盛る。

 

「ルークさんって詠唱をしないんですね」

「詠唱って魔力の変換が安定するからした方がいいんだよな?」


 割って入ったルーカスの質問にカルロスは答える。


「詠唱は意識付けみたいなものだからね。詠唱をしないと魔力変換や魔力量の調整が難しくなるから、普通はみんな詠唱をするよ。詠唱しないのは熟練した人だね」

「じゃあルークは凄いってことなのか?」


 ルーカスはルークに羨望の眼差しを向けるが、ルークは期待を裏切る返答をする。


「俺は魔法を詠唱しないが、魔法が得意なわけじゃない」

「得意じゃないのか? なら何で詠唱をしないんだ?」


 ルーカスの正しい質問をする。魔法が不得意なのを自覚していながら、詠唱をしないルークは基礎的な魔法法則に反していた。


「詠唱してもしなくても結果が変わらねえんだ」

「そういう魔法体質だったりとかですか?」


 カルロスも質問をする。


「ある日……ある日から魔力が不安定になったんだ。魔力変換が上手くできねえから、今まで使えていた魔法も使えない。それ以来、魔法詠唱はしていない」

「そうですか……その『ある日』ってのは何かあったんですか? 魔力は精神と繋がっているので……」


 カルロスは興味本位から質問をするが、それはルークの人生が変わった日だった。


「お前には関係ないだろ……」

「……すみません」


 ルークは声を荒げることはなかった。しかしその心まで凍り付きそうな冷淡な口調に、何かを察したカルロスはすぐさま謝罪をした。

 ルークの態度に場の雰囲気も凍り付く。

 見兼ねたヘレナはカルロスを叱りつけた。

 

「あんたまた無神経なことを言うわね!」

「その……ごめん」

「人には色々……あるんだから……」

「そうだね……」


 冷え切る場を盛り上げるべくルーカスも口を開く。


「よしじゃあ次に行こうぜ! 目標はゴブリンだけで100体だからな。まだまだ足りないぜ!」


 引き続き森を探索するために、ルーカスは戦闘を歩こうとするが、声を張り上げたルークによって足を止められる。


「何か来るぞ……!」


 ルークの声に全員が辺りを強く警戒する。静寂の中には不規則に擦れる木々の葉音と、死体が焼け付く匂いが漂っていた。

 そして目の前に現れた重い唸り声を上げる獣により、静寂は終わりを迎える――


「グルルル……グルオォォォン!!!」

「ダイアウルフだ……!」


 木々の間から現れた灰色の獣に、各々武器を構える。


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