1-9 【悪魔王】バフォメット


 ルークはバフォメットを中心に、大広間の外周を走る。

 走りながら杖を振り魔法を唱えると、杖の先端が鮮烈な紅い光を発する。飛び散る火花はまるで轟雷のように光と音を放ち、深紅の球体を形成する。

 

(凄い魔力だ……こんな感覚……今まで始めてだ……!)

 

 ルークはまるで剣撃を繰り出すかのごとく、素早く杖を振るう。

 

「フェイル・バーム!!!」

 

 形成された火球が一直線にバフォメットへと飛翔する――

 

『スヴァ・ニタ』

 

 しかしバフォメットが口を開くと、火球の射線上に黒い壁が出現し、何事もなかったかのように魔法をかき消した。

 

(あいつ……俺を見てないのに……!)

「フェイル・バーム!」

 

 ルークが3回杖を振ると6つの火球が生まれ、互いに別々の軌道を描きながら中心へと向かう。

 しかし火球は、またしても現れた黒い壁に遮られた。

 

(くそっ……また防がれた……! 近寄るしかない!)

 

 ルークはバフォメットと向かい大きく跳躍する。彼は自身の持つ最大威力の魔法を放つべく、杖に魔力を込める。杖にはめられた魔石が蒼く煌めき、竜の息吹のごとき炎が燃え盛る。

 ルークは杖を槍のように握り締め、突き出し、詠唱と共に――

 

「マナッ……!!!」

『スプ・ウグヌ』

(……っ……拳!?)

 

 突如現れた黒紫の巨大な拳は、ルークを殴りつけた。

 彼は宙を飛翔する。支柱を砕き、地を割り、激烈な衝撃音を鳴らしながら大広間の壁に激突する――

 

 

 一瞬の出来事であったが、ルークには殴られる瞬間が延々と見続ける悪夢のように感じた。

 いや、これが悪夢ならどれだけ良かっただろうか。夢なら目を覚ませば終わりなのだから__

 

 壁に打ち付けられたルークの意識が戻る。ぼんやりとした視界には中央に静止したままの影が映る。

 辺りは巨大な石に投石でもされたかのような惨事だった。壁も装備も骨も、何もかもが粉砕されている。

 

(何やってんだ……あいつ……)

 

 ルークが視線を少女に向けると、彼女は床を這いながらルークの方へと向かっていた。

 

ぁぁ……『おれ』が……もっと強かったら……『あの時』も……。

『オレ』が――

 

 

『オレ』があの悪魔を倒そう――

 

 ルークの心臓が高鳴ると漆黒の閃光が彼を覆う。

 砕けた骨が再構成され、捻じ曲がった腕は正しい人間の形へと変化する。顔の腫れも元に戻るどころか、以前の彼より更に大人びた表情へと変わり、青黒い髪色は漆黒へと再構成される。

 髪から身体が修復された『ルーク』と似た人物は、立ち上がると、ひしゃげた盾が取り付けられている籠手を投げ捨てた。

 

『悪魔の王……オレが奴を倒そう』

 

 『ルーク』は視線の先にバフォメットが重なるように手をかざす。

 彼の手の前に魔力が集まり始め、赤い火花が散る。だがそれは先ほどのルークの魔法とは、様相がまるで異なっていた。

 バフォメットを取り囲むよう無数の火球が形成され、『ルーク』は詠唱する。

 

『猛る炎は、万物を無に帰す黒へと転ずる……』

 

 次の瞬間、バフォメットを取り囲んでいた火球が黒色に燃える。赤黒い閃光を放つ火球は黒炎へと変わり、『ルーク』がバフォメットを握り潰すように手を閉じると、一点に黒炎の火球が集中する。

 

『フェイル・バーム……!』

 

 数十もの黒い火球がバフォメットの周囲で炸裂した。破滅的な爆音と衝撃波が大広間に吹き荒れ、黒煙がバフォメットの姿を覆い隠す。

 

『流石は悪魔の王。この程度なら気にも留めないというわけか。だが防ぎ切れていないようだぞ』

 

 黒煙が晴れ、ゆらりと姿を現すバフォメットに『ルーク』は忠告する。

 バフォメットを守るように形成された黒の壁だったが、まるでガラスのようにひび割れ、色も薄くなってた。

 

『なら次はこれでいこう……スプ・ウグヌ……』

『スプ・ウグヌ』

 

 再び大広間に轟音が響く。

 

『やはり原初の魔法だと、お前も対応せざるを得ないようだな』

 

 両者は同じ魔法を唱えると、同一の巨大な手が出現する。バフォメットの出現させた手は『ルーク』の拳を受け止めるような形で攻撃を防ぐと、お互いの手は瞬時に消滅した。

 今まで大広間の中央で微動だにせず静止していたバフォメットが、初めて『ルーク』を視認する。

 

『エギカ・オルテ』


 ようやく己の敵対者が現れたことを認識したバフォメットは杖で床を突く。

 すると『ルーク』を取り囲むかのように黒紫に輝く4本の曲剣が現れ、剣は、下に、右に、奥に、反転し、生物では再現不可能な軌道で襲い掛かる。

 

『折れているな』


 『ルーク』は握り締めていた剣身が折れたロングダガーに手をかざすと、黒い刃が形成され、彼は襲い掛かる剣撃を受け止める。

 後ろから斬りかかる曲剣も華麗な身のこなしで往なし、まるで4本の剣と踊っているかのような見事な剣さばきで攻撃を受け流していた。

 

『4本では足りんな……子供と遊んでいるようだ』


『エアルグ』

『8本……16……32……これは面白そうだ』


 バフォメットが杖で床を突くたびに、黒紫の曲剣は次々に分裂し数百という剣の軍隊が出来上がる。

 更にバフォメットが天に向け杖を振ると、天井に大きな魔法陣が浮かび上がる。魔法陣からは天を埋め尽くすほどの黒槍が顔を覗かせており、バフォメットが命令を下せば地を串刺しにするだろう。

 

『だがこれでは遊べないな』


 『ルーク』は少女の方へ視線を送る。少女は様相が変わった『ルーク』の事を見つめていたが、立ち上がることは出来ずにいた。床に倒れ込んだままの状態では天井から降る槍で全身を貫かれてしまう。

 しかしバフォメットは無慈悲にも杖を振り下ろした。魔法陣から顔を覗かせていた千の槍が降り注ぎ、百の曲剣が『ルーク』を目掛けて斬りかかる。

 

『障壁よ』

 

 『ルーク』は少女に手を向けると、2人を包み隠すように黒の壁が現れ、天から千本槍を防いだ。

 豪雨のごとく降り注いだ斬撃の嵐は、2人の地点を除き、大広間にある全ての物を引き裂いており、支柱は瓦礫は変わっていた。『ルーク』の作り出した壁には無数の剣と槍が刺さっており、まるで剣山のように痛々しい様相だった。

 

『これは短剣では防げないからな。遊べなくて残念だ』


 『ルーク』は黒の球体内から呟くと、壁が消滅する。同時に地面に刺さっていた槍も消滅するが『ルーク』の壁に突き刺さっていた槍と剣は、そのままの状態で静止していた。

 

『だがこの魔法は使わせてもらおう』


 『ルーク』は両手を薙ぐ。

 静止していた全ての槍と剣が動き出し、『ルーク』の周囲に整列すると彼は走り出した。左手を振ると、手の軌跡をなぞるように数十の剣が連なり、瞬時にバフォメットへと向かう。

 

『その壁を破るには、壁より速く攻撃するか……』


 バフォメットは真正面に飛翔してきた曲剣を黒い壁で防ぐ。『ルーク』が右手を突き出すと今度は槍が放たれるが、同様に黒壁に阻まれる。

 しかしバフォメットの後方には黒に揺らめく火球が形成されており、彼は突き出したままの手を握り締めた。火球の爆音と爆風はまたしても球体になった壁に防がれるが、すでに『ルーク』はバフォメットの前まで迫っており、逆手の短剣を斬り上げた。

 黒の剣身が輝き、漆黒の斬撃波が放たれる。地を裂きながら高速で移動する斬撃は、火球により薄くなっていたバフォメットの黒壁を縦に裂いた。

 

『魔力を上回れば簡単に破れる。単純な話だろ?』


『ヴァエエェェ……!』


 山羊とは思えない奇怪な声が大広間に伝わる。消滅した黒壁の中には、右腕が切断されたバフォメットが悶えていた。腕の切断面には黒炎が燻り、身体を焼き続けている。

 

『壁が引き裂かれた瞬間に躱したか』

『ヴァェ……ヴァァアア……!』

『右手を捨てるのはいい判断だ。身体を焼かれ続けてはお前も苦しいだろう』


 バフォメットは右肩から下を自身で切断すると、すぐさま新しい腕が再生し、落ちている杖を右手に引き寄せた。


『スプロ・メウス……!』

『どうした? 随分と余裕が無くなっているぞ』


 バフォメットが杖の下部で床を力任せに突くと、魔法陣が浮かび上がり、スパルトイの身体を持つ骨の馬が次々と現れた。上には槍兵の装いのスパルトイが騎乗し、中隊規模の死霊騎士が編成される。

 バフォメットが杖を振ると、スパルトイたちは『ルーク』に群がるように槍を掲げ、走り出した。

 

『ちょうどいい。あの小娘の使っていた魔法を試そうか……黒より生まれし愚かな傀儡よ、我が原初の魔に屈せよ……』


 『ルーク』が詠唱を終えると、彼の目前まで迫っていたスパルトイが黒い閃光に包まれ、爆散する。骨が砕かれ粒子となった砂が、突進する勢いのまま『ルーク』を覆い隠す。

 

『ふん……この魔法は相当な魔力を消費するようだな。百の死霊を滅するとなると当然であるか』

 

 吹き荒れる砂嵐の中に紛れ、一筋の剣撃が『ルーク』を襲う。


『随分と大層な目眩ましだな……それで裏をかいたつもりか?』

『エテ・レシ……』

『お前がオレを殺すのは不可能だ』


 バフォメットの右手は杖ではなくロングソードのような黒剣が握られており、まるで短剣でも振っているような素早い連撃を繰り出していた。

 『ルーク』は短剣を使い、全ての剣撃を往なしていく。

 

『魔の王が剣で挑んでくるとは面白いな。並みの剣士よりは腕が立っているぞ』


 バフォメットが『ルーク』の頭上に剣を振り下ろす。しかし『ルーク』は短剣で受け止め、剣の軌道を逸らすと、跳躍しながら身体を一回転させ、バフォメットの頭部を蹴り飛ばした。

 バフォメットは地を跳ね、大広間の壁に打ち付けられた。

 

『魔法を捨てては、剣士である俺には勝てないぞ』

 

 バフォメットはよろめきながら立ち上がると、右手の剣を消滅させ再び杖を出現させる。『ルーク』に注がれる深紅の眼光はどこか殺気立っており、杖が折れそうなほど力強く握ると魔力を込め始めた。

 空気が重くなる。

 周囲の空間を歪ませるような圧倒的な魔力が、渦を巻きながら杖の先端に集まっていく。可視化出来るほどに滾る黒紫の魔力は、悪魔の王の威厳そのものである。

 

『ふっ……それでいい。魔法しか使えないお前が、俺を倒すのならそれしかないだろう』


 『ルーク』も左手に魔力を込めるが、視界に移る少女の姿を確認すると手を降ろした。

 

『いや、止めよう。この一帯ごと消し飛んでしまっては困るからな。そろそろ終わらせる時が来たようだ』


 『ルーク』は片足を蹴りだすと、瞬時にバフォメットの頭上まで飛んだ。

 跳躍した勢いのまま短剣を振りかざすが、またしても黒い壁が出現し『ルーク』の攻撃を防ぐ。

 

『面倒な障壁だ……はぁぁぁっ……!』


 『ルーク』は短剣を強引にねじ込むように突き刺すと、剣先から黒炎が吹き荒れる。強力な反発力により短剣が押し戻されそうになるが、『ルーク』は柄頭を左手で押し、ねじ込み続ける。

 剣先と拮抗していた黒い壁が、漆黒の業炎により融解し始めると――

 

 『ルーク』は障壁を一閃する。

 

『スプ……』

『もう遅い』


 『ルーク』はバフォメットの懐に潜り込んでおり、短剣を振り抜く。


 弧を描く黒炎の刃――魔法による斬撃は悪魔王の首を一瞬で刎ね飛ばした。

 

 山羊の頭部が地に落ち、深紅の眼光が消えゆくと、膨大な魔力を集めていた杖も輝きを失った。

 首の断面図に燃ゆる黒炎は、バフォメットの肉体を焼き尽くし、灰となって消失した。

 

 

 『ルーク』は短剣を無造作に投げ捨てると、戦いの全貌を目撃していた少女の元へ向かう。

 

「……あっ……あなた……は……」

「エルフ……エルフの女……」


 少女に手をかけようとする『ルーク』だったが、黒髪に青色が混ざり始めると、彼は床に倒れた。

 大広間に残ったのは青黒い髪の少年と、銀髪のエルフ少女だけだった。



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