1-8 悪魔の山羊


「あぁぁ……頭が……!」


 ルークは激しい頭痛に意識を起こされると、彼は広間の隅で横になっていた。まるでプレートメイルでも着ているかのような錯覚を覚えながら、身体を起こし辺りを見回すと、隣で少女も横になっていた。


「寝てんのか……」


 横たわる少女の身体を揺する。


「おい起きろ……」

「……んっ……あぁぁ…………あれ私……ごめんなさい……寝てしまったようです……」

「俺も今起きたんだ。それより……」


 ルークは広間の中心にあるグレーターデーモンの下半身を確認する。翼の一部と足以外は全て消滅しており、グレーターデーモンの後方にあった壁は大きな穴が開いていた。

 本来は近距離でしか効果がない魔法であったが、魔力が増幅した結果、魔力の爆発は広い範囲に及んでいた。


「それより、これでもう終わったんだよな?」

「はいおそらく……今のが……この先の封印を守る守護者だと思います」

「封印ってなんのことだ? いい加減教えてくれないか?」


 自身から申し出たとはいえ、少女の秘密を知らずに命のかけた戦いに身を投じたルークには、少女の秘密を知る権利があるだろ。

 少女は返答に困ったように黙り込むが、すぐに口を開けた。

 少女が隠してきた秘密が語られる。


「この先には『狂王タルザリアム』の魂が封印された……魔水晶があります。私は……その魔水晶を破壊するためにやってきました」

「タルザリアム? タルザリアムって2千年前にいたっていう悪魔だろ?」

「はい……狂王はこの世界を魔物と悪魔で支配しましたが、エルフ、ドワーフ、そして人間……それぞれの勇者によって『狂王タルザリアム』は滅ぼされました」


 今から2千年前。この地は『狂王タルザリアム』によって統治されており、この世界に住む者なら誰しもが知る伝承だった。

 狂王が滅んだ年が元年とされるほど、世界にとっては畏怖される存在であり、その恐ろしさは長寿のエルフのみならず、今でなお、人間の間で語り継がれている。


「しかし……実際には『狂王タルザリアム』は滅んでいません。かつての勇者たちは狂王を倒すことが出来ず、その魂を8つに分けた後、8つの霊廟に封印したんです」

「よく……分かんねえよ」


 ルークは愛想のない口調で嘘を付く。彼は一般的な言い伝えとは違う、少女の伝承を知っていた。それはかつて、ルークの師が話していた伝承と同じであり、ルークは師を思い出すたびに心理的な抑圧を感じる。


「それで、何でお前はその封印を破壊しにきたんだ?」


 少女はしばらく沈黙し、やがて重い口調で答えた。


「数年前、私の母が……狂王の配下を名乗る者に連れ攫われました……」

「何で攫われたんだ?」

「理由は分かりません……ただ……母は銀髪のエルフで……魔力が多かったので、攫われたんだと思います……」

「銀髪のエルフ……?」


 ルークは隣に並び、壁にもたれかかっている少女を見るが、彼女も銀髪であった。


「お前、やはりエルフなのか?」

「はい……そうです」


 エルフの外見的特徴で最も分かりやすいのが、長い耳であるが、少女は耳を髪で隠すようにしていたため、ルークは確証を持てないでいた。


「だから精霊魔法が使えたのか」

「精霊魔法……ご存じなんですか?」

「ああ」

「そうだったんですね……」


 かつて、エルフと生活を共にしていたルークは、少女がエルフだと知るも驚く素振りは見せなかった。

 彼は話を戻す。

 

「お前の母親がエルフだと何で攫われるんだ?」

「『狂王タルザリアム』は生前、世界中のエルフの女性を集めていたと言われています……亡くなった『狂王タルザリアム』の妻がエルフで、妻を生き返らせるためには、魂を呼び戻すための器が必要だったそうで……歴史に詳しい方々は、私の母が『器』に選ばれたと言っていました……」

「そうか……それで母を助ける……か……なら、この先にお前の母親がいるのか?」

「いえ……それは分かりません……ですが狂王の魂を破壊していけば、その配下にも何かしらの動きがあると思い、『プリモドール』からやって来ました」

「北東のエルフの領土か。遠いな……お前、1人でここまで来たのか?」


 ルークは少女の服装を観察する。

 ブーツは多少汚れていたが、魔法師のようなローブはあまり汚れていなかった。

 

 エルフの領土である『プリモドール』は、西ティルファランド地方から見て北側、ルークの住まう地域である東ティルファランドから見て北東に位置する。

 したがって、『プリモドール』から東ティルファランドに向かうには、南東に進めば最短距離なのだが、ティルファランド全域を分断するようにそびえる、ルムンスト山脈の存在が通行を妨げていた。

 西と東を繋ぐ交易路も、南に大きく迂回するかたちで結ばれており、必然的に少女の旅も長旅になるはずなのだが、彼女の服装は不自然にも汚れていなかった。


「はい、私1人で来ました……」

「お前、旅に慣れていなさそうなのに、よくここまで来れたな」

「ずっと馬車でしたので……それでも1年近くかかってしまいました……やはり冒険者の方だと、私が旅に慣れていないと分かるものなのですか?」

「冒険者じゃなくても分かるだろ……旅をしていそうな恰好じゃねえからな……。お前、旅費はどうしてたんだ? そもそも、そんな狂王の魂とやらを破壊する大役を、何でお前1人が任されているんだ?」


 ルークの疑問は解消されない。

 かつての狂王が封印された魔水晶の破壊――それはエルフの種族のみならず、世界中の人類の問題である。そんな重大な大役を、目の前の少女1人が遂行するのは不可解であった。


「元々、政治的な理由で魔水晶の破壊はしないように決まっていたんです。エルフでの政治は元老院と呼ばれる、有力者たちが集まって出来た機関が取り決めているんですが、その元老院の長である執政官の方が言っていました……封印は未だ安定しているから、わざわざ魔水晶を破壊をする必要はないと決定した、と……その方は今こそ全ての魔水晶を破壊し、私の母の居場所を探るべきだと訴えていたようですが……エルフの政治は少数派の意見だけでは決定されません……」

「その話だと元々、封印の魔水晶を破壊できたように聞こえるが。破壊できるなら、もっと前に破壊すればいいだろ」

「魔水晶を破壊できる魔法は、この数年になってようやく完成したんです。現に数年前、何者かによって1つの魔水晶が破壊され、現在の封印の数は7つになったんですが……破壊は完全な状態で行われなかったようで、そのせいで狂王の配下が復活したと言われています」

「その元老院とやらが言っていること、矛盾してないか? 魔水晶が破壊されて配下が復活してるなら、封印は安定してないだろ? 破壊できるならすぐに破壊をするべきだろ」

「確かにそうですね……ですが元老院の方たちは、不完全な魔法で封印の魔水晶を破壊するくらいなら様子を見るべきだと言っているそうで、それも間違いではないかもしれないです……何者か魔水晶を破壊した結果、狂王の配下が復活してしまったので……」


 『何者かが独断で魔水晶を破壊したことにより、自分の母が連れ攫われてしまった――』

 外罰的な思考でなくとも、母が攫われた間接的な因果はその何者かにあるだろう。少女がそのように思っていても、不自然ではない。

 少女は続きを話さなかった。

 ルークは少女のいきさつを自身の中でまとめる。


「魔水晶を破壊しないと決まったのなら、お前がここにいるのは独断か?」

「いいえ……先程の話にあった執政官の方が、私に旅費をくださり、魔水晶を破壊する旅に出るようにと逃がしてくれたんです」

「その口振りだとお前、捕まってたのか?」

「捕まっていたというより、私は狂王の配下に連れ攫われないよう、プリモドールの奥で匿われていました。それに……執政官の方言っていました。母の居場所を探りたいなら、自身で魔水晶を破壊するしかない、封印の魔水晶を完全に破壊できるのは私だけだと……執政官は政治を取り仕切る長ですが、それでも表立って決まり事を逆らうことは出来ません。私を領地外へ逃がすことが手一杯だったようです」

「随分と無理なことをいう奴だな。お前1人で旅なんか出来そうにないが」

「後から信頼できる使者を必ず送るとのことでしたが、結局1人で旅をすることなりました……」


 少女の口調は弱々しいものになっていた。

 狂王の魂を破壊することにより、配下の反応から母の居場所を探るという遠回りな手法。プリモドールから東ティルファランド地方までの1人での長旅。

 全ては自身の母親のためであり、彼女の口振りから察するに辛く、寂しい旅だったのだろう。

 彼女の秘密を知ったルークは立ち上がると、身体を大きく伸ばした。


「でもこれで、その封印の1つは破壊できるんだろ?」

「はい、恐らくはこの先で……」

「ならさっさと終わらせてくれ……俺はもう帰りてえ……」

「そうですね……私も……疲れてしまいました……」


 少女も立ち上がるが、彼女はルークを見つめると深く頭を下げた。


「その……ありがとうございました……あなたがいなければ私は……ここまで来ることが出来ませんでした……」

「そうか」


 ルークは素っ気なく返事を返すと、石板を調べる。


「開けられるか?」

「はい」


 少女は石板を調べ、ダンジョンに入ってきた時と同じく魔法を唱える。

 すると、前の金属の扉が開かれ、2人が通ってきた通路の鉄扉も開けられていた。


「行くぞ」


 2人は『狂王タルザリアム』の魂を破壊すべく、ダンジョンの最深部へと進んだ。



♢ ♢ ♢



「お前がこのダンジョンについて知っていたのも、そういうわけだったのか」

「すみません。むやみに他の方には言ってはいけないことになっているので……」

「そうか……そうだお前、あといくら金が残っているんだ? これが終わった後……」


 会話をしながら進む2人の目の前には、既に開かれていた巨大な扉があり、その先には直前の広間よりも更に大きく、人が数百人規模で入れそうな大空間が広がっていた。

 円形の壁や天井を支える支柱には大きな魔石が配置されており、この大広間の光源を担っていた。

 床は大理石のような光沢のある石材が使用されており、この円形の大広間に添うように、数種類の色が規則正しい形で配置されていた。

 中心には人影があり、ルークはそれを凝視する。


「あいつは何だ? お前の母親だったりしないのか?」

 

 ルークは自分の愚かな問いにすぐさま後悔した。

 

「あ、あれは……私の母ではありません……」

 

 少女が戦慄く声で返答する。



 ああそうだ。その通りだ。人間に角など生えていない――

 そもそも、山羊の頭を持つ人間がいるのだろうか?

 こいつは、『駄目』だ――

 『悪魔の王』に勝てるはずもないのだから――



 ルークは少女の手首を強く掴むと、中央に居座るそれから背を向け走り出した。少女もルークと共に、全力で扉へと急ぐ。

 走る中、ルークは幼き日の記憶が蘇る――

 

 

『へぇ……やっぱりすげぇな……アスティより強い魔物なんてこの世界いないんじゃないの?』

『私より強い魔物は……ふっ……まあそれなりにいるな』

『例えばどんなやつ?』

『そいつは……山羊の悪魔だな』

『山羊?』

『そう。山羊の頭なのに2本足で立っていて、翼も生えている化け物。神話の魔王であるタルザリエンが作り上げた悪魔の王さ』

『悪魔の王様なんだ』

『若い頃、一度だけ戦ったことがあったな。見たこともない魔法を使って、それはもう大変だった』

『でもアスティがこうして今いるってことは、その山羊を倒したんでしょ?』

『私以外に仲間もいたからな……だからみなで倒すことが出来たんだ』

『なんだ、やっぱりアスティより弱いじゃんそいつ。なら俺もそいつと会ったら倒しちゃうな~~そいつなんて名前なの?』

『……名は『バフォメット』……まあ会うこともないだろうが、今のルークでは絶対に勝てないよ。無論今の私も……』


 少女は走りながらルークに問い掛ける。


「もしかしてあの魔物って……」

「ああ間違いねえ……あいつは『バフォメット』だ……! 戦ってもねえのにあの痛い程の魔力……俺らで勝てるわけがねえ!」

 

 2人は扉の目前まで走り込むが――


「くそっ……!」


 金属の扉が異常な速度で閉まり、恐ろしいほどの衝撃が大広間全体に伝わる。

 背後に底知れぬ魔力の圧迫を感じた2人は、恐る恐る振り返る。

 人影の頭部には、深紅の光が2つ灯っていた。

 

「終わりだな」


 自身の死を悟ったルークは過去を顧みる。


(俺は全てを失ったあの日から……ずっと冒険者として生きてきた……。生きるために強盗だってしてきた……そんな俺にはふさわしい報いだ……。オークどもに殺されなかっただけマシか……)


「魔法をかけます……」


 少女は魔法の詠唱する。それは戦う意志であり、死を受け入れたルークとは対極の行動だった。


「無駄だ、勝てるわけがねえ」


「魔力よ……その者の……庇護の壁となり……脅威を絶せよ……ドラルグ・ザムルフ……!」

「奮い立て……血よ……強靭なる力へと転じ、力強き歩みを与えん……スカレート ミカルト……」


 少女は今までの全ての魔法をルークにかけ続ける。おそらく魔力の限界なのだろう、彼女の顔には明らかに疲労の色が浮かび、呼吸は荒さを通り越して弱々しく、今でも倒れてしまいそうであった。

 しかし、彼女の瞳には意志が残されていた。


「我が魔は、隣人と共に……さすれば明日への光となる……マナ・エウカディレ……!」


 少女が最後の魔法を唱えると、ルークはかつて忘れていた人のぬくもりを思い出す。


「あなたを巻き込んでしまい……すみませんでした……さっきの魔物が最後かと……」


 少女は全魔力をルークに託すと力尽きたのか、彼に倒れ込んできた。少女はルークの腕の中で最後の言葉を語る。


「私の魔力を……全て……あなたに託しました……。これで母を……救ってください……ごめんなさい……」


 蒼銀色に輝く瞳から雫を垂らすと、少女は瞼を閉じた。握られていた杖が地に落ち、金属を響かせる。


「くだらねえ……人に泣いて頼んだところで解決しねえんだよ……それで解決するなら……俺は……」


 ルークは抱きかかえる少女を床に寝かせようとするが、彼女の耳に目が留まる。

 人間よりやや上に伸びた耳には、耳輪の形に沿うように長いイヤーカフが付いており、蒼銀に輝くミストルティーような煌めきを放っていた。

 意図的に隠してあるのか、イヤーカフは彼女のサラりとした銀髪と調和し、ルークは彼女を間近で見るまで気付かなかった。

 

「エルフに縁があるんだな……」


 エルフの師は言う。


『どんなに辛くても希望は持ち続けなくてはならない。特に私のようなエルフはな。もちろん人間……ルークだってそうだ。生きていれば辛いことの方が多い。だからといって後ろ向きに生きる必要はない。生きていれば必ず良いことはある。200年生きた私が言うんだから間違いないだろ?』


「200年は……生きられねえよ」


 ルークが少女を寝かしつけると、遂に悪魔が動き出す。


『スア・ムル』

 

 黒い山羊が人間では理解不能な言語を発すると、どこからともなく杖が現れ、それを握り締める。

 ルークも少女の杖を握り締めると、腰のロングダガーを引き抜いた。


「俺に希望なんかねえ……けどエルフには希望とやらが必要らしい……!」


 ルークの意志を反映するかのように、杖の先端が輝きを増す。


 「いくぞ……!」


 『シルバー』等級の冒険者は悪魔の王と対峙する。



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