1-3 【悪魔の角】 ドレッドトロール
「っ……きたねえな……」
ルークはゴブリンたちの左耳を切り落としながら、額の汗を拭った。彼が死体から耳を切り落としたのは、ギルドに持ち帰り、討伐の完了を報告するためである。
これをしなければ世は、虚偽の討伐報告をする輩で溢れかえってしまうだろう。事前に用意していた魔物の素材をギルドに見せる姑息な手法もあるが、ルークは今回それをしなかった。
ここ数年、増え続ける冒険者に比例するように、虚偽の報告や冒険者による暴力事件なども増え、治安悪化が懸念されている。
そこでギルドは、犯罪へのの厳罰化や報告素材の検査精度向上などで、対策を講じていた。
今の時期に何度も虚偽報告をしていれば、要注意な冒険者として警戒されてしまうため、ルークは虚偽報告の間隔を空けることにしていた。
「相変わらず酷い匂いだな……」
ルークはゴブリンの寝床の臭気に声を漏らす。この開けた空間はゴブリンたちの寝床にもなっており、周りには糞尿や獣の食い残しで、酷い臭気が籠っていた。
「まともなのはシミターだけか」
ルークはゴブリンの寝床に目ぼしい物がないことを確認すると、先ほどのシミターを拾い上げた。
ゴブリンの素材は武具の素材に全くならないため、ルークにとって今回の依頼はこのシミターが一番の戦利品だろう。
増加する冒険者に伴い、武具の値段も上がっており、この刃こぼれしているシミターでも2,000ルーン程度にはなるだろう。
(まあまあ稼げたな)
ルークは帰宅するべく、戦闘前に投げつけたペンワンドを拾い上げ――
咄嗟に来た道へと投げつけ、ゴブリンの寝床に身を伏せた。
(……っ……何かが入ってきた……それとも出ていったのか……?)
ルークが入り口付近に仕掛けておいた魔法、『シーナス』が反応したのだ。
寝床の醜悪な匂いに顔をしかめるルークだったが、その場でじっと待機する。
(何か来るな…………光……冒険者か)
人間による光を視認し、立ち上がろうとするルークだったが、光の違和感にすぐに気が付いた。
向かってくる光源の速度があまりにも速かったのだ。ゆっくりと歩いている速度ではなく、明らかに走っている速さだった。
ルークが怪訝にその光源を観察しているうちに、光はすぐそこまで来ていた。
(女……?)
14歳ほどの少女だろうか。遠目でも分かるほど、立派な杖の先端を光らせた銀髪の少女が、ルークと同じ空間に息を切らしながら駆け込んできた。
機能美がありそうにない煌びやかな服装に、彼女の背丈を軽く超える杖は、冒険者であるルークの装いとは全く異なるものであった。
(あいつ……魔法師だな……1人で何やってんだ? 他のやつはどうした……っ……まだ何か来る……!)
ルークと同じく少女も、自身がやって来た方向を怯えながら見つめていた。
暗闇からはゴブリンのものとは明らかに異なる、恐ろしいうめき声が聞こえ、足音が響くたびに洞窟全体が地揺れを起こしていた。
そして――
暗闇からゆっくり顔をもたげ、声の主が正体を現す。
「グウォオオオオォォォォォォン!!!!!」
(……ぐっ……!)
ルークと少女はその咆哮に反射的に耳を塞ぐ。この空間はその大きな声量にとってはあまりにも小さく、爆音が空間を反響する。
(ふざけんな……! なんで『ドレッドトロール』が……!)
ルークは突然の事態に悪態を付いた。ドレッドトロールは通常のトロールより更に体格が良く、力の強い個体であり、『プラチナ』相当の冒険者たちでなければ相手をすることが出来ないだろう。
ルークの数倍以上はある背丈に、人間なら簡単に潰すことが出来る大木のような手足。そして通常のトロールにはない悪魔のような二本角は、戦う者の戦意を喪失されるには十分すぎた。
ゴブリンなどとは比べ物にならない、凶悪で悪魔のような風貌に、恐怖しない者はいない。異形の化け物を目前にしていた少女は、完全に足がすくんでいた。
(馬鹿かあいつ……くそっ……!)
勝算があっての行動ではない。ましてルークは善人でもない。その行動は目の前の人間を助けるという、本能的で衝動的な行動であろう。
ルークは地面を勢い良く蹴り出すと、少女を手にかけようとする化け物に手をかざした。
「フェイル・バーム!!!」
先ほどより激しい火花が散り、火球はドレッドトロールの右手に着弾した。
魔力を上げたため、前回より強い炸裂音が鳴り、煙の量も段違いだ。
しかし――
「グヲォォ……グヲオォッッオオォォォ!!!」
火球が着弾した右手は、皮膚が少し焦げているだけで無傷と言っていいほどに効果はなく、それでもドレッドトロールの敵視を攻撃者であるルークに向けることは出来たようで、ルークの狙い通りの結果だった。
「何やってんだ!……動け!!!」
ルークは少女に向かって声を張る。少女もルークの掛け声で足の硬直が解けたようで、ドレッドトロールから距離を取るべく走り出した。
今の一撃が気に食わなかったのか、ドレッドトロールは怒鳴るような唸り声をあげ、ルークに走り出した。
右肩を突き出しながらルークをひき潰す勢いで迫る。
「くそっ! ふざけんなよ!」
ルークもドレッドトロールに向かい走り出し、直撃する直前、左前方に跳躍した。
ドレッドトロールは勢いを殺さず洞窟の壁に激突する。魔法の炸裂音よりはるかに大きな音が鳴り、洞窟内が揺れる。
ルークがあのまま突進を受けていたら、人の原型を留めずに擦り潰されていただろう。そんな惨状を想像した彼は一気に身体がカッっと熱くなると、身体が強張る。
硬い動きでポーチから赤と青の小瓶を取り出すと、緊張を押し流すように苦汁を喉に押し込む。
持ち手が油で湿ったようなシミターを強く握りなおし、自分に言い聞かせる。
(大丈夫だ……)
ブルーポーションの副次効果である抗不安作用により、うわずりを抑えた声で少女に話しかける。
「お前! 仲間は……!?」
「い、いえ……私だけです……!」
「階級は?」
「『アイアン』です……」
(アイアン!? この立派な杖でアイアンなのか……)
文句を言ってしまいそうになるが、ルークはこれから何をすべきか、ブルーポーションで冴えた思考を素早く巡らせる。
(戦うか……? 逃げるか……?)
(いや逃げるべきだ……勝てるわけがねえ!)
(いや逃げ切れるか……?)
(俺なら逃げられるが、このトロそうなやつは……)
ルークは少女の姿を横目で確認する。彼女は完璧なほどに、整った顔立ちをしており、長くて艶やかな銀髪が、魔物に怯えている彼女の肩を覆っていた。
標準的な体型であるが、胸元は外見年齢には不釣り合いな成熟を示しており、ルークは差し迫る状況で、彼女の胸部に目が止まってしまった自身が、心底気持ち悪かった。
「グヲッ!……グヲオォッオォ!!!」
ルークが少女を観察しているうちに、既にドレッドトロールは彼らの目の前まで迫っていた。
「こいつを倒す! 使える魔法は何でも使え!」
「は、はいっ!」
(くそ!……なんで俺はっ……!)
ルークは会話を最小限で済ませると、大木のような腕から放たれる一撃を右へ回避する。
ドレッドトロールが振りかざした殴りは地面を抉っていた。
ルークは素早くドレッドトロールの左足へと回り込み、全力でシミターを切り払うが。
(駄目だ皮膚が硬すぎる……!)
両手で振りかざしたルークの一撃は、左ふくらはぎを薄く裂くだけの威力しかなかった。手首を返し、横に切り払うが同様の結果しか得られない。
筋肉に守られ、大木に見舞うほどの太い骨を切断するには、もっと上質な武器が必要である。
「グヲオオォォ!」
左足を斬られたことに気が付いたドレッドトロールは、足元にじゃれつく小動物を、蹴り殺さん勢いで蹴り出す。
(これじゃ、役に立たねえ!)
ルークはその蹴りを回避すべく後方に飛ぶと、右手のシミターに自分の無力さを押し付け、投げやりに投擲する。
シミターはドレッドトロールの左肩に刺さるが刃先しか刺さっておらず、奴が腕を振るえば今にでも自重で抜けてしまいそうだった。
ルークは腰にある自身のの武器に手を伸ばす。
(普通のシミターが駄目でも……『ヴァーナイト』を混ぜてあるこれならっ……!)
ルークはロングダガーを鞘から引き抜き、身構える。
自身に敵意を向ける存在が気に食わないのか、ドレッドトロールは右手で薙ぎ払うように拳を叩き込む。
「グヲッォオォォ!!!」
(右か!)
ルークは左に跳躍し、ドレッドトロールの足元へ潜り込む。
「これならっ! はぁぁぁっっっ!」
ルークはロングダガーの柄頭を左手で抑えながら、全力で右ふくらはぎを突き刺した。
そのまま肉の繊維掻き斬るべく刃を滑らせるが――
(硬すぎる……!)
ルークのロングダガーは既製品ではなく、上質な金属『ヴァーナイト』を少量混ぜた半特注仕様である。
先ほどの使い古されたシミターより切れ味は格段に良いのだが、それでもドレッドトロールの鎧ともいえる強靭な筋肉に、ルークのダガーでも勝つことは出来なかった。
(これ以上は……!)
ルークは肉を少しでも多く、抉り出すようにロングダガーを引き抜く。先ほどよりは深い傷を与えたがドレッドトロールは構うことなく足を上げ、その場を踏みつけた。
地が揺れる。
もしルークが少しでも長く、足を切り裂くことに固執していたら、地面の一部になっていたであろう。
「駄目だ……! やっぱり『あの』魔法を使うしかねえ……!」
ダガーでの戦闘を諦めたルークは、ポーチの中の小瓶に触れようとしたとき、少女が声を発した。
「……マナ・エウカディレ!」
少女が呪文を発した途端、身体の芯が湧き立つ。
「奮い立て、血よ、強靭なる力へと転じ、力強き歩みを与えん……スカレート・ミカルト……!」
ルークは知っている。その魔法がかの大賢者が使用していたのを。
「魔力よ、その者の庇護の壁となり、脅威を絶せよ……ドラルグ・ザムルフ!」
ルークは知っている。その魔法がいかに強力な魔法なのかを。
少女が魔法を唱え終わると、ルークの身体を抱擁するかのように一瞬だけ青白い光が閃光する。同時に彼は内に潜む、底計り知れぬ力を感じた。
(あいつ……『アイアン』じゃねえじゃねえか……! これなら……いける……!)
「奴の攻撃を防ぐ! 俺の盾も何とかしてくれ!」
ルークはドレッドトロールの拳を避けながら、背中越しいる少女に曖昧な指示を送る。
しかし少女は意図をくみ取る。
「はっ…はいっ!」
「鋼の魂は一時の盤石を示す……ターム・アムレット……!」
少女の魔法はルークのバックラーを鈍く光らせ、硬化させる。
左手に確かな重みを感じたルークは、逆手に持つロングダガーをしまうと、勇気に沸き立つままドレッドトロールに向かい走り出した。
無謀な突撃をあざ笑うがごとく、ドレッドトロールは必要以上に上半身を引かせ右手に力を込める。
ルークが射程まで近づくと、ドレッドトロールの限界まで引いた上半身が解かれ、その反動は右手一点に収束し、地を割る一撃が彼を襲う。
「はあぁぁぁぁっっ!!!」
ルークは盾を強烈な一撃に合わせるように構え――
見事に受けきった。
「うぐっ……くっ……!」
右手をその小さな盾と左手に添え、ドレッドトロールの渾身の一拳を受け続けている。
まるで剣撃でも受けているかのように、ジリジリと金属が擦れ合う音が鳴る。ドレッドトロールの金属よりも硬い拳からの一撃。
本来ならバックラーで防げるはずもない攻撃だが、驚くべきことにルークはそれを受け続けている。
いや、一番驚いたのはドレッドトロールなのかもしれない。全力の殴りを防がれたドレッドトロールは、その大きな口を開け咆哮する。
「グヲオォッッオオォォォ!!!」
「はあああぁぁぁぁっっっ……!!!」
お互いがその鍔迫り合いに全ての力を注ぐ。
その一点に互いの力が集まり、拮抗する――
無限に続くかと思われた押し合いは呆気なく終わった。
ルークがかがみ、盾を引いたのだ。
ドレッドトロールは上方向から全体重を注ぐことに集中していたため、行き場のなくなった力は虚空へと向かう。
「グヲッ……ヲオオォォォ……!」
勢い殺さず地面を強打し、巨体は地に突っ伏すように体制を崩す。
ルークはその隙に、強化された身体能力でヒラリと跳躍し、倒れ込むドレッドトロールの頭へと跳んだ。
「グヲッ……ヲォォ……オォォッ……!」
「角があって……助かるな……」
突っ伏したドレッドトロールはルークを振り落とそうと頭を振るが、角を握っている彼を振り落とせない。
ルークは右手を髪の生えていない頭に添え、魔力を込める。
込め続ける。
右手にルークの全魔力が収束し――
「終わりだっ!…………マナ・バースト!!!」
蒼い炎とも呼べる蒼黒の閃光。
『フェイル・バーム』とは比較にならない爆発音。
ルークの手から放たれた閃光はドレッドトロールの頭を吹き飛ばした。
彼の前方には何も残らない。炸裂する光は頭だけではなく、地面にまで到達し地を抉り出す。
頭部のないドレッドトロールの首元には青黒い炎が燃え滾っていた。
「はぁ……はぁ……はぁぁぁ……こんな魔力……今まで……」
悪魔の巨人を倒したルークは地面に飛び降りるが、全てを出し尽くした彼は力なく倒れ、同時に彼の安堵を気に掛ける声が聞こえた。
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