1-2 【森の化け物】ゴブリン
(ここが巣か……)
森の奥でゴブリンを見つけたルークは、獣の死体を引きずっているゴブリンと一定の距離を保つ。
ゴブリンは群れで生活している社会性のある魔物であり、巣で食事をすることも多いため、ルークはゴブリンをすぐには殺さず、尾行し続けていた。
ゴブリンは成人男性の半分にも満たない身長で、体格も貧弱だが、頭部は異様に大きく、均整の取れていない身体が一層醜悪な外見を際立たせている。
加えて目、耳、鼻、口、その全ての部位が人間より肥大化しており、歪んだ顔立ちは誰しもが容易に想像できるだろう。
(だがここは……随分と大きそうだな……)
ルークの視線の先には、荒い山肌にぽっかりと大きく、口を開けた洞窟があった。
死体を引きずるゴブリンは躊躇することなくその穴へと入っていくが、ルークはゴブリンの後へは続かず、洞窟の周辺を凝視する。
「この規模だと、山に繋がってるかもしれねえな」
気だるそうに呟くルークは、警戒を強めながら洞窟の入口まで近づいた。
ルークが警戒するのも無理はないだろう。彼の目の前に広がる洞窟は、ゴブリンの住処としてはあまりにも巨大だった。
岩山に点在する小さな横穴とは異なり、この洞窟は見るからに山の内部へと続いているようで、ルムンスト山脈の深部へと繋がっている可能性があった。
ルムンスト山脈内部には魔物が生み出される大穴『エリムザニアの大穴』が存在する。
ティルファランドに住む者なら誰しもがその名を忌まわしく思い、恐怖と嫌悪を抱く場所である。大穴から溢れ出る魔物たちは、人々に悲惨な災厄をもたらしてきた。
この洞窟がルムンスト山脈と繋がっているならば、その中には恐ろしい何かが待ち受けているに違いない――ルークの冒険者としての勘が、彼の足を止めていた。
ルークが受けた依頼は、村近辺に住むゴブリンの殲滅である。1匹だけでは到底殲滅とは言えないため、依頼を完了するには巣の場所を付き止め、壊滅する必要があるだろう。
「依頼のためだ……行くしかねえ」
覚悟を決めたルークは革のポーチから手のひらに収まる、杖のような物を取り出し、洞窟に踏み入れた。
「ニムル!」
ルークが魔法を唱えると杖の先端が輝き始める。金属製の杖の先端には魔石がはめ込まれており、魔石が一瞬白く発光すると、杖の先端を中心に辺りを照らし始めた。
ルークの唱えた魔法は冒険者が光源に使用する魔法であり、多くの場合は魔法師の杖の魔石を発光させるが、彼は戦闘で杖を使用しないので、手に収まる光源専用のペンワンドを所持していた。
魔石はかけた魔法を増幅し、魔力現象を持続させる作用がある。弱い魔力で魔法をかければ、あとは魔石の魔力が尽きるまで、勝手に魔法現象を持続させるため、蝋燭のように使用できる。
ルークは入口から少し歩くと、ポーチから今度は長細い紐を取り出した。紐を壁のそばにあった大きな石に巻き付け、同じ要領で反対側の壁にあった石にも紐を巻き付ける。
そして足首の高さで張り詰めた紐に、ルークは再び魔法を唱えた。
「シーナス……!」
その魔法は、対象物に魔力を目印として印し、対象物が動いた際の振動が、魔力を通して術者に伝わるものであった。
物体に塗布した自身の魔力の揺らぎを、感じ取るだけの単純な魔法であり、探知・感知に属する魔法系統の中でも『シーナス』は基礎的な魔法である。
これにより入り口付近に反応があれば、何かしらが洞窟を出入りしたことを察知できるだろう。
出入口がいくつあるか分からない洞窟の中で、魔物に挟撃をされるのは致命的である。その為、万が一を考えての魔法であった。事前に魔物の挟撃を察知出来るのなら、その分対処の策を練る時間が生まれるからだ。
(行くか)
洞窟へ踏み入れる最低限の準備を済ませたルークは、ロングダガーを右手で構え、ぼんやりと発光する光源を頼りに洞窟内を進んでいく。
♢ ♢ ♢
(何かいるな……)
ルークの視線の先には暗闇しか映っていなかったが、何者かの咀嚼音やそれに伴う所作の音が響いており、暗闇で何かが蠢ているのは確実だった。
ルークは意を決し、逆手に持っていたダガーを腰に納め、右耳を塞いだ。そして左に持っていた杖を暗闇に投げ入れると、すぐさま左耳も塞ぎ――
「ヴェント・ニムル!」
激しい炸裂音と共に、地面に落ちた杖が強烈に発光した。
「……グェ……?…………イェッアァアァァ……!」
閃光は闇に蠢いていた彼らだけではなく、空間内を全貌を明らかにする。
大きく開けた空間内には6体のゴブリンたちが座っており、辺りには獣の肉片や骨が散乱していた。
(3,4,5体に……あれはホブか……! くそっ……やるしかねえ!)
ルークは再度ダガーを抜くと、ゴブリンたちのもとへ走り出す。
暗闇から強烈な音と閃光を受けたゴブリンたちは、空間内の明るさに順応出来ておらず、ルークはその隙を見逃さなかった。
彼は胸のベルトに携えていた武器をゴブリンたちに投げつける。
「グェッイァア……!」
「イ゛ェアアァァ……!」
風切り音と共にゴブリンたちの醜悪な喘ぎが洞窟内に響き、杖の近くにいた2体のゴブリンの胸に、スローイングダガーが突き刺さる。
ルークは再びスローイングダガーを投げつけると、空気を引き裂き、鋭い音が響く。そしてダガーの刺さったゴブリンの1体に、再び刺さると――
ゴブリンの胸が炸裂した。
「グェッ゛イエエアァァ……!!!」
断末魔と共に2体のゴブリンの胸が張り裂けていた。
スローイングダガーには魔石が埋め込まれており、小規模な炸裂魔法を引き起こした。ルークは弱い火の炸裂魔法を込めただけであったが、ゴブリンの胸部を破裂させるには充分な威力であった。
瀕死になった2体のゴブリンを横目で確認しつつ、ルークは瞬時に、最も近いゴブリンに狙いを付ける。
ルークは駆け寄る速度を殺すことなく、ゴブリンの脳天に両手の一撃を振り下ろす。
「はぁぁあっっ!!!」
ルークのロングダガーに、グシャリという確かな感触が伝わるのと、ゴブリンは断末魔を上げる。
「グィ……!ヴェッ゛エアァァ……!!!」
「3体目だ……!」
絶命の手ごたえを感じ取ったルークは、ロングダガーを順手で引き抜きながら即座に地面を蹴り、ゴブリンから距離を取る。
ルークは視界を奪われ、うずくまっていたゴブリン3体を一瞬にして屠った。だがこれで全てではない。
奥にいた3体は閃光の効力が手前の奴らより弱かったのだろう。彼らはすでにルークのことを視認していた。手には粗悪な棍棒を握られており、臨戦態勢だった。
「ギィイィイアァァァッッ……!!!」
ルークの襲撃に激昂した2体のゴブリンが威嚇する。
ゴブリンたちはすぐさまルークに襲い掛かり、彼はとっさにバックラーとダガーを構えた。
(大振りだ……!)
ルークは後方へ蹴り出し、攻撃を難なくかわすが、間髪入れずに今度は横振りが飛んでくる。
低い位置から繰り出された横薙ぎを、ルークは上方へと跳躍すると、身体を捻り、ゴブリンの側頭部に蹴りを入れ込む。
体重差のある強烈な一撃にゴブリンは吹き飛ぶが、もう1体のゴブリンがすかさずルークに襲い掛かる。
「また大振りか……」
「ギィイシシィイアァッッ……!!!」
ルークは盾を身構えながら身体を捻り、繰り出された縦振りを最小限の動きでかわすと、その勢いのまま一回転する。
回転運動で勢いの付いた右手は、ゴブリンの首に狙いを定め――
「ギシイイィェ…………ァァッ……!」
叫んでいたゴブリンの声が一瞬で鳴り止む。
蹴り飛ばされたゴブリンは起き上がると、再びルークに向かうが、学習することなく威力を求めた大振りの攻撃を繰り出す。
ルークは左手の盾に力を込めると、ゴブリンの一振りを外側へと弾き返した。子供より筋力があるとはいえ、体格で劣るゴブリンの一撃は、ルークのバックラーでも防げる威力だった。
体勢を崩したゴブリンに、ルークはとどめの一刺しを突き入れた。
「はぁぁ……すぅぅぅ……はぁぁぁ……」
5体のゴブリンを殲滅したルークだが戦いはまだ終わっていない。彼にとって、これからが本番であった。
ルークは息を整えながら最後の魔物と対峙する。
「面倒だな……!」
「……グシィアァァ゛アァァ!!!」
今まで一番大きな雄たけびが洞窟内を反響していた。
「ホブゴブリン……」
10歳児程度の身長だが、子供は不似合いな発達した筋肉を持っており、筋肉だけを見た場合、鍛えている成人男性と同じである。
通常のゴブリンより大柄な個体をホブゴブリンと呼称しており、一番の違いは知能と戦闘能力の高さだった。高いと言っても、あくまでゴブリンと比べた場合であり、オークほどの社会性と戦闘力は持っていない。
しかしルークが対峙しているこの個体のように、冒険者の装備を正しく着用する程度の知識は持ち合わせている。
どこからか拾ってきたのだろうか、はたまた戦利品か。右手には剣身が湾曲したシミターが握り締められており、ホブゴブリンの低身長に相まって、より剣身が長く見える。
身長に合っておらず不格好だがレザーアーマーに肘当てまで装備していた。
そしてルークにとって何より目を見張るのは――
(あのラウンドシールド……厄介だな……)
盾は剣撃を防ぐのに有効であり、ルークの使用するロングダガーのような短剣では、なおさら容易に防ぐことが出来る。ミストルティー製のダガーでもなければ、あの盾を正面から攻略するのは至難の技であろう。
「グゥィィィ…………」
(くっ……!)
ルークとホブゴブリンはお互いの出方を伺っていた。
ホブゴブリンが盾を構え、一歩踏み出す。それに合わせ、ルークも盾を構えながら一歩下がる。するとホブゴブリンはさらに踏み込んでくる。ルークはまた下がり同じ距離を保つ。
この時点でゴブリンとホブゴブリンの戦闘能力の差は明らかだった。ホブゴブリンは互いの武器の有効距離を把握しており、自身の優位性も理解していた。
(盾がある限り無理だな……魔法を使うしかねえ……!)
「グゥイェェェ…………」
ルークは足元を確認すると走り出す――
ホブゴブリンも後を追うように走り出した。
ルークは走りながら再び、胸のベルトへ手を伸ばすと、身体を捻り、魔石の埋め込まれていない通常のスローイングダガーを投げつける。
ホブゴブリンは当然のごとく盾を構えると、投げられたダガーは乾いた音を立てて突き刺さった。
低身長のゴブリンが少し盾を構えるだけで、身体の大部分が隠れてしまうため、ダガーを防ぐことなど前を見ていなくても可能だろう。
しかしルークはその行動を予測しており、ダガーを投げつけた左手は突き出されたままであった。
手の前でバチバチと音を立てながら火花が生まれる。火花は輝きを増し、球体を形成すると、それは炸裂する魔法となる。
「フェイル・バーム!!!」
ルークの左手から飛び出した火球は、まばゆい閃光を纏いながらホブゴブリンの盾の前で炸裂した。
衝撃音と共に盾が粉々に弾け飛ぶ。煙が立ち上ると、木と肉の焦げた匂いが辺りに漂い始めた。
「グェィ……イッィ……グイェ゛アアアァァァァァ………!!!」
ホブゴブリンは膝を折り、痛々しい咆哮を上げていた。
直前まで構えていた盾だけではなく、二の腕から下が完全に消滅し、盾の破片の一部が顔に突き刺さっていた。
(くそっ! 威力を抑えすぎたか……!)
「グェイ……グェッ……グェッェェイイィィィ……!!!!!」
左腕を吹き飛ばされたホブゴブリンは、痛みにのたうち回るかのようにシミターを振り回していた。
ルークが放った『フェイル・バーム』は火球を炸裂させる火の魔法であり、魔力の量次第で金属をも吹き飛ばすことが出来る威力を持つ。
魔法を使える冒険者にとって攻撃魔法は何よりの武器であり、遠くから敵を攻撃出来るということは、どんな武具よりも優位性を確保できる。
ルークが短剣という、有効範囲に致命的な欠陥を抱える武器でも、戦えている理由がそれである。
「グェアァァァァ!!!………グェイ!グェエイアアァァァァァ!!!!!」
痛みに悶えるホブゴブリンであったが、その痛みは怒りへと変わっていった。
「ググッウェイアアアァァァァ……!!!」
興奮と怒りに任せて向かってくる姿は、まさに獣そのものであった。暴れる家畜を作業的になだめるかのよう、ルークは攻撃を華麗にかわしていく。
(隙が出来れば……ここだ!)
ホブゴブリンの力任せな縦振りは、シミターの刃先を地面に突き刺す勢いだった。
ルークはその一瞬の隙にシミターの刃先を踏みつける。
「イィ……イッァ……゛イィィ……」
ホブゴブリンは必至でシミターを引き抜こうとするが、既にダガーの間合いであった。
「終わりだ……!」
顔面を一突き。二突き。三突き――
ルークはダガーを突き刺した後、バックラーを薙ぎ、ホブゴブリンを吹き飛ばす。
倒れたホブゴブリンににじみ寄ると、とどめを刺した。
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