「——しはどうなの」

「あー、うん」

「何、うんって。最近反応おかしくない?」


そこまで言われてやっと周りの環境への意識が確かなものになった。

教室の窓から差し込む光はいつの間にか夕さりのものとなっていて、どれだけの時間が経ったのかを知らせてくれた。

「あー、ごめん、熱中しすぎてた。まぁまぁだよ。私もう帰らないと」

「……ふーん、分かった。じゃあね」

彼女の返事とその後ろ姿は物憂げなもので、集中から放たれたばかりの私を少し煩雑にさせた。


結局、こんなに時間をかけても、納得のいくものは作れはしなかった。別に、すぐ作れるようなものでもない。それは分かっているのに、作りたいものの形すら上手くまとまりはしなかった。

ソフトを入れてから数日経った。

できたものは見栄みばえだけのものばかりで、「私の作りたいものはこれじゃない」を心の中で繰り返していた。

そんな中、他の曲も味わってみても、自分の作ったものとは明らかに違うことは分かっても、それは何故なのかはわからぬまま、ただ時間だけが過ぎて腑に落ちないモノだけが増えていく。

そんな迷いの中でも、私を明るくさせるものは音楽だった。


自分の家に戻り、自分の部屋に入って、机の上にノートパソコンを置いて、今日もまたよく分からないまま自分の作りたいものを表現しようとしてみる。

途中でご飯を食べて、お風呂に入って、やるべきことを終わらせる。その他は全てそれに費やした。

何が違う、何が足りない。


そうして、自分の作りたい音を只管ひたすら作り続けたその日、やっとのラインのものができた。

残りわずかの体力で音源と歌詞とギターの楽譜ファイルを唄に送信した。

ベッドに倒れこんで自問自答する。私の作りたいものは本当にこれなのだろうか。

そんな問いの答えはいくら考えても結局「それはでしかない」というものにしかたどり着けやしなかった。

無限に思考が続く中、真っ暗なベッドの中で私の意識は落ちて行った。


私に起きろと言わんばかりの音で意識を覚醒したのは、目覚まし時計の音だった。この世界で唯一好きではない音だ。これだけは煮ても焼いても食えやしない。

まだはっきりしていない意識で目覚まし時計の時間を確認する。その後、スマートフォンの画面に映る時計の時刻も確認する。後者の行動には意味などない、何かの癖だ。

時計の下に並ぶ通知センター。その中に唄からの返信もあった。

『聴いとく』、たったそれだけの返信だった。まぁ、別にどうでもいい。

取り敢えず私はベッドから出ることにした。

今日もまた、音楽を食べながら支度を終わらせる。ご飯を食べて歯を磨いて身だしなみを整えて。そして、「いってきます」とともに、明るくなり始めた空の下を自転車で進む。

この間も音楽を頬張る。本来イヤホンしながらの自転車運転は取り締まる冪なんだろうが、右耳だけイヤホンをつけることで、ほんの少しだけ罪悪感を和らげる。

坂道でペダルから足を離す。まだ少し涼しいくらいの風が向かい風として襲う。襲うと言っても、気持ちいいくらいだ。

聴いている音楽が終わるくらいに駅は見えてくる。そう、いつも見慣れているもの。

いつも通り、定期券を使って改札を通る。私がいつも乗っている電車は上り。あと数分で到着する。

もう片方の左耳のイヤホンをケースから取り出す。数秒で起動し、音楽は輝き始めた。

音楽はいい。耳から入っていつも私をお腹いっぱいにしてくれる。

一つ一つの曲に良さがあり、味がある。それぞれ味が違うから、音楽という一括ひとくくりの中でも楽しむことができる。


いつの間にか、私は教室に着いていた。

いや、ここに来るまでの事は記憶にはある。ただ、登校という行為を無意識に行っていたからだ。

いつも同じ行動を続けていたら、そんなこともあるだろう。

ただ、一つだけ、いつもと違い、教室には誰も来ていなかった。

ただ一人を除いて。

窓が開いて、カーテンが棚引たなびいているその教室で凛としたふるまいで前方の椅子座っている長い髪を藤二藍ふじふたあいの髪紐で結っている彼女。

唄だった。

彼女はこちらの気配に気づいたのか、つけていた茜色あかねいろのイヤホンを外してこちらに話しかけた。


「おはよう。送ってきてたやつ聞いてたんだ。サビだけでいいなら歌うけれど」

「もう覚えたの? 早いね。うん、お願いできる?」

彼女はそれから何も言わず、送った音源を小音量で流した。


深く息を吸って、唄いだした彼女の姿は、より一層美しく、練習を重ねたことがわかる唄声は私を満たしてくれそうなほどで、私の作った曲が輝いているようだった。


でも。

「違う、そうじゃない」


私の本心はいつの間にか口から零れていた。

それを聞いた彼女は不機嫌な声で返した。

「違う? 何が違うの」

「あ、いや、そうじゃなくて」

「いいよ。もう。咲奈は私と音楽やりたくないんでしょう?」

私の弁明は苛立ちを覚えている彼女には届かなかった。

「みんなそうだよ! そうやって私から離れていく、私は音楽を誰かとやりたいだけなのに」

私に心情を打ち明ける唄の目からは大粒の雫が少しずつ零れていた。

それと同時に彼女の声色は悲痛なものに変わっていく。

聞かれていたのだ、先日の会話を。

「……どれだけやったって音楽への熱意も、才能も、何もかも全部咲奈には勝てない。だけど、私だって必死に頑張ってる。なのに、最近咲奈反応薄いし、私と音楽やりたくないんでしょう!?」

床にぽたぽたと涙が零れる。


別に彼女の言っていることがすべて正しいとは本心から思ってはいなかった。彼女は私より才能はあるのだから。

でも、それを言い返そうとは思えなかった。

それが、何か私の核心をついているような気がしていたからなのか、彼女の必死な態度が私にそれをやめさせたのかは分からない。

ただ、私はそこで無言を貫くことしかできなかった。


「もういい」

そう言って教室から出て行った。

いつもは音楽を味わう時間。唄と音楽について語る時間。それなのに、私はそのどちらも楽しむことなどできなかった。

その権利すら、私は持ってなどいなかった気がしたから。



その日、彼女は私に目すら合わせてはくれなかった。

彼女の唄声。それは私のとってとても良いもので、私の曲に息が吹き込まれたかのような、そんな気がしていて、その時の唄声を、数時間たった今でも脳裏に焼き付いていた。

ただ、それには不満があって、それは彼女へのものではなくて、私に足りない力へのもので。

それを何とか言語化して唄に伝えたかったのだけれど、彼女の私を避けようとする行動はそれを「聞きたくない」と言っているような気がして。結局その日、言い訳でしかない言葉を伝えることは叶わなかった。


何が違ったんだろう。もし、私に才能があれば、のいく曲を作れていたら。


別に、音楽としては成立していた。そのリズム、メロディー、歌詞は我ながら聴けるほどのものではあったはずだ。今はただ、唄にあって、私にはない才能がとても羨ましかった。

ただ後悔だけが募る箱型列車の中で、飴を舐めて口から雑言が溢れないようにするので精一杯だった。いつも会話としては出てこない言葉がこういう自分の身を削り取るために出てきてしまうことに苛立ちを覚える。なんなんだ、本当に。

最後までやりきれない自分をいい塩梅という言葉でひた隠す。結局、自分をただ、言葉で取り繕うことでしか、懺悔紛いのことはできなかった。いや、懺悔紛いにすら至らなかった気もする。


いつも供給していた音楽は、今日初めて味気のないものに思えた。全てが虚空に消えていって、こんなことは初めてで、周りの人間がいつも送っている生活の筈で、それがといわれているものなのに、私には耐えきれなかった。

スマホを取り出して唄とのトーク画面を開いてみて、メッセージを送ってみようだとか考えてみても、どこか、後ろめたい自分がいて、それを消して開いてを繰り返す。


そんなこんなで家の前について、いつものように自室に入り込む。いつも愛用しているイヤホンさえ、床に投げ捨てたいほどだった。

夕飯を食べにリビングに行ったとき、私がイヤホンをつけていないことに父と母は驚いていた。「いつもと違う」と私を心配していた。いつも私が音楽を聴いていることを異常として扱うのに、聴かなくなっても心配するだなんて、じゃあ私はどうすればよいのかと焦燥が募った。

いつも通り、するべきことを終わらせてベッドに倒れこんだ私にかかる重力はいつもより大きかった気がした。いや、別にそんなことは実際ないんだろうと思うのだけれど、私に何もさせなくするには十分すぎる重さだった。

ベッドの上で渦巻く何か。それらは自分を責め立てるか、自分の行動に対する後悔か、自分自身に対する嫌悪か、多すぎてわからなかったけれど、それが負の感情であることに変わりはなかった。

結局、これから私に音楽を楽しむ権利などない。才能が無いのに、最初から粋がるべきではなかった。


……あぁ、こんなに重苦しいのに、いつも通り意識は沈んでいくなんてね。

明日は唄にどういう態度をとろう。

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