「ねーえー、一緒にやろうよー音楽ー、好きなんでしょー?」

気にしないというのは私には無理だった。いや、私じゃなくても無理だったのかもしれないけれど。

「好きだけど、別に誰かと一緒に音楽やるつもりはない」

「なんでよー」

今は放課後、そう、放課後なのだ。授業に縛られない時間。でも私は今唄という人間に縛られている。

授業が終わってから、私は学校に来た道を反対になぞろうとしていた。でも、そこで後ろから唄はついてきたのだ。というか、唄はこっち方向に帰る人間だったっけ?


「あ、そうだ。今からカラオケ行こうよ」

「は? いや、そのまま家に帰るから」

「いいじゃん、私たち華の女子高生だよ? 今くらい楽しもうよ」

「ちょ、ちょっと……!」

くっ、意外と力が強い。


そのまま、半ば無理やりに連れていかれるようにして、学校最寄りのカラオケへ連れていかれた。

時は夕暮れ、どうせこれは結構な時間拘束される流れだ。親に連絡くらいは入れておかないと。

オレンジ色の光に照らされるスマホのスクリーンを、引っ張られる手と反対の片手だけでなんとか文字を打ち込み、諦めて、自分から歩くことにした。

唄は手を放してくれたが、結局ここで逃げ帰っても、明日絶対何かしら絡まれるだろう。

……まぁカラオケくらいなら……。

そんなことを考えつつ、二人並んで朱鷺色のアスファルト道を歩いた。

その隣では一日の終わりを求めて帰路をなぞる車が反対方向に走っていく。


「私も音楽好きなんだけどさ、咲奈は私よりも音楽が好きだよね」


「そんなことない」と否定しようとしたけれど、今までの自分の行動は口から出そうになった言葉を既のところで堰き止めた。

もし、口から出てしまったら、自分の今までの行動全てが否定されるような気がした。音楽は私の全てと言っても本当に過言ではなかったから。

「まぁ、そうかもしれないね」

謙遜というものは度を越してしまうと、相手に失礼になってしまうことがある。慇懃無礼という言葉もあるほどに。ここは素直に認めようとしたけれど、「かもしれない」という形でつづってしまったのは、何かから逃げようとする心の現れなんだろうか。


「かもしれない、じゃなくてそうなんだよ。私にはわかるよ。長く音楽やってきたからこそね」


私はその言葉に少し報われたような気がした。音楽は私の依存先であるのと同時に、私の存在価値でもあったから。

「ありがとね。うたは優しいんだね」

「いやいや」と薄ら笑いを浮かべながら照れる彼女を見て、不思議と、自分のことを話してみたくなった。


「私ね、なんだって。変だよね」

「ふーん、病気なの?」

「うん」

「そうかー、それがどうしたの」

「いや、えっと……」

「あっ、ごめん、なんか広げた方が良かったかな、うーんと、てことはってこと? シンドロームってメトロノームみたいだよね」


彼女ははにかみながらそう言った。

普通なら人の病気を馬鹿にするということは怒られるようなことだろう。でも私にとっては、救われたと思えるものだった。


「あ、やっと笑ってくれた」

「え?」

「私が話しかけてから一回も笑った姿見せてくれなかったからさ」

私は今笑っていた? よくわからない。無意識的なものだったのだろうか。

「どんなにつらい事があっても笑顔でいなくちゃだめだよ。あ、ほら着いたよ」

目の前にはネオンライトでカラオケと書かれた文字が書かれた看板がそびえたっていた。

唄は躊躇ちゅうちょなくそこへ入っていった。私もそれに続く。

カラオケなんていつぶりだろう。最後に行ったのは冬休み期間中だったような気がする。


「うーん、流石にフリータイムは長すぎるから、ドリンクバー付きで一時間くらいで!」

「ドリンクバー付きの一時間ですね。こちら、ドリンクグラスになります。ドリンクはセルフでお願いします。手前、三番のお部屋にどうぞ」

「行こ」と唄は私の手をまた引っ張って個室に入った。


「よし、どっちから歌う?」

「どっちからでもいいよ」

「じゃあ咲奈さくなからね」

「……わかった」


どっちからでもいいとは言ったが、どっちでもいいとは言ってない。

普通ここは言い出しっぺからだろうと思考を巡らせつつ、デンモクを指で操作する。

適当に流し見していく中で見覚えのある曲名を選んだ。

モニターが変化し、音楽が流れる。歌詞が張り付けられて、それに合わせて音程を意識しながら歌う。


間奏に入ったとき、唄が私に聞こえるような声で話しかけてきた。

「咲奈はドリンク何飲むの? 私のとついでに注いでくるよ」

「あ、じゃあオレンジジュースで」

「わかった」

そう言って、唄は部屋から出て行った。


二番に入った数十秒後、唄は戻ってきた。

曲ももう終わりかけだ。

「部屋からドリンクバー近くて良かったよ」

「そうだね」

「あ、ほら、ラスサビだよ」

最後に気持ちを込めて、歌ってみる。

音楽が止まった後、画面に映し出されたのはの数字だった。


「えっ、凄い! 90点以上取れるんだ」

「まぁ、そうだけど別に上手な分類じゃないよ」

「そうかなぁ」

そう言って、唄はコーラを少し口にした。しゅわしゅわと小さな音を立てているのが木製のテーブルを挟んだ反対側に座っている私の耳にもわかった。


「次は唄が歌ってよ」

「えぇ、あんまり自信ないんだけどなぁ」

じゃあなんでカラオケに呼んだんだよ、と内心ツッコミつつ、私もオレンジジュースを口に含んだ。

デンモクで曲を決めた後、マイクを手に持った彼女の姿は、どこか、それっぽさを感じさせるものだった。

モニターに映った歌詞はJack Styleというバンドの曲のものらしかった。

私も名前くらいは知っている。たまに音楽を聴いているとおすすめ機能で流れてくる。


メロディーが耳に刺さった時、今までにない感覚に陥ったのを今でも覚えている。

彼女の唄は音程が外れていたり、リズムも合ってはいなかった。お世辞にも、世間一般的にと言えるほどのものではない。それは自分には理解できたのだけれど、何か光るものが彼女にはあった。その立ち振る舞いなのか、唄っている時の彼女の真っすぐな目なのか、私にはわからなかったけれど、音楽センスとはまた違う、人を動かす力のようなものを感じた。ひきつけられる理由、それを言語化するのはその時の私にはすぐには難しかった。


「くぅーっ、か、負けちゃったよ。やっぱ流石だね、咲奈ちゃんはさ!」

「いやいや、そんなことないよ」

今度は本当に謙遜などではなかった。自分の中で、清々しい程の負けたという気持ちがあったから。


それから、歌うことに夢中になっている内に、一時間という長さはあっという間に過ぎ去っていったのだが、それはとても充実したものだったと、カラオケを出てから思った。

そして、あれから、自分の考えていたことをできる限り言語化した上で、口から漏らした。


「唄はさ、才能あるよ。物事の好き嫌いだとか、またその別の次元で、唄には才能がある。それが私とは決定的に違うところ。私は別に音楽が好きなだけでいい。才能なんて、無くたっていいって思ってる。でも、こんなに才能が無い私と本当にユニットを組みたいの?」

唄は少し考えてから私の問いに答えた。

「んー……。咲奈はさ、音楽を聴いている時に目がキラキラってしてるんだよ。自分では分かってないかもしれないけどさ。そこで思ったんだけど、咲奈が音楽を聴いてるのって食べ物をみたいだなって。変な例えかもしれないけどさ、私の語彙力じゃこれが限界かな」


…………?

そういう視点は私にはなかった。そしてあっけらかんとしている私を見て彼女は続けた。

「私にとっての音楽って、聴きたいときに聴くものなんだけど、咲奈はちょっと違うかなって思ってさ。なんというか、足りなくなったら聴くみたいな? あーもうわかんないや」

唄は微笑みながら言葉を放棄した。

「……まー、点数で負けた私の何処に才能を感じたのかわからないけどさ、咲奈は私よりも音楽が好きなんだから凄いんだよ。それだけは言える。だから、私は才能で勝ちたくて今日カラオケに誘ったの。結局負けちゃったけどね。だから、逆に一緒に音楽やりたい気持ちが大きくなったっていうか、やるなら寧ろこっちが大丈夫かな、って感じだよ」

「そうなんだ……」


何かが自分の心の中で片付いたような気がした。

昨日よりも今の自分は何処か、綺麗な気がしていた。


「それで、私は何やればいいの? ボーカルさん」

「え、それってどういう……?」

「ユニットやるんでしょ?」

「え、本当に?」

「やるの、やらないの?」

「や、やります! よろしくお願いします!」


夜縹よなはだに染まる町中を、一人の夢見る少女と一人の夢に耽る少女が肩を並べて歩いていた。

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