第33話 水上の対決(4) 才一郎の目覚め
「才ちゃん、もう大丈夫だ。さあ、僕たちのいかだに乗りなよ」
凡ちゃんはそう言って、いかだの外に身を乗り出すと、岩の上の才一郎に思い切り手を伸ばした。才一郎の手が凡ちゃんの手にしっかりと握られ、才一郎が水中に体を入れた。背が届かないくらい深い。両手を伸ばして私たちのいかだに取り付くと、才一郎の体が、少しずついかだの上に乗ってきた。だが、凡ちゃんは突然才ちゃんの手を離したんだ。才一郎はわっと叫んで再び水中に落ちた。そして首まで水につかって足をばたばたさせながら、いかだにしがみついた。凡ちゃんは再び才一郎に手を差し伸べた。
そのとき私は小さな声で「あっ」と叫んだ。小学校のとき、凡ちゃんから授業中に水をかけられた時の光景をありありと思い出したんだ。あのときと同じだ! 私は何度も何度もうなずいた。
「思い出したよ、凡ちゃん。あのとき、どうして凡ちゃんが私に筆洗いのバケツの水を浴びせたのかを。私は今までそのことをすっかり忘れていた。あのとき私は絵を描くことに夢中になり過ぎて、お小水を漏らしてしまったんだ!
でも凡ちゃんが水を浴びせてくれたおかげで私は救われた。そして凡ちゃんは、先生から厳しく叱られても、本当の理由を決して口には出さなかったんだ。
今また凡ちゃんは、岩の上で死への恐怖のあまり才一郎がお漏らしをしてしまったことに気が付いて、ズボンの汚れを落とさせるために、川に突き落としたんだね。」
私の目に涙があふれてきた。
そのときクスシとガハクのカヤックが急流の入り口に戻ってくるのが見えた。カラスの大群が鳴き騒ぐので、異変に気が付いて左岸から戻ってきたのだろう。後ろから二艇のボートがついてくる。彼らが右岸の入り口に顔を出したちょうどそのとき、凡ちゃんが才一郎の手を離して水の中に落としたところだった。オヤカタたちの目には、助けを求める才一郎を、凡ちゃんがわざと突き落としたように映ったに違いない。
でもそうじゃないんだよ。凡ちゃんは才一郎の尊厳を守ろうとしていたんだよ。あのとき私を守ってくれたように。
「やめろ! お前たち、何をやっているんだ!」
とオヤカタが叫んだ。
「凡、ダメじゃないか!」
とコモセンも怒鳴った。
オヤカタたちのボートが急流に入ってきた。上下に揺れながらもうまくパドルをあやつって私たちのいかだに近づいてきた。コモセンが、水中からいかだに乗り上がろうとしている才一郎に優しく声をかけ、手を差し伸べた。
「才一郎、大変な目にあったな。だが、もう大丈夫だ。さあ、こっちのボートに乗りなさい」
だが才一郎は、自分に差し伸べられたコモセンの手を強く振りはらった。そしてコモセンをにらみつけながら叫んだんだ。
「やめてくれ! もうたくさんだ!」
ああ、才一郎はそのとき、自分の本当の敵がだれなのかを悟ったに違いない。どんなに悪いことをしても自分を許し続ける大人たちの甘やかしこそが、自分を悪魔に仕立て上げようとしていたんだってことを。
子分たちから置き去りにされ、激流の岩の上で孤立無援の状況に立たされたとき、初めてそのことに気づいたんだね。
「だめだ、才一郎。こっちに上がれ」
オヤカタがそう言って才一郎を水中からボートに引っ張り上げた。頭やシャツに血のにじんだ才一郎を横たえるとオヤカタは私たちに向かって怒鳴りつけた。
「お前たちのやったことは犯罪だぞ。悪質ないじめだ。絶対に許さん。警察と教育委員会に訴えて必ず罰してやるからな。覚悟するがいい」
その隣で才一郎が、泣きながら何度も叫んでいた。
「違う、違うんだ!」
私には、その泣き声が、新しく生まれ変わった才一郎の産声(うぶごえ)のように聞こえたんだよ。
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