第32話 水上の対決(3) 進也の逆襲

 才一郎たちとグッジョブたちが空中戦をやっているとき、中州の雑木林の中から突然進ちゃんの声が聞こえてきた。そして姿を現すと、水際(みずぎわ)まで走ってきた。

 笑顔だ! 久しぶりに会う進ちゃんは、元気そうだ。

「進ちゃん!」

 と、私たちは口々に声をかけた。

 「凡ちゃん、こっちだ、こっちだ。僕をそのいかだに乗せてくれ」

 私たちは進ちゃんに向かって全力でいかだを漕いだ。右岸の入り口付近にいた才一郎たちが気がついて追ってくる。私たちのいかだがひと足早く中州に近づくと、進ちゃんはジャブジャブと水をはねながら駆け寄って、すばやくいかだに飛び乗ってきた。

 進ちゃんは重そうなリュックを背負っている。五人目を乗せたいかだがぐらぐらと上下に揺れた。

「凡ちゃん、ありがとう。よく才一郎たちを連れてきてくれたね」

 そう言ったあと、確信に満ちた口調で続けた。

「この中洲の左側を行くんじゃだめなんだ。流れの速い右側に突っ込むんだよ!」

「分かったよ、進ちゃん!」

 私たちは全力で右岸に向かってパドルを漕いだ。


 才一郎のカヤックは、カラスの集団に囲まれながら中洲に向かって突進し、勢いあまって砂地に乗り上げたところだった。カヤックの向きを変えようと苦心している。そのすきに私たちは全力でいかだを中州の右側に進めると、激しく白い波の立つ急流に飛び込んでいった。


 いかだは上下左右に揺れ、川底の岩をこすってごつごつと音を立てながらジグザグに下っていく。凡ちゃんと大ちゃんは

「負けるな、なにくそ」

 と声をかけながらパドルを漕いでいる。私は帆柱にしがみついている進ちゃんと玲ちゃんを支えながら、いかだから振り落とされないように足を踏んばる。


 私たちを追いかけて、才一郎のカヤックが急流コースに入り込んできた。カヤックは軽いだけあって動きが早い。船体を上下に揺らせながら、たちまち私たちのいかだに追いついてきた。

「進也、心配していたぞ。俺たちは、お前を迎えにきたんだ。こっちのカヤックに乗り移れ」

 才一郎がそう言いながら、私たちのいかだの目の前まできた。


 だが次の瞬間、才一郎のカヤックが、川の真ん中に突き出した大きな岩に横向きに激突した。カヤックのちょうど真ん中のあたりが岩にあたり、カヤックは岩の両側につばさを広げるようにして停止した。そして後ろから押し寄せる急流の圧力に負けて、まっぷたつに折れてしまったんだ。

 わっと叫んで才一郎と公平が川の中に放り出された。ヘルメットもライフジャケットも身に付けていない二人は一瞬水中に姿を消したが、すぐに浮かび上がると、手足をバタバタと動かし、中ほどにそびえている大きな岩に向かって泳いだ。

 岩にたどり着いた二人は、岩をよじ登ると、その上に四つんばいになって蛙のようにへばりついた。水中の岩にぶつけたらしく、二人の足のあちこちから血が流れている。


 私たちは二人を助けようとしたが、流れは急でいかだは思うように動かない。進ちゃんが玲ちゃんからパドルを受け取った。パドルを持った四人で必死でそこらの岩に押しつけながら動かしていると、いかだは少しずつ才一郎たちのしがみついている岩場に近づいた。あと一メートルくらいまでになったとき、いかだは周囲の大小の岩と岩との間にはさまり、前にも横にも動かなくなった。大ちゃんがパドルを岩に押しつけて、上下に揺れるいかだをできるだけ安定させようとしている。


 そのときだ。ひゅっと音を立てて、私の頭上を何かが飛んでいき、才一郎たちがしがみついている岩にぶつかって水中に消えた。驚いて振り返ると、進ちゃんがリュックから二つ目の石をとり出し、才一郎たちめがけて投げつけようとしている。止めなければ!

「進ちゃん、やめて!」

 だが間に合わなかった。その石が才一郎の太もも付近に当たった。才一郎は

「ギャッ」

 と悲鳴をあげた。太ももから血が飛び散った。

「凡、だましたな! これはお前らの企みだったのか」

 すると進ちゃんは高らかに笑いながら言った。

「おれがお前をおびき寄せたんだよ! 間抜けなお前がまんまと引っかかったわけさ。オレがお前からされたことと同じことをするんだ。文句はないだろう!」

 そして三つ目の石を投げつけた。石は才一郎の頭をかすって鈍い音をたてて岩に当たり、はじいて公平の体にぶつかってから水中に落ちた。才一郎の髪の毛の間から血が吹き出している。公平の足からも血が出ている。二人は泣き叫んだ。

「ひえ~、やめろ、進也、助けてくれ。俺はお前をそんなにいじめなかったじゃないか。俺は才ちゃんの命令でやっていただけなんだ。みんな才ちゃんが悪いんだよ!」

「やめろ、進也。やめてくれ。俺が悪かった。脚(あし)が痛(いた)くて動けないんだよ。見ろよ! こんなに血が出てるじゃないか! 早く病院に行かなきゃ大変なことになる!」

 悲鳴を上げる才一郎の顔にも血がしたたり落ちている。だが進ちゃんは四つ目の石を手にしていた。


 そのとき、自転車に乗った西村と北岡が川岸に駆けつけてきた。岩にしがみついた才一郎と公平に向かって進ちゃんが石を投げつけるのを見て、二人が叫んだ。

「進也、やめろ! 卑怯だぞ!」

 そう言って、二人はまたもや私たちに向かって卵を投げつけてきた。

「馬鹿野郎! お前たちにそんなことを言う資格があるのか!」

 進ちゃんが大声で叫びながら、今度は岸の二人に向かって石を投げつけた。石は自転車に当たり、車輪がゆがむのが見えた。危険を察した二人は、あわてて草むらの中に消え、再び姿を現す気配がなくなった。頼りにならない二人の子分は、親分を取り残して逃げ去ってしまったんだ。


 進ちゃんの目は憎しみに燃えている。今まで散々いじめられたうらみを、ここで一気に晴らそうとしている。このままでは本当に才一郎を殺してしまう。私たちは必死の声を上げて進ちゃんに呼びかけた。

「進ちゃん、やめて!」

 凡ちゃんも続けて叫んだ。

「進ちゃん、やめるんだ!」


 突然、公平がしがみついていた岩から水中にざぶんと飛び込んだ。そして、そのまま手足をバタバタさせながら下流に流されていく。仲間を見捨てて逃げていくな臆病者(おくびょうもの)に向かって、進ちゃんは四つめの石を投げつけた。だがそれは当たらずに急流に沈んでいった。


 子分たちに見捨てられた才一郎が、岩の上で蛙の姿勢のまま叫び続けている。

「進也やめろ! 頼むからやめてくれ! 助けてくれ!」


 進ちゃんは五つ目の石を握りしめ、岩の上の才一郎をねらって身構えた。そのとき私の耳に恐ろしい声が聞こえたんだ。

「才一郎、死ね!」

 進ちゃんははっきりとそう言った。そして明らかに頭をねらっている!

「やめろ、進ちゃん!」

 いかだがぐらぐらと揺れるのにも構わないで、凡ちゃんが叫びながら立ち上がり、低い姿勢で進ちゃんの脚に飛びついた。そのタックルを進ちゃんは後ろに飛びのいてかわした。そして不安定な体勢のまま、握っていた石を才一郎に向かって投げつけた。石は才一郎の背中をかすって岩に当たり、またもや鈍い音を立てた。才一郎のシャツの背中の部分に、みるみるうちに血がにじんでくる。


 進ちゃんがリュックから次の石を出そうとしてかがんだとき、凡ちゃんが体勢を立て直して立ち上がった。

「進ちゃん! そんなに才ちゃんが憎いのなら、その前に僕にぶつけろ!」

 凡ちゃんは両手を広げて、進ちゃんの前に立ちはだかった。

 進ちゃんが恐ろしい形相(ぎょうそう)で叫んだ。

「凡ちゃん、そこをどけ!」


 だが凡ちゃんは動こうとはしない。ああ、またもや、凡ちゃんは他人を助けるために自分を犠牲(ぎせい)にしようとしている! そう思った瞬間、私の体が自然に動き、凡ちゃんの隣に立って両手を広げていたんだ。進ちゃんが一瞬ひるんだように見えた。


 私は振り向いて、岩の上にしがみついた才一郎をちらりと見た。

 才一郎の白いズボンの一部が薄茶色に変色している! 恐怖に襲われた才一郎は小便を漏らしているんだ。いやその色の濃さからみると大便も混じっているに違いない。


 そのときだ。それまで黙って見ていた玲ちゃんが進ちゃんを見上げて叫んだ。般若(はんにゃ)みたいな恐ろしい顔つきだった。

「進ちゃん、やっちゃえ! こんな奴(やつ)は死んだ方がいいんだ! こいつは進ちゃんをいじめぬいて、最後には殺そうとまでしたんだ。私にひどいメールを送って、もう少しで死んじゃいそうになったくらいに苦しめたのもこいつだ。それだけじゃない。今までこいつにいじめられた人はほかにも沢山いるんだ。去年、こいつらにいじめ抜かれて、転校した人もいたじゃないか。こいつが生きていたら、この先も沢山の人が死ぬほど苦しむに決まってるんだよ。人をいじめて楽しんでいるような奴は、生きる資格なんかないんだ。さあ進ちゃん、やっちゃえ!

 凡ちゃん、真理ちゃん、お願いだから進ちゃんを止めないで!」

 そして才一郎に向かって叫んだ。

「お前が死んで、進ちゃんが警察につかまったら、私も進ちゃんと一緒に刑務所に行くよ! 才一郎、覚悟しろ!」

 そう言って玲ちゃんは、首からさげていたピンク色の双眼鏡を外すと、才一郎に向かって力いっぱい投げつけた。それは才一郎の背中をかすって水中に没した。わっと叫んだ才一郎は、顔を伏せたまま肩を震わせて泣いている。


 凡ちゃんが大ちゃんに向かって叫んだ。

「大ちゃん、玲ちゃんを止めるんだ!」

 だが大ちゃんは動かなかった。それまでパドルを懸命(けんめい)に岩に押し当てて、いかだが揺れないようにしていた大ちゃんが、ライオンがうなるような低い声で言ったんだ。

「玲ちゃんの言うとおりだよ、凡ちゃん。ここで才ちゃんを許したら、俺みたいにいじめられる人間が、いつまでたってもいなくならないんだよ。真理ちゃんも言ってたじゃないか。イエローカードは一枚きりだって」


 私ははっとした。河原で凡ちゃんが才一郎たちに囲まれて殴られたとき、私はたしかに才一郎にそう言ったんだ。『次はレッドカードだ。絶対に許さない』と。


 続けて大ちゃんが叫んだ。

「もし、ここで才ちゃんが死んだら、俺も進ちゃんと一緒に刑務所にいくよ!」


 私は隣の凡ちゃんを見た。凡ちゃんは、数秒間動かなかった。だが、やがて何も言わず、広げていた両手をゆっくりと下ろしたんだ。なんということだ。凡ちゃんまでが、進ちゃんと一緒に刑務所に行こうとしているのか。わかったよ、凡ちゃん。私も一緒に刑務所に行くよ。私も広げていた両手を下げた。


 私たちのやりとりを黙って見ていた進ちゃんが、一歩前に進んできた。


 急流の轟音(ごうおん)が突然やんで、世界中が沈黙したような気がした。凡ちゃんも、大ちゃんも、玲ちゃんも、そして私も、静止していた。そのとき周囲のすべてから自分が見捨てられたことを才一郎は悟(さと)ったはずだ。


 ああ、これで才一郎の命は尽きるんだ、と思ったそのときだ。凡ちゃんがすばやくしゃがみ込み、袋の中に1個だけ残っていた真っ赤なトマトを取り出して再び立ち上がった。そしてそのトマトを進ちゃんにぐいっと差し出した。それを見た進ちゃんが大声で叫んだ。

「どけ、凡ちゃん! 何でそんなに才一郎をかばうんだ」

 すると凡ちゃんが静かな声で答えた。

「違うよ、進ちゃん。僕が守ろうとしているのは進ちゃんの方なんだよ。僕は、大切な友達の進ちゃんを人殺しなんかにしたくないんだよ」


 そうなんだよ、進ちゃん。凡ちゃんの気持ちをどうしてわかってくれないの! と思いながら私は凡ちゃんの顔を見た。その瞬間、私の胸が張り裂けそうになった。凡ちゃんの目から涙が流れ落ちている! いつも冷静で、激しく怒ったり泣いたりなどしたことのない凡ちゃんが泣いていたんだ!


 そのとき進ちゃんの動きがピタリと止まった。そして数秒間、進ちゃんは石のように固まっていた。やがて進ちゃんの顔から、しだいに怒りの表情が消えていった。そしてゆっくりと私たちに背中を見せると、握りしめていた石をだれもいない方向に向かって放り投げた。

「バカヤロー!」

 進ちゃんの叫び声が激流の中に消えていった。


 凡ちゃんが、手に持っていたトマトを、もう一度進ちゃんに差し出した。進ちゃんは、うなずいて受け取ると、いかだの前方に進み、才一郎に向けて力いっぱい投げつけた。それは見事に才一郎の頭に命中した。真っ赤なしみがシャツに飛び散った。才一郎が「ギャー!」と叫んだ。


「これで終わりだよ、進ちゃん」

 凡ちゃんが優しい声で呼びかけると、進ちゃんはうなずいた。


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