第25話 八月 次々と現れる難関
ゴールラインを突破した私たちを、四艇の船が追ってきた。スポーツ振興課長があやつるボートの中に谷やんが同乗している。その後を追うようにもう一艇のボートがやってきた。そこには、オヤカタとコモセンが乗りこんでいる。さらに異常事態に気づいたのだろう。新聞社のゴムボートが付いてきた。そのゴムボートからはモーター音が聞こえる。その後ろから追いかけてきたのは、クスシとガハクの乗るカヤックだ。
カヤックはまたたく間に二艇のボートと一艇のゴムボートを抜き去ると、猛スピードで私たちに追いついてきた。いかだに横付けしてクスシが言った。
「君たちに伝えておくことが三つある。まず、君たちの行動は、レースとはもう切り離された。このことはタイショウも了解している。つまり、これから起こることの全責任は君たち自身が負うということだ。
二つめだ。君たち四人のご家族には、医者の私と担任の谷口先生が付き添って、安全を確保することを、オシショウから伝えてもらった。ただし私たちは君たちの手助けはしないし、邪魔もしない。本当に危険な場合を除いては、遠くから見守るだけだ。
三つ目は、進也君には、君たちが会いに行くことを電話で伝えておいた。この下流のどこかの岸辺で待っているはずだ」
そう言ってクスシは、カヤックに積んであったヘルメットを四つ私たちに寄こした。
続いて後ろに乗っていたガハクが、ビニール袋と一枚の布きれを寄こした。ビニール袋にはガハクが育てた真赤なトマトが十個ほど入っている。ハンカチほどの大きさの布には、四人の少年少女が乗ったいかだが、波しぶきを上げて川を下る絵が色鮮やかに描いてある。それはガハクが岸辺で描いていた絵と同じ図案だった。
私たちはヘルメットをかぶり、パドルの力を込めて下流に向かった。川はゆったりと流れ、岸辺は緑に燃えている。私たちはコロンブスになったんだ。そしてこの冒険の行く手に待ち構えているハードルは、三つくらいある堰(せき)だけだとクスシは言っていた。
だが、私たちの前に、突然思いがけない障害が現れた。
百メートルほど下ったところに、川を横ぎるように太いロープが張られていたんだ。片方は岸辺の木に結びつけられ、反対側の岸辺で、二人の係員が下半身まで水中に浸(つ)かりながら、ロープの端(はし)を握って私たちを通せんぼしている。
私たちがゆっくりとそのロープに近づいていくと、係員が
「ストップ! ストップ」
と叫んだ。
「ここから先は進入禁止です。岸に上がって、レースのゴール地点まで戻ってください」
言葉はていねい)だが、断固とした態度だ。
「僕たちは、大事な用があって、もっと下流まで行くんです。ロープを上げてください」と凡ちゃんが答えた。
「だめです。レース参加者は、最後まで規定に従って行動していただきます」
「でも、もうレースは終わったんです」
係員たちは、がんとして譲(ゆず)ろうとはしない。確かにそれは、市民の安全・安心を守るための行動だから、役人として尊敬すべき態度なのだろう。だが、私たちにとってはこんなところで止まるわけにはいかないんだ。
そのとき、いつの間にか、一艇の船が後方から現れた。才一郎たちだ。
才一郎たちのスタイリッシュないかだが解体されて、中に組み込まれていたスマートなカヤックに変身している。乗り組んでいるのは才一郎と公平の二人だけで、真ん中の二つの座席が空いている。
「僕たちはレースの参加者ではありません。一般人のカヤックです。通してください」
係員はあわててロープを上げてカヤックを通した。才一郎たちはゆうゆうとロープをくぐり、私たちに向かって嘲(あざけ)るように手を振ると、ゆっくりと川を下っていった。
役人たちは再び私たちのいかだが通過できないように、ロープを持つ手を下げた。
私たちはどうすればいいんだ。レースの参加者は断じて通さないという、お役人としての模範的な態度を前にして、とるべき方策を失っていた。
そのとき、帆柱から甲板にグッジョブが飛び降りた。そして、先ほど画伯がよこした布を脚で押さえるながら鳴いた。
それを見た凡ちゃんが声を上げた。
「大ちゃん、帆柱(ほばしら)のてっぺんに、ガハクからもらったこの旗を取り付けてくれないか」
大ちゃんは立ち上がって、今まで付いていたレース番号の旗を苦労しながら取りはずし、ガハクの描いた布を取りつけた。風にそよいで、色鮮やかな情景がひるがえる。
私はその旗を指して、精一杯の声を張り上げてそう主張した。
「私たちのレースはもう終わったんです。市民が川下りを楽しむのは個人の自由であり、権利のはずです。私たちが川下りをすることは、市長さんも了解してくれました。さあ、ロープを上げてください」
するとそれまで頑(がん)としていかだを通そうとしなかった職員が手にしたロープをさっと引き上げた。
ロープをくぐり抜けた私たちは、再び力強くパドルを漕ぎ始めた。
新聞社のゴムボートがモーター音をたてて追いかけてきた。乗っているのは、いつか校長室に取材にやってきた二人の記者だ。記者は私たちのいかだに近づいて、写真を撮った。そして先頭の凡ちゃんにマイクを向けて矢継ぎ早に聞いた。
「君たちはこれからどこに行こうとしているのですか? ゴールはどこなのですか? 目的は何なのですか?」
「僕たちは、未知の世界に冒険の旅に出たのです。目的は、自分たちの力の限界を突破することです。若者の挑戦です!」
その言葉はとても抽象的だったけれど、私は、以前議場で語ったときのような高揚感に包まれていた。
「分かりました。がんばって下さい」
と声をかけると、ゴムボートはいかだから離れ、モーター音を響かせながら上流へ戻っていった。
私たちはいっそうパドルをこぐ手に力を込めた。
岸辺で、緑とオレンジ色のあざやかなカワセミが岸から水中に飛び込むと、魚をくわえて飛び上がった。長いくちばしの先で小魚が踊り、くちばしの奥に消えた。そのドラマを私たちは息を飲んで眺めた。生き物たちのひたむきに生きる姿が果てしなく美しく感じる。私たちも今、同じようにひたむきに生きているんだ。
やがて私たちの前に大きなハードルが近づいてきた。最初の堰(せき)だ。五十メートルほどもある川幅の全面を横切るようにコンクリートの壁が立ちはだかっている。そのダム状の堰の向こうに水が流れ落ちる大きな音が響き渡っている。その手前では川の流れが止まり、水面(みなも)は湖のように静かだ。
私たちは、いかだをロープで岸辺につなぎ止めて岸に上がり、水ぎわを歩きながら堰を越える手立てを探した。するとダムの端に階段状になった下り坂の魚道があった。その長さは二十メートル、高さは五メートルほどだ。水の深さは十センチほどで傾斜はゆるい。だが、水はかなりの速度で流れ落ちている。
そのとき帆柱の先からグッジョブが飛び立った。そして魚道近くで遊んでいたカルガモたちを「カー! カー!」と鳴きながら追い立てた。カルガモは驚いて逃げながら、お得意のコースとばかりにすいすいと魚道の斜面を下っていった。あの水鳥たちのようにいかだを下らせることができればいいんだと、私たち四人は同じことを考えながら眺めていた。
凡ちゃんが力強く言った。
「僕が一人でいかだに乗って、一気にこの魚道を下るよ」
大丈夫だろうか。ひっくり返ったりしないだろうか。
私たちの心配をよそに、凡ちゃんが操(あやつ)るいかだは、ゴンゴンと音を立てて、コンクリートの階段にぶつかりながら魚道を滑(すべ)り降りた。いかだは魚道の上り口にぷかりと浮かんで安定した。どこもこわれてはいない。岸辺で見守っていた私たちが拍手をすると、凡ちゃんは、晴れがましい顔で私たちを見上げ、大きく手を振った。凡ちゃんが今までよりもずっと大きく見える。
私たちは、ナイアガラの滝のようにごう音をたてて大量の白い泡を落下させている堰を後ろに見ながら、再びいかだに乗り込んだ。
少し下っていくと川幅が少しずつ広がり、それに伴って水深もだんだん浅くなってきた。やがていかだの底がゴツゴツと川底に当たり始めた。水深は三十センチほどだ。場所によってはほとんど石ころだらけで水がないところもある。このままでは動けなくなる。
「みんな、いかだから降りよう。ここからは引っ張って歩くんだ」
凡ちゃんの判断に賛成した私たちは、いかだにつないだロープを引っぱって歩いた。真夏の川の水が心地よい。クスシの言ったとおり、ディズニーランドよりもずっと安全で、百倍も楽しい川旅だ。
上流では、大人たちのボートが浅瀬を下るのに苦戦しているのが見える。才一郎たちのスマートなカヌーは喫水線が浅いから、こんな難所もすいすいと下っていったのだろう。その姿はまったく見えない。
岸辺の水の深い場所では、釣り人たちがのんびりと糸を垂らしている。水辺の道を散歩する人が増えてくる。親子づれが私たちに手を振る。凡ちゃんはそんな人たちに出会うたびに、手のひらをメガホンの形にしてていねいに挨拶(あいさつ)をする。
「僕たちは今、手作りいかだで川下りをしています。釣りのお邪魔をしてしまって申し訳ありません」
すると穏(おだ)やかそうな中年の男の人が声をかけてきた。
「あの橋の下をくぐって少し下ったところに、ルアー釣りの糸が何本も川いっぱいに張られている場所がある。なかなか気むずかしい人たちだから、気を付けて通るといいよ」
「ありがとうございます!」
私たちは親切な助言にお礼を言ったが、とても嫌な予感がする。行く手にまた、大きな難関が待ち構えているような気がするんだ。
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