第24話 八月 川下りのゴール地点の突破

 下流の中州(なかす)から、どどーんと雷のような音が鳴り響き、青空に白い煙がぱっと広がった。いかだが我さきにと川を下り始めた。

 大人たちの立派ないかだに囲まれた私たちのいかだは、大草原のゾウやトラのすき間を必死に逃げ回る小動物のようだ。川の水は、山林の源流から海に流れ落ちるところまでが一つにつながっている。それはまるで巨大な竜だ。日光を乱反射してきらきらと輝く水面はそのうろこのようで、私たちはその背中にしがみついている。


 私たちは、パドルで前方の水をつかんでは力を込めてうしろに運び、強い推進力を作り出している。だけど四人の腕力の差が大きく、一人が漕ぐたびにいかだは上下左右にぐらぐらと揺れる。

「こわい。練習したときと全然違う」

 玲ちゃんがそう言いながら、おさな子が母親に甘えるかのように、斜め前に座る私の方に手を伸ばした。

「大丈夫だよ。川はそんなに深くないし、みんなライフジャケットを着ているからね。先は長いから、疲れないようにゆっくり漕ぐといいよ」

 息をはずませながら私は玲ちゃんを励ます。

「大ちゃんと真理ちゃん、もっとパドルに力を入れてくれ。そうすればいかだは左に曲がる。僕が合図をしたら、今度は僕と玲ちゃんが全力で漕いで右に進むんだ。そうやってジグザグに進んで時間をかせぐんだよ」

「オッケー!」

 と元気な声で右列の私と大ちゃんが答え、パドルに力を入れるといかだは大きく左に曲がった。


 突然、後ろの方から何かが飛んできた。それは行く手の水上にぽちゃんと落ちると、白くて丸いボールのような物体が、ぷかりと浮き上がった。なま卵だ!

 振り返るといつの間にか才一郎たちのいかだが近づいている。いかだの先に付けられた旗がひるがえっている。そこには海賊のアニメに出てくるような赤いバンダナを巻いたドクロのマークが描かれている。

「おーい、おんぼろいかだの諸君、俺たちからのささやかなプレゼンだよ」

 と最後部に座っていた公平が大きな声で言った。

 はでな色調の模様で飾られたおそろいの白いTシャツに身を包み、真っ黒なサングラスをかけた四人を見て私は思わず吹き出してしまう。確かに無理な背伸びをするのは様々な劣等感で屈折した中学生の特権だ。だが今、すべてが明るく健康的な景色の中で、なんて幼稚さがきわだっている連中なんだろう。


「だっせー。こいつら、ライフジャケットなんか着てるぞ」

 と言ったのは、二番目の座席に座った西村正義だ。

「チキンいかだの諸君、がんばっているねえ」

 と三番目の席に座った北岡勇気があざ笑うように言った。

 先頭の才一郎だけは、私たちをからかうような言葉は発せず、ただ黙ってにやにやとしている。

「アホの大介、凡人の凡、引きこもりの玲奈、女番長の真理の四人組ときたもんだ。すごいメンバーだね」

「しかも何ておんぼろなんだ。こんなボロいかだでレースに参加するなんてずうずうしいよ」

「俺たちに勝とうなんて、百億年早いんだよ」

「あっちに行ったり、こっちに行ったりして大丈夫かね。ちゃんと真っ直ぐに進まないと、ゴールするのは明日になっちゃうよ」

「ボロいかだの諸君、途中で転覆しても泣いちゃダメだぜ」

「一人や二人川に捨ててきてもいいから、せめていかだだけは無事にゴールインさせてくれよ。お前たちのボロいかだが、海まで流されたら公害問題になるからな」


 好きなだけ悪口を言い放った悪党たちは、高笑いをしながらすいすいと川を下っていった。


「気にすることはないよ。僕たちは、とっくにあいつらに勝っているんだから」

 凡ちゃんが明るい声で言った。自信に満ちた凡ちゃんの言葉を聞いて、私はその意味を考える。そしてすぐに理解した。

 凡ちゃんの言う通りだ。私たちは、自分たちの力でいかだを作り上げたという喜びと達成感にあふれている。そして四人は深いきずなで結ばれているんだ。それに比べて彼らはどうだ。大人に作ってもらった見ばえのいい乗り物に王様が乗り込んで、奴隷(どれい)たちに命令を下しているだけではないか。そうだよ凡ちゃん。私たちはすでに勝っているんだ。この手作りいかだレースの本来の目標を、私たちはすでに達成しているんだよね。


 ゆるやかな流れに乗って私たちのいかだはビリを目指してゆっくりと、そしてジグザグに進んだ。水深は一メートルくらいだ。ときおりすーと魚影が浮き上がってきて、パドルのそばを通る。魚たちが、パドルの動きを仲間と間違えて近づいてきたのだろう。

 突然いかだの前に一匹の大きな魚が跳(は)ね上がった。鯉(こい)だ。それは空中五十センチほど、つまり私たちの目線と同じくらいの位置まで飛び上がり、銀色のうろこを日の光にきらりと反射させた。玲ちゃんが「きゃっ」と声を上げ、大ちゃんが「わっ、魚が飛んでる!」と叫んだ。鯉は空中でくるりと体を回転させて私たちを眺めたように見えた。その目は、私たちの行く手を祝福してるかのように笑っていた。何だかとても楽しい気持ちになって私たちは声を上げて笑った。


 やがて私たち四人は漕ぐ手を休めた。ほかのいかだがどんどん遠ざかっていく情景を私たちは満足感をもって眺めていた。

「計画通りだね。これでうまくビリになれそうだ」

 と凡ちゃんが言った。私たちも笑顔でうなずいた。


 やがて成人コースのゴールが見えてきた。先を行く大人たちのいかだが次々とゴール地点から上陸している。流れに任せてゆっくりとゴール地点に近づくと、河原に本部テントが張られ、表彰式の準備が進んでいる様子が見える。岸辺ではとうにゴールした才一郎が、数人の大人に囲まれてマイクを向けられている。公平たちが、遅れてやってきた私たちを見つけて指を差して笑っている。


「よし、今だ。真理ちゃん、玲ちゃん、帽子をできるだけ遠くに投げるんだ」

 凡ちゃんの指差す方に向かって、私のお気に入りの赤いつば広帽子を思い切り放り投げた。続いて玲ちゃんも花飾りのついた黄色い帽子を反対側に放った。二つの帽子は川面(かわも)に明るい彩(いろど)りを添えながらゆったりと流れていく。

 二人の係員の乗ったボートが私たちに近づいて、いかだを岸辺に寄せて上陸するように言った。

 そのとき、ピンクの双眼鏡をのぞきながら、玲ちゃんが叫んだ。

「大切な帽子が流されたんです。取りに行かせてください」

 ボートの係員たちは、自分たちが拾ってくると言って私たちから離れていった。


 次の瞬間、凡ちゃんが「行くぞ!」と叫んだ。それを合図に私たちはいっせいにパドルに力を込め、下流に向かった。

 係員たちが気づいたときには、私たちのいかだはとうにゴール地点の岸辺から離れていた。遠くから

「待ちなさい!」

 と呼ばれたが、私たちは聞こえないふりをしてどんどん下流に向けて下っていったんだ。

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