第21話 七月 市長室への招待

 次の日の昼休み、私たち三人はまた校長室に呼ばれた。


「けさ突然、市長さんから電話があってね。新聞を読んで感銘を受けたんですって。人命救助をした生徒たちに直接会って話をしたいと言うの。さらにね、生徒たちには何かごほうびをあげるから、欲しいものを考えておくようにとも言われたんですよ」

 市長さんがごほうびをくれるって? 私たちには今、いかだレースに関して、のどから手が出るほど欲しいもの、いや『欲しいもの』ではない、『欲しいこと』がある。

「ものでなくてもいいんですよね?」

 と凡ちゃんがうれしそうに聞いた。凡ちゃんは今、私と同じことを考えているに違いない!


 放課後、オシショウ先生に引率(いんそつ)された私たちは、谷やんの運転する車で、町の中心部にある市役所を訪ねた。

 財政的にあまり裕福ではないと言われるM市にふさわしい、古い建物だ。

「税金の使い道の順番は、役人の仕事場である庁舎の建築が最後だというのが市長さんの信念なんですよ。だから庁舎がおんぼろなことは、市長さんの自慢の一つなんです」

 車の中で、オシショウ先生がそう説明した。


 三階建ての庁舎の前の二本のポールには、国旗と市の旗がはためいている。汚れの染みついた壁には、一面にグリーンカーテンの葉が茂っている。そのあちこちにゴーヤの実がぶら下がっている。

 オシショウ先生が受付で用件を言うと、秘書課長と名乗る男の人が階段をかけ足で降りてきた。

「申し訳ありません。ただいま議会の真っ最中でして、あと十分くらいで休憩に入る予定なので、二階の応接室でお待ちください」

 案内されて階段を上がり、カウンターの並ぶ通路を行く。それぞれのパソコンに向かっていた職員が、次々に顔を上げて笑顔であいさつをしてくる。建物は古くても、働く人々はとても明るく、はつらつとしている。


 二階の市長室と応接室の窓は、開けはなたれて網戸(あみど)になっていた。

「市長さんはエアコンが嫌いなんですよ。地球に優しくないと言ってね」

 なぜかオシショウ先生は、市長さんのことを何でも知っているんだ。


 応接室には簡素なソファとテーブルが置いてあった。モニターテレビに、議会のようすが映されている。画面の中では、十人ほどの議員が話し合っている。お茶を運んできた課長さんがていねいに説明してくれた。

「今、開催されているのは厚生文教委員会(こうせいぶんきょういいんかい)といって、市民の健康の問題と、教育にかかわる問題について話し合っているんですよ」

 画面の中では、中年の女性議員がいきり立つような口調で発言をしている。市役所を批判する言葉だけが延々と続き、ならばどうあるべきかという対案を一向に言わない。私たちが国語の授業で学んだ会議の進め方とは全く違う。課長さんが言いにくそうな口調で言った。

「実は、本市の議会は他の自治体(じちたい)とは違って、発言に制限時間がないんです。理想的な民主主義を目指すという考えで、議員さんたちは好きなだけ発言できることになっているんです」

 オシショウ先生がモニター画面を見ながらあきれた顔をしながら首を横に振った。それを見た課長さんが恥じ入るように頭をかいた。

「だから、本市の議会は夜中まで話し合いが続くことが多いんですよ」

「夜中まで! 校長会でも、意味がよく分からない話を長々と続ける人がたまにいますが、これほどではないですね」

「職員会議も時々混乱しますが、ここまで結論を言うのが遅い人はいませんね」

「私たちの生徒会では発言時間は厳しく制限されていますから、もっと簡潔ですね」

 凡ちゃんと大ちゃんは算数の問題をやり始めている。


 長々と続いた質問が終わると市長が立ち上がって答えた。議員とは違って市長の答弁はとても短くて明快だ。

 やがて委員会は休憩に入った。

「やあやあ、長時間お待たせして申し訳なかったですね」

 と言いながら市長さんが応接室に現れた。


「オシショウ、おっと失礼、校長先生、お忙しい中ご苦労さま」

 あれっ、どこかで会った顔だ。しかもオシショウというあだ名を知っているのはどういうことだろう?

 次の瞬間、私たち三人がほとんど同時に声を上げた。

「タイショウ!」

 タイショウはにっこりとほほえんで、いたずらっぽく片目をつぶった。なんと言うことだろう。河原でゴミを拾っていた男が市長さんだったとは。


 タイショウは私たちの写真が掲載された新聞を手にしながらうれしそうに言った。

「これを読んで私は、とてもうれしかった。君たちのような立派な生徒が我が市の中学校にいることを誇りに思うよ。君たちに何かごほうび)をあげよう。何でも言っていいよ。ただし、あんまりお金のかかることはだめだけどね」

 突然訪れたチャンスに胸を高鳴らせながら、私は思い切って言ってみた。

「『手作りいかだ川下り大会』で、私たち中学生のチームが成人コースに参加できるようにしてもらえないでしょうか」

 凡ちゃんと大ちゃんが大きくうなずいている。

 タイショウは、私たちの顔を順番にじっと見つめた。そして私たちが本気で言っていることを理解したのだろう。

「うんわかった」

 と力強い口調で答えた。

「このイベントの担当は、教育委員会のスポーツ振興課(しんこうか)だったね? すぐここに来るよう連絡してくれ」


 一分も立たないうちに、一人の男性が応接室にやってきた。いかにもスポーツが得意な精悍(せいかん)な感じの人だ。

「失礼します。スポーツ振興課長の河合です。お呼びでしょうか」

「ああ、ご苦労様。一つ聞きたいのだが『手作りいかだ川下り大会』の成人コースには、中学生のチームは参加できないことになっていたね」

「はい、その通りです。中学生は一キロメートルの少年コースに参加することになります。これは安全に配慮した上で定められたものです。ただし、市長もご存知のように、前年度の少年の部の優勝チームには、次の年の成人コースに参加する特典が与えられております」

「ふーむ、その規則を修正するわけにはいかんかね。つまり、この子たちのような考え方も行動もしっかりしている中学生たちが希望するときには、成人コースに参加することを積極的に認めてやりたいんだよ」

「市長のお考えは、ごもっともです。実施要項(じっしようこう)の変更については、厚生文教委員会で了解を得る必要がありますが、提案資料の作成には相応(そうおう)の時間を必要としますので、本日の委員会には間に合いますかどうか」

「そうか。資料作りが間に合わないか。まあ、とにかく、実施要項を見せてくれないか」


 秘書課長がスーツの内ポケットから小型のタブレットを取り出してページを開き、タイショウに渡した。

「市長、これでございます」


 タイショウは、慣れた手つきで画面をスクロールしながら読み進める。

「うん、ここだ。『中学生以下の者で構成されるチームは、少年コースに参加するものとする』という文の頭に『原則として』の五文字を付け加えるんだ。これなら今日の委員会に間に合うだろう。どうかね?」

「かしこまりました。すぐに準備します」


 タイショウさんは、私たち三人に、にっこりとほほえんだ。

 何ということだろう。私たちの冒険の前に立ちはだかっていた難問がするすると解けていくではないか。

「常識をうち破る勇気がある者が新しい歴史を作るんだ。織田信長がそうだったろう?」

「市長さん、ありがとうございます」

 私たちは、突然の幸運な成り行きに驚きながらお礼を言った。


「さて、次はいかにして、議会で納得してもらうかだ。議員さんというのは気むずかしい人が多くてね。そうだ。ちょうどいい。学級委員長である夏井真理さんに、特別に発言をしてもらおうじゃないか。そうすれば議員さんたちもよく分かってくれるだろう。すぐにその手続きを進めてくれ」

「かしこまりました。すぐにその準備に入ります」

 議会で私が発言するだって? 私の了解を得ないうちに、事態があれよあれよと進んでいく。


 そのとき市役所内のスピーカーから、委員会が再開されるという放送が流れた。

「オシショウ、いや校長先生、どうぞ傍聴席(ぼうちょうせき)にいらしてください。生徒さんたちにはいい勉強になりますよ」


 三階の議場に行くと、しばらくは難(むずか)しそうな話し合いが続いていたが、やがて議題は、手作りいかだ川下り大会の件に移った。


「次に、教育委員会からの報告があります。スポーツ振興課長!」

 委員長の声が響いて、課長さんが立ち上がって、説明を始める。

「『きたる八月二十四日に開催される『手作りいかだ川下り大会』に関してご報告申し上げます。開催準備は順調にはかどっており、現時点での参加申し込みは、成人コースが二十艇(てい)、少年コースが八艇となっております」

「おお、去年より増えたなあ」

 という声が議員の間から上がった。


「実施要項に一部修正を加えたいと思いますので、ただ今配布いたしましたお手元の資料をご覧ください」

 課長が規則の文の中に『原則として』の五文字を追加することを説明すると、早速、中年の男性議員が手を挙げた。背が高くかっぷくがいい。いかにも政治家という雰囲気(ふんいき)を醸(かも)し出している。


「えー、ただいまスポーツ振興課長から実施要項の一部を修正したいという説明がありましたので、私からはいくつかの質問及び意見を申し上げたいと思います。


 えー、今の説明だけだとはっきりしていないことがいくつかあるんですね。まず最初に、改訂の理由について質問します。


 えー、そもそも要項を修正する場合には、必ずそれなりの目的があると思うんですよね。


 あー、ところが今の説明だけだと、要項改訂の目的がはっきりとしません。


 うー、課長の説明では『原則として』という言葉を新しく追加したとのことでした。けれども、その理由が説明されていないわけであります。


 あー、説明を省略するというのはあまりにも不親切ではないかと私は思うんですよ。


 んー、言い方を変えるとですね。市民の代表としてこの議会に出席している私たち議員に理解をしてもらうという、ていねいな姿勢に欠けているんではないか。


 あー、つまりこれは議会軽視(ぎかいけいし)ではないかと、このように思っているわけであります。


 うー、いったい今回のこの規則の改正、いや修正、いや改悪、いや変更、いや改訂の目的は何なんでしょうか。そういうことをまず私は知りたいわけであります。まずそれに納得できなければ、簡単には賛成するわけにはいかないのでありますよ。」


 なんという話しぶりだろう。『この要項の改訂の目的は何ですか?』のひとことで済む話ではないか。それに、提案に賛成なのか反対なのか、まったくはっきりしない。

 さっき課長さんは、M市の議会は発言時間が無制限だと言っていた。このままだと議員の発言は果てしなく続くことだろう。


「次に二つ目の質問をします。


 えー、規則の文章を改めて読みますと、中学生以下の子供だけで参加する場合には少年コースに限られているわけであります。


 んー、これは子どもたちの体力への配慮(はいりょ)とともに、いかだが転覆(てんぷく)したりなんだりという危険があって、大変危(あぶ)ない。だから万が一の事故に備えて短い距離のコースを設定するというルールなわけです。


 うー、先ほどの説明ですと、新たに『原則として』という言葉が追加したいと。


 んー、『原則とする』ということは、三キロメートルもある成人コースに子供のいかだが参加することもあり得るということになります。


 あー、ということは、子供の命の危険にかかわるようなケースが増えるということですね。


 んー、これまでは、前年度の優勝チームだけに特権が与えられていました。これはそれだけの優れた技能を持っているので分かるんです。しかし、しかしですよ。


 あー、万が一そのような中学生だけの申し込みがあったら、それを承認する判断基準はどこにあるのでしょうか。


 うー、そして最終的な承認はどの立場の方が行うのでしょうか。係長ですか? それとも課長ですか? または部長ですか? それとも最終責任者の教育長ですか? お答えください」


『危(き)険(けん)があって危(あぶ)ない』だって? 学校の生徒会でこんな発言をしたら、笑われちゃうよ。


 オシショウ先生がつぶやいた。

「修(しゅ)行(ぎょう)ですね」

 谷やんが続ける。

「荒行(あらぎょう)ですね」

 オシショウ先生が再びつぶやく。

「難行(なんぎょう)ですね」

 私も参加する。

「苦行(くぎょう)ですね」

 二人はにっこりと笑ってうなずいた。


 オシショウ先生がつぶやく。

「修行・難行・荒行・苦行の先には尊い悟(さと)りが待っていますが、今の私たちの先には何が待っているのでしょう。

 暗中模索(あんちゅうもさく)とは、このことですね」

 すると谷やんが続ける。

「お先まっくらですね」

 私も参加する。

「五里霧中(ごりむちゅう)ですね」


 オシショウ先生がつぶやく。

「今の状況は『四苦八苦』以外の何者でもないですね」

 谷やんが続ける。

「まさに七転八倒(しちてんばっとう)ですね」

 私も参加する。

「七転(ななころ)び八起(やお)きならいいんですけどね」


 凡ちゃんと大ちゃんが、私たちのやり取りを聞いて笑いをこらえている。


 そのときだ。突然議場の窓の外から、「カー!」と鳴き声が響いた。真夜中の墓場のように、おどろおどろしい空気に包まれていた議場の全員が驚いて窓の外をながめた。


 あの鳴き方はグッジョブではないか。きっと怒っているんだ。

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