第19話 七月 人命救助(げんさんの名演技)
それから三日後のこと。私は凡ちゃんたちと一緒に指揮の練習場所に向かって歩いていた。
釣り人たちの多い岸辺を歩いていると、一人の中年の男が近寄ってきた。身なりからみてホームレスの一人のように見える。
「お前たちいつもこの辺で音楽を鳴らしているなあ。うるさくてしょうがないんだよ」
男はふらふらと近づいてくると、低い声でそう言った。手には缶ビールが握られている。酔っぱらいだ。私たちは相手にせず黙って遠ざかろうとした。だが男は私たちから離れようとはしない。岸辺を危なっかしげによろめきながら、いつもの指揮の練習場所の近くまで着いてきた。
男が私に近づいたとき、間に立った大ちゃんの手が、男の肩に触れた。ほんの少し体を押し戻しただけだった。ところが男は、いかにも大げさに、川岸の方によろめいていった。そして「あっ」と叫ぶと、ずるずると崖の斜面をすべって川に落ちてしまった。男は水面に顔を出しながらもがいていたが、水の流れに押されて少しずつ下流に移動していく。
「人が落ちたぞ!」
と叫ぶ声が周囲に上がった。
「大変だ! 早く助けなければ」
私たちは男の流れる方向に向かって走った。凡ちゃんと大ちゃんが崖を駆けおりた。
そのとき突然グッジョブが
「カー! カー!」
と激しく鳴きながら、ガハクの小屋の方に向かって飛んだ。崖の下から凡ちゃんが振り向いて叫んだ。
「真理ちゃん、ガハクの小屋のペットボトルだ!」
そうだ! ペットボトルを浮き輪代わりに使おう。私はガハクのテント小屋に走った。そこには、大小様々なペットボトルが置いてある。その中でとってのついた一番大きなペットボトルを、両手に二つずつつかんで凡ちゃんたちのところに戻った。
大ちゃんは腰までの深さまで川に浸かり、凡ちゃんに片手をあずけながらもう一方の手を男に伸ばしている。だがなかなか届かない。重量感のある川の黒い水があざ笑うように揺れている。男の頭が水中にもぐりかけている。私は、四つのペットボトルを崖下の凡ちゃんと大ちゃんの足もとめがけて放り投げた。
大ちゃんは二つのペットボトルをつかんで川の深みに入った。そしてふわりふわりと浮きながら男に近づいていく。凡ちゃんが残りの二つを男の方に投げた。水の中でもがいていた男がそれをつかんで体を浮かび上がらせた。大ちゃんが思い切り手を伸ばして男の手をつかんだ。凡ちゃんは大介のもう一方の手をつかんで引っ張った。私は崖の下に駆けおりると凡ちゃんの手をしっかりとつかんだ。
岸辺に引っ張り上げられて、ゴロンと寝かされた男を、釣り人や近くを散策していた人々が取り囲んだ。みな心配そうな顔で見守っている。
「君たち、よくやった」
「救急車を呼んだからしばらく待て」
周囲から様々な声が上がり、拍手が起こった。
いつの間にかガハクがやってきて、私たちにささやいた。
「えらいぞ。よくやったな。だけどこの男と君たちの間にトラブルがあったようにも見えた。面倒なことになる前に、ここから離れた方がいい。後のことは私に任せなさい」
ガハクの言うとおりだ。もし男が、大ちゃんに突き飛ばされたと言ったらどうしよう。その場を離れようとしたとき、男の耳元に顔を近づけたガハクの小さな声が私の耳に入ったんだ。
「げんさん、お疲れさま」
げんさんだって? その名前には聞き覚えがある。進ちゃんが川下に消えたときに、たしかにクスシがその名前を口に出していた。しかも、お疲れ様ってどういうことだ? 酔っ払いが川に落ちたのは演技だったのか? だとすると、いったいこの酔っぱらいはなんのためにそんなことをしたんだ?
遠くから救急車のサイレンの音が近づいてきた。皆が救急車に気をとられているすきに、私たちはすばやくその場を離れた。私たちを呼び止める声が後ろから聞こえた。私たちは聞こえないふりをしてその場から走り去った。
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