第12話 六月 いじめっ子に寄り添う人気教師
玲ちゃんの部屋を訪問した次の日、私は意を決して職員室に向かったんだ。
才一郎たちは、毎日進ちゃんをいじめている。それを見逃すなら私も同罪だ。私は卑怯者にはなりたくない。
「失礼します!」
強い口調で言いながら職員室に入る私を、何人かの先生が驚いたように見た。私はまっすぐに、生徒指導担当のコモセンの席に近づいた。
私たちが「小森先生」を縮(ちぢ)めてコモセンというあだ名をつけたとき、コモセンは
「コモンセンスつまり、『常識、良識』という意味だね。私にぴったりの呼び名だ」
と言って笑った。
ある日教室で、公平がいかにも不満そうにこう言ったことがある。
「コモセンに叱られちゃったよ。今度同じことを繰り返したら許さないぞってね」
そのとき才一郎は笑いながら公平にこう答えだ。
「安心しろ。コモセンのイエローカードは、何枚渡されてもレッドカードにならないんだから」
コモセンは、ある日の保護者会で
「生徒が問題行動を起こすのにはそれなりの理由があるのです。だから頭ごなしに叱るのではなく、生徒の心に寄り添ってじっくりと話を聞くことが大切です。
指導に必要なのは父性ではなく、母性なのです」
と話したそうだ。
参加していた私の母が「生徒思いのいい先生だねえ」としきりに褒めていた。
確かにその通りだ。コモセンは日ごろから私たち生徒にとことん優しい。多少のやんちゃな行動をとっても、決して感情的に叱ったりはしない。だからみんなから人気があるんだ。
私がコモセンの席に近づいていくと、それまで隣の席の谷やんと楽しそうに話をしていたコモセンは、コーヒーカップを机の上に置いた。谷やんは自分のクラスの生徒が、深刻な顔をしてコモセンの方に近寄るのを見て、けげんな顔をしている。
「小森先生のクラスの工藤進也くんのことで相談があるんです」
「うーん、相談に乗りたいのはやまやまなんだけどねえ。今は貴重な休憩時間なんだ。労働者の権利をもう少し尊重してくれないとなあ」
冗談を言っているのつもりなんだろう。顔は笑っている。だが、その目は冷たい。
「あとどのくらいで休憩時間が終わるんですか?」
「今はちょうど一時だから、あと十五分だね」
「分かりました。じゃあまた来ます」
そう言って私が引き返そうとしたとき、コモセンの隣にいた谷やんが声をかけてきた。
「その相談、私じゃだめか。私ならいつでも大丈夫だよ」
コモセンが肩をすくめた。勝手にしろという意味だろう。
私は一瞬迷ったが、昨日の河原の様子を谷やんに説明することにする。
「私、見たんです。南波才一郎くんたちが工藤進也くんをいじめているところを。遠くからですが、何人かで取り囲んで殴っているのがはっきりと分かりました」
すると、休憩中のはずのコモセンが口をはさんできた。
「ふーむ、それは本当にいじめなのかな。男子同士の単なる悪ふざけじゃないのか? 工藤進也は、南波たちとはいつも仲が良さそうだし、けがをしている様子もないしね。
いじめとふざけの違いがわかるかな? 縦の人間関係か、横の人間関係かで区別するんだよ。彼らは横の関係だろう?」
「進也くんが一方的に乱暴されていました。私はいじめだと確信しています」
「先月のいじめアンケートでも、その件についてはだれも書いてなかったからなあ。もっとはっきりした証拠がないとねえ」
「小森先生、今日の夕方も南波くんたちはいつもの河原に集まると思います。それを実際に見てもらえませんか?」
「夕方か、うーん、難(むずか)しいなあ。今の日本では、教師というのは忙しすぎるんだよ。
そもそも、学校の外で起こった問題は、本来家庭や地域で解決すべきなんだ。だから、その話は、君から直接工藤進也の親に相談してみてはどうだろう」
友達を心配している私の真剣な気持ちがまったく伝わらない。私は黙ってコモセンの顔を見つめていた。
「わかったよ。今日の放課後に南波と工藤の二人を呼んで話を聞いてみよう」
「二人一緒だったら、工藤くんは本当のことを言えないと思います。だから別々に話を聞いてやってください」
コモセンは肩をすくめて、飲み残しのコーヒーを口にした。
私たちは、発芽前の種子が水や光や温度を欲するように、世の中の真実、理想、正義などに、心から飢えているんだ。なのに一部の大人は、若き日の自分の渇望(かつぼう)をすっかり忘れて、のんびりとコーヒーなんかをすすっている!
大きな苦難に陥っている子供を救うのは、第一に親のはずだ。二番目は先生だ。もし大人たちが頼りにならないならば、友達の私たちが立ち上がらなければならないんだ!
私は、やり切れない思いを抑えながら、黙って職員室をあとにした。
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