第11話 六月 パシリの進也
さてここから先は、おいらに語らせてもらうよ。それは真理の知らないところで起こったできごとだからね。
大介が指揮者に選ばれたあと、凡と大介が練習場所に選んだのが、おいらのねぐらの近くの河原だったんだ。大介と凡は、それぞれの部活動を終えると、帰宅途中にこの河原にやって来て指揮の練習を始めたんだよ。凡は、C組を心配したミソラ先生が貸してくれた古いCDプレーヤーを携(たずさ)えてきた。大介は近くに落ちていた手ごろな小枝を拾って指揮棒にした。
クラスのみんなが心配していた通り、最初は大介の指揮は伴奏から外(はず)れっぱなしだった。凡が伴奏に合わせて腕を振ってみせると、大介はワンテンポ遅れてなんとかそれについていく。凡が手を休めると、とたんに大介の指揮棒は、何拍子なのかさえ分からなくなってしまう。それでも二人は、毎日生真面目(きまじめ)に練習を続けていたんだよ。
日が経(た)つにつれて大介の指揮は少しずつ伴奏に合うようになってきた。もっとも凡が一緒に手を振らないと、たちまちバラバラになってしまう状態は変わらないんだけどね。
「少し休もうか」
と凡が言った。そして近くの石に腰を下ろしてそれぞれの水筒の水を飲んだ。
あたりには、タンポポ、ヒメジョオン、ユウゲショウ、ノイバラなどの夏の草花が咲いている。それらの周りをミツバチがブーンと羽音(はおと)を立てて飛びかい、しきりに花の蜜を集めていたよ。
そのとき、遠くの方からピアノの音が聞こえてきたんだ。風に吹かれて流れてくるその音は、確かに二年C組の自由曲だった。
「負けないで」とリズミカルに繰(く)り返(かえ)されるそのメロディを聞くと、大介が突然立ち上がって、かろやかに指揮棒を振りはじめた。そして自分の指揮に合わせながら歌い始めたんだよ。
「おれ、この歌大好きだよ」
「うまいぞ大ちゃん」
笑いながら凡が立ち上がって一緒に歌った。
大介は体全体を揺らしながら指揮棒を振った。とくに「負けないで」のところでは、青空に絵を描くように体を思い切り伸ばした。
木の上で見ていたおいらも、すっかり楽しい気分にって、凡たちのすぐ近くまで飛んでいって、音楽に合わせて二人の頭の上を飛びまわったんだよ。すると大介は、そんなおいらの動きに気をとられるようにして、腕をおいらの方向に伸ばした。
おいらが大介の頭上で羽ばたくと、空中に飛び上がるように背を伸ばした。おいらが地面すれすれに飛ぶと、おいらを追うように腰をかがめて、小さく指揮棒を振った。
「わかったぞ。大ちゃんの動きの変化を、みんなにはっきりと伝えればいいんだ。フォルテのところにきたら、今みたいに腕を頭の上に思い切り振り上げるんだよ。逆にピアノのところでは、体をできるだけ小さくして、指だけを動かすんだ」
おいらも何だかうれしくなって鳴いた
「カー!」(いいぞ大介、その調子だ!)
そのとき、対岸で才一郎たちのグループがたむろしているのが目に入ったんだ。おいらは滑るように対岸に飛んでいった。
才一郎は岩に腰を下ろしてたばこを吸っている。その周囲には四人の子分がいる。
才一郎が立ち上がると公平と進也を呼んだ。そして二人を向かい合わせると、低い声で
「やれ!」
と言った。その日は、来月のパシリを決めるために、公平と進也がタイマンを張ることになっていたんだよ。
才一郎の前で二人の闘いが始まった。二人のパンチが何度も空振りをし、不格好な蹴りが互いの体を打った。やがて公平の蹴りが進也の急所に入ると、進也は戦意を失ってうずくまった。痛みにうめく敗者を、勝者が黙って見下ろしている。そのときの公平の心の中では、勝利の喜びと、パシリになる恐怖から免(まぬが)れた安心感と、仲間を傷つけた悔恨(かいこん)とが複雑にからまっていたんだと思うよ。
そうやって才一郎は、仲間たちの間にせっせと憎悪(ぞうお)の種をまいていたんだ。その種が、いつの日か自分に対する裏切りの花を咲かせることになるとも気づかないでね。
石に座って見ていた才一郎が立ち上がるとうなるように言った。
「公平、まだ終わりじゃない。とどめをさせ」
しかし公平はそれ以上進也を攻撃することはなかった。それを見た才一郎は、立ち上がって二人に近寄ると、いきなり公平の頭を平手で殴った。そしてうずくまっている進也の背中を蹴とばした。
「お前ら、進也を一発ずつやれ。」
子分たちは順番に進也の頭を殴った。それがパシリが決定したときの儀式だったんだ。
そのとき、子分たちを眺める才一郎の顔に、なんとも言えない快感の表情が浮かんでいるのをおいらは見逃さなかったよ。もし才一郎の心に何らかの傷があって、このような残忍な行動によってしか癒(い)やすことができなかったのだとしても、おいらはとても才一郎を容認することなんかできないね。
これで進也は、来月もパシリになることに決まったというわけだ。
才一郎は、近くの木の枝から葉っぱを四枚ちぎった。そしてふらふらと立ち上がった進也にそれを手渡した。
「缶コーヒーを四本買ってこい。お前の分はないぞ。釣銭を忘れるなよ」
自動販売機は、凡たちのいる岸辺側の堤防を越えた道路沿いにあった。葉っぱを受け取った進也は、上流の浅瀬に向かうと、足を乗せる石を慎重に選びながら川を渡り始めた。時折ひざほどの深さの水に落ちて、ズボンを濡らした。
後ろから才一郎たち四人が進也に向かって小石を投げ始めた。はね返った川の水を背中に浴びた進也は
「冷てえよ。てめえら、やめろよ」
と威勢良く反発してみせた。
確かにその風景は、鈍感な大人たちの目には、仲間同志がふざけごっこをして遊んでいるだけのように映ったことだろう。
おいらは
「カー! カー!」(進也、負けるな!)
と鳴きながら、進也を追い抜いて凡たちのいる河原に戻った。
楽しく練習を終えた凡と大介は、満足そうな顔で一休みしていた。
向こう岸から川を渡ってくる進也を見つけた凡が
「進ちゃん!」
と声をかけた。だが進也は返事をせず、ただうつろな目で凡を見つめた。
「進ちゃん、話があるんだ。こっちに来てくれないか」
二人のやりとりに気づいた才一郎は、遊び道具をとられて腹を立てた子供のように遠くからどなった。
「進也! てめえ何やってんだ。早く行ってこい」
進也は一瞬体をびくっとさせた。才一郎は怒りの矛先(ほこさき)を凡に向けた。
「凡、お前、何様のつもりだ」
次の瞬間、凡は一人の教員の名前を口にした。向こう岸の才一郎に届くように大声で叫んだんだよ。
「コモセンからことづてを頼まれたんだよ」
「おお、コモセンか。あいつは俺たちの良き理解者だからな」
才一郎の声が和(やわ)らぎ、それ以上二人を責めることはなかった。コモセンという言葉はすごい力を持っているんだねえ。
進也が草むらをかき分けながら岸辺に上がってきた
「コモセンが俺に何だって?」
「コモセンは何も言ってないよ。それよりも、あいつらと付き合うのは、もうやめたほうがいい」
「なんでだよ。あいつらはオレのダチだ」
「違う。才ちゃんのグループには、いつも序列があるじゃないか。進ちゃんたちは本当の友達じゃない。本当の友達なら横の関係のはずだ」
「それで俺はどこに行けばいいんだ。あいつらは俺のマブダチなんだよ。俺の親父が事件を起こしたときに、悪口を言ったやつらをぶん殴ってくれたのは才ちゃんだしな」
「いいから、もうあいつらと付き合うのはやめろ。そして、前のように吹奏楽部の練習に出てきてくれよ。進ちゃんがいなくなって、トランペットが僕一人になってしまって困っているんだよ」
進也は黙って凡の顔を見つめていた。
「凡ちゃん、少しお金を貸してくれないか」
凡は何も言わずにポケットの中にあった百円玉を三枚渡した。
「これじゃ足りないよ」
大介があわてて自分のポケットの中を探(さぐ)り、十円玉を数枚凡に手渡した。それを凡は進也に渡した。するとそれまでとがっていた進也の顔つきがやわらいだ。
「凡ちゃんは本当にいいやつだよな。代わりにこれを預かっていてくれないか」
進也はポケットから水に濡れた数枚の千円札を取り出した。そして数えもせずに凡に手渡したんだよ。
そうなんだ。進也は小遣いには少しも不自由していなかったんだ。父親が、家族の幸福を代償にして社長の身代わりになったおかげでね。そしてそのお金を、才一郎たちは、好きなように使っていたんだ。
缶コーヒーを買った進也が対岸に戻る後ろ姿を、凡と大介は黙って見送っていた。
おいらはそんな二人にできるだけ優しい声で鳴いた。
「カー!」(凡と大介、君たちの気持ちは、必ず進也に伝わっているはずだよ)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます