第2話 八月 手作りいかだ川下り大会

 M市で、手づくりいかだで川を下るイベントが開催(かいさい)されたのは、夏休みも終わりに近づいた八月二十四日だった。おいらが引っ越してきてから数か月後のことだ。


 その朝おいらは、スタート地点に近い岸辺の、見晴(みは)らしのいい松の木のてっぺんにいた。おいらは、川下り大会が始まる前のあわただしい様子(ようす)を見下ろしていたんだよ。


 その日は、朝から青空が広がっていた。川面(かわも)は朝日が反射して宝石をちりばめたようにきらきらと輝(かがや)き、岸辺の木々や堤防(ていぼう)沿(ぞ)いのビルが水面(みなも)に映(うつ)ってゆらゆらと揺(ゆ)れている。


 少し高台(たかだい)になっていて、あたり一面の様子(ようす)がよく見える岸辺に、本部テントが三つ設置(せっち)されていた。

 テントのポールには、派手(はで)な彩(いろど)りののぼりが二本ずつ取り付けられている。一つには『M市 手作りいかだ川下り大会』、もう一つには『協賛(きょうさん) なんば工務店』という文字が染(そ)め抜(ぬ)かれている。


 最初のテントの中には、折りたたみ式の細長いテーブルが並べられ、M市の市長をはじめとする

お偉方(えらがた)が一列に並んで座っていた。


 二番目のテントでは、イベントの運営に当たる職員たちが忙(いそが)しそうに働き、三番目のテントでは、緊急(きんきゅう)事態に備(そな)えて、医師や看護師や消防団員たちで編成された救護班が待機(たいき)している。


 テントから少し離(はな)れた岸辺に、いかだの待機場(たいきじょう)があった。そこには三十艇(てい)ほどの手作りいかだが、まばらに草の生(は)えた地面の上に無造作(むぞうさ)に並べられている。


 木材、発泡スチロール、塩化ビニール製のパイプなどを材料にして組み立てられたそれらのいかだは、大きさもスタイルも千差万別(せんさばんべつ)で、それぞれに製作者たちの趣向(しゅこう)が表現されていた。


 小さないかだは長さが三メートルくらいだったが、十メートル近くもある巨大ないかだもある。中にはどのようにバランスを計算して作り上げたのか、二階建てのいかだまである。それは甲板(かんぱん)に大人(おとな)の身長ほどの高さの台をとりつけ、寝転(ねころ)びながら川下りを楽しめる構造(こうぞう)になっていた。


「成人コースのスタート十五分前です。参加いかだは、係員の指示に従ってスタートラインのロープまで進んでください」

 というアナウンスが岸辺に流れた。


 乗り手や関係者に持ち上げられたいかだが続々と水上に浮かべられた。チーム名と乗組員が紹介されると、大きな拍手と声援が岸辺に広がる。その歓声に包まれながら、いかだは次々とスタート位置を目指(めざ)して岸を離(はな)れた。


 水面から一メートルほどの高さに、太いロープが、運動会の綱(つな)引きのようにまっすぐに張られ、両岸に置かれた消防車にがっしりと固(定されている。そのロープがスタートラインだったんだよ。


 成人コースのレースに、本来は少年コースに出なければならないはずの中学生のいかだが二艇混じっていた。


 一つは、この大会のスポンサーとして多額の費用を提供している『なんば工務店』の社長の孫、南波 才一郎をリーダーとする四人が乗るいかだだ。M市立東(ひがし)中学校の二学年に在籍する彼らは、前年度に少年コースの部で優勝した実績が評価され、特例として成人コースに出場することが認められていたんだ。


 そのいかだには、才一郎(さいいちろう)の仲間、というよりは子分(こぶん)と言った方がお似合いの、東(あずま) 公平(こうへい)、西村(にしむら) 正義(まさよし)、北岡(きたおか) 勇気(ゆう(き)の三人が同乗している。

 「公平・正義・勇気」という立派な名前をもつこの三人は、残念ながらその名前に込められた親の切実な期待を裏切っていたと言わざるを得(え)なかったね。つまり、才一郎のグループは日ごろから素行(そこう)のよろしくない集団だったんだよ。


 彼らのいかだは、木材と発泡(はっぽう)スチロールで作られたスタイリッシュな本体の内部に、チタンのパイプを使った高級カヤックが組み込まれている。縦(たて)一列に四人が座ってパドルを操作(そうさ)するそのいかだは、スピードレースにはおあつらえ向きの構造だ。


 才一郎たち四人は、おそろいの真っ白なズボンと派手(はで)な模様(もよう)のシャツを身に付けていた。頭には西部劇(せいぶげき)の映画に出てくるようなカウボーイハットを乗せ、真っ黒なレンズのサングラスをかけていた。まあ一言(ひとこと)でいえば、ちゃらちゃらした少年たちということだよ。


 もう一つの中学生チームのいかだは、才一郎たちとは反対に、ひときわ見栄(みば)えのしないものだった。大量のペットボトルを青いビニールシートで包み、その周(まわ)りを木の枝やベニヤ板で囲んだだけの、とても単純な構造だったんだ。ベニヤ板の甲板(かんぱん)の中央には、大人の手がやっと届くくらいの高さの青竹(あおだけ)が帆柱(ほばしら)として据(す)え付けられている。そのいかだは確かに見劣(みおと)りはするものの、頑丈(がんじょう)さにかけては、周囲のいかだに決してひけはとらなかったと思うよ。


 車に例(たと)えるならば、才一郎のいかだが高級スポーツカーのランボルギーニで、こちらは古ぼけたおんぼろトラックと言えばわかりやすいだろうね。


 そのおんぼろいかだに乗っていたのは、南波才一郎と同じ東中学校に通う四人の二年生だ。彼らこそが、おいらが今から語る物語の主人公たちなんだよ。


 リーダーの春野(はるの) 凡(およそ)は、みんなから「およそ」ではなく「ぼん」と呼ばれている。その名前のとおり、勉強でもスポーツでも、とりたてて目立つところのない男の子だ。だが気持ちがとても優(やさ)しくて、思いやりにあふれた生徒だったんだ。


 夏井(なつい) 真理(まり)は、正義感の強いまっすぐな性分(しょうぶん)の女の子で、二年C組の学級委員長を務(つと)めている。勉強でも運動でも何をやってもよくできる優等生で、顔立ちやスタイルも良かったから、周囲からは一目(いちもく)も二目(にもく)も置かれていたんだ。


 秋山(たきやま) 大介(だいすけ)は、凡(ぼん)の大の仲良しだ。体は学年で一番大きいが、勉強もスポーツもからきし苦手(にがて)で、周囲からは何かとからかわれることが多い。そのたびに凡が上手(じょうず)にかばっていたんだが、本人は周囲からからかわれていることも、凡が自分を守ってくれていることにも気付かないような、とてもおおらかな性格だったんだ。


 冬原(ふゆはら) 玲奈(れいな)は、おとなしい性格の女の子だった。感性が人並み以上に細(こま)やかだったせいだろうね。あることがきっかけで、二年生になってからは最初の始業式の日に登校しただけで、あとは一日も学校に通っていなかったんだ。


 この四人の乗るいかだが、成人コースに参加することを許(ゆる)された二チーム目の中学生たちだということがアナウンスされると、見物人(けんぶつにん)たちからひときわ大きな拍手(はくしゅ)が起こった。素朴(そぼく)な作りのいかだが、いっそう好感度を上げたんだろうね。


 腰(こし)のあたりまで水の中に浸(つ)かった二人の係員が、凡たちのいかだをスタートラインのロープの方に強く押し出した。前列に座った凡(ぼん)がパドルを高く掲(かか)げて

「行くぞ!」

 と声を挙(あ)げると、ほかの三人が元気な声で

「おお!」

 と応(こた)えた。


 後列(こうれつ)に座る大介が、太く長い腕を伸ばしてがっちりとロープをつかんだ。大介が腕を伸ばしたり縮(ちぢ)めたりする動作(どうさ)を繰(く)り返すと、いかだはゆっくりと川の中央部に進んでいく。それは尺取り虫がそろりそろりと進む姿によく似ていたよ。


 凡たちがスタートラインの中ほどに到着したのを見て、おいらは翼(つばさ)を軽く数回羽ばたかせてから、朝の空気を思い切り下方にたたきつけた。黒い羽毛に包まれたおいらの体は地球の重力を押し返してふわりと浮かび上がった。二本の脚(あし)を後ろに折りたたんで体勢を整(ととの)えると、おいらはゆらゆらと揺(ゆ)れている凡たちのいかだに向かって一直線に飛んでいった。


 青竹でできた帆柱のてっぺんに止まると、おいらは上空を旋回(せんかい)しているテレビ局のヘリコプターに負けないような大きな声で鳴いた。


「カー! カー! カー!」(がんばれ! 才一郎たちなんかに負けるな!)


 そして朝の太陽の光をひとりじめにするかのように、大きく羽ばたいたんだ。


 凡がおいらを見上げた。

「おお、グッジョブ。お前も応(おう)援(えん)してくれよ」

 おいらはもう一度声を上げた。

「カー!」(任(まか)せとけ!)


 岸辺にいた子(こ)供(ども)たちが、帆柱(ほばしら)のてっぺんで羽ばたくおいらを見つけると、口々に

「グッジョブだ! グッジョブがいるよ!」

 と叫びながら大きく手を振った。


 なに? 『カラスは真っ黒だし、大きさも形も似たようなものだから、どのカラスがグッジョブなのか区別がつかないじゃないか』だって? よく聞いてくれたねえ。


 じつは簡単に判別できたんだ。なぜかというと、おいらの羽のしっぽの方にはちょっとだけ真っ白な部分があったんだよ。


 おいらがオオタカに襲(おそ)われてガハク(画伯)のそばに墜落(ついらく)したとき、おっと、絵描きの男は、M市では知り合いからガハクと呼ばれていたんだよ。そのガハクの使っていた真っ白の油(あぶら)絵の具が、体じゅうにべっとりとついてしまったんだ。ガハクは熱心においらの体を拭(ふ)いてくれたんだけど、どうしてもそこだけが落ちなかったんだよ。おいらが羽ばたくと、その白い部分が日差しを浴びてきらきらと輝いて見える。だから子供たちは、学校や河原でおいらを見つけると

「グッジョブ!」

 と呼んで手を振ってくれるのさ。こう見えてもおいらは人気者なんだよ。


 子供たちの叫び声につられたんだろうね。本部テントの中で、南波才一郎の祖父で、つまりなんば工務店の社長が、双眼鏡のレンズをおいらに向けているのが見えた。

 いたずら心(ごころ)を起こしたおいらは、さっと飛び立つと、猛スピードで社長が構(かま)える双眼鏡に向かった。そして双眼鏡のすぐ手前で、おいらは翼(つばさ)を大きく広げたんだ。


 レンズの中で、おいらの姿は恐竜のプテラノドンみたいに迫力があったんだろうね。社長は

「わあっ!」

 と叫んで双眼鏡を取り落とした。

 おいらは思い切り大きな声で

「カー! カー!」(社長、冗談ですよ!)

 と鳴きながら、テントの上を一周すると、本部席の様子がよく見える木の枝に止まった。


「ああ驚いた。なんて野蛮(やばん)なカラスなんだ」

 なんば社長が照れ隠しの笑いを浮かべながらそう言うと、隣に座っていた市議会議長が首をかしげた。

「それにしても、あのカラスは人気者だねえ。子供たちがしきりにグッジョブと呼んでいるけど、いったいどういうことなんだろう?」


 ちょうどそのとき、一人の上品そうな女性が、後(うし)ろの方からテントの中に入ってきた。

「みなさん、お早うございます。それは、私がつけたあだ名なんですよ」


 市長が振り向いて驚いたように言った。

「おお、おはようオシショウ(お師匠)。グッジョブとは、きみがつけたあだ名だって?」


「タイショウ(大将)、今日は素晴(すば)らしいお天気に恵まれましたね」


 本名や敬称ではなく、ニックネームで呼び合う二人を見て、市議会議長が不思議そうな顔をした。それを見たなんば社長が理由を説明した。


「この二人は中学校時代の同級生でね。タイショウとオシショウはそのころからのあだ名なんですよ。かくいう私も同じクラスで、オヤカタ(親方)と呼ばれておりました。

 そのとき生徒会長を務めていたタイショウが今では市長になり、勉強が良くできたオシショウが校長先生になり、商売の才能に恵まれていた私が、親の後(あと)を継(つ)いで工務店の社長になり、最初は小さかった会社をどんどん繁盛(はんじょう)させて、今ではこのイベントのスポンサーとして大いに協力させてもらっているというわけですよ」


 おいおい、自分のことだけはずいぶん詳(くわ)しく説明するんだね。


「あのテントで待機しているお医者様もそのときの同級生でね。将来は親の病院を継(つ)ぐんだと言っていたので、みんなからクスシ(薬師(くすし)と呼ばれていたんですよ」


 オヤカタの説明が終わると、オシショウは、おいらがグッジョブと呼ばれるようになった理由を話し始めた。


「それは、今から二か月ほど前、六月の朝礼でのことなんですよ」

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