第110話
楽しい時間というものはあっという間に過ぎ去るもので、夏休みも残すところあと数日という状況になった。
宿題に関しては瑠華が計画的にやるよう口酸っぱく言い聞かせていたので、今更慌てるような子は居ない。
「瑠華ちゃんどうしよ自由研究終わってない!」
「……はぁ」
……奏以外はという枕詞は付くが。
「コツコツやっておけとあれ程言ったであろうに…」
「だって何も思い付かなかったんだもん」
自由研究はその名の通りやる内容は自由ではあるが、自由さ故に何をしたら良いか分からなくなるというのは良くある話だ。
瑠華はその点昔から【柊】の日記を自由研究として提出しているので、迷う事がなかったりする。
「…キャンプに行く予定を忘れた訳ではあるまいな?」
「覚えてたけどぉ…どーしても無理だったんだもん…」
夏休み序盤に水族館にて話していたキャンプなのだが、釣りが出来るキャンプ場を見付ける事が出来たので、ちょっと明日向かう予定を立てていた。
それがあったからこそ、【柊】の子達も宿題を頑張って終わらせたのだが……奏はどうしても間に合わなかった。それは、何故か。
「…そう急かずとも良いのじゃぞ? 身体も持たんじゃろ」
「いいの、私が決めた事だから。瑠華ちゃんに追い付くにはもっと頑張らないと…」
奏は宿題をサボっていた訳では無い。文字通りする時間が無かっただけなのだ。
宿題をする代わりに奏がしていた事。それは珠李に戦い方の教えを乞う事である。
「まぁそれで今しなければならない事が出来ていないというのは、問題でしか無いがの」
「うぐっ…」
瑠華の正論に、奏は声を詰まらせて机に突っ伏した。
「…釣りは自由研究になるのかのぅ?」
ふと疑問に思った瑠華がそう呟くと、正にそれだと言わんばかりにガバッと身体を起こして目を爛々と輝かせる。
「それだ!」
「それだはいいが内容は思い付くのかえ?」
「うーんと…エサの種類を変えた時の当たるまでの時間と、大きさの違い的な?」
「ふむ…まぁ悪くは無いのじゃ」
もし釣れなかったとしても瑠華が居るので、幾らでもリカバリーは効く。内容としては少し薄い気がするが、当然の事ながら何もしないより遥かにマシだ。
「瑠華お姉ちゃん、テントはどうするの?」
「向こうでレンタル出来るように手配しておるよ。一つのテントに四人だと仮定しておるから、合計で三つじゃな」
テントを用意する事も考えたのだが、やはり人数が多い関係上数を揃えなければならないのでレンタルした方が良いと判断した。
「割り当ては?」
「…そうか、その問題があったか。どうするかの…」
以前の班分けのようにクジを作ってもいいが、それでは少し面白くない。
「あっ! なら釣りで勝負するのはどう?」
「釣った魚の大きさや数で競うという事かえ?」
「うん。数は釣り過ぎても問題になるし、大きさで勝負するのはどうかな? それで決まりきらなかった分は前と同じでクジ使うとか」
「ふむ…アリじゃな。皆はどうじゃ?」
一応意見を聞いてみても反対は出なかったので、取り敢えずはそれで決める事となった。
「ではそれで決めるとしてじゃ…奏よ」
「なぁに?」
「当然他の課題は終えておるのじゃろうな?」
「………」
奏はスゥー…っと静かに目を逸らした。だがしかし、それを素直に見逃してくれる瑠華では無い。
「紫乃。この後の事を全て任せても良いか?」
「問題御座いません」
「頼んだのじゃ」
「え、えと…瑠華ちゃん…?」
困惑する奏に、瑠華が静かな圧を感じる笑みを向けた。
「――――缶詰じゃ」
「ひっ…」
奏は悟った。あ、これガチのヤツだと。
◆ ◆ ◆
「終わっ、た…しんどい…」
「自業自得じゃ」
瑠華が監視する中での勉強はある意味奏にとってご褒美でもあったが、それも数時間に及べば流石に疲労が勝る。休息は取らせてもらっていたが、ずっと書いていた手は少し震えてしまっていた。
「瑠華ちゃぁん…」
「全く…ほれ、手を貸すのじゃ」
若干の涙目で助けを求める奏に、仕方無いと溜息を吐きつつ瑠華が手を伸ばして奏の手を取る。そこから魔力を流して凝り固まった筋肉を解し、溜まった疲労を治癒魔法によって軽減した。
「完全には治しておらん。それは負担になるからの。今日は明日に備えて早く寝る事じゃ」
「分かったぁ…ねぇ瑠華ちゃん」
「なんじゃ?」
「……一緒に寝ちゃダメ…?」
「……まぁ良いか。最近は寝ておらんかったしの」
「やった…!」
喜びに打ち震える奏に瑠華が思わず苦笑を零す。
大分過剰になりつつある自らの力の制御もかなり落ち着いてきたという事もあり、奏の提案を受け入れるのも問題無いだろうと瑠華は判断した。
(万が一に備えて奏には『保護』を掛けておくが…まぁ問題ないじゃろ)
実際の所奏が寝た後にこっそり離れればそもそもそんな事をしなくても良いのだが……瑠華としても久しぶりに人肌を感じたいという“欲求”があった。
(……妾が何かを求めたのは、一体何時ぶりになるかのぅ)
欲を捨て我を捨て、ただ見守る事を続けてきたレギノルカが自らの意思で何かを求めたのは、過去にただ一回だけで。
「瑠華ちゃん」
奏の呼ぶ声に意識を戻せば、ぽふっと軽い衝撃が。少しして理解出来たのは、奏が自分に抱き着いているという事だった。
「なんか、寂しそうに見えたから…」
「…妾もまだまだじゃのぅ」
それは正しく肯定の言葉。珍しく素直な瑠華にそれだけ余裕が無いのだと思った奏が、更に強く抱き締める。
「私はここにいるよ」
「それは十分理解しておる。案ずるな」
一向に離れようとしない奏を安心させるように瑠華からも手を伸ばし、ギュッと軽く力を込めた。
「瑠華ちゃんは独りじゃないよ。ちょっと人とは違うかもだけど、それでも瑠華ちゃんは私の大切な人である事に変わりないんだから」
「……そうじゃな」
奏のその言葉が瑠華の胸にじわりと染み込み、少しの嬉しさと――――苦しさを訴える。
決してそれは、叶わぬ願いであると知っているから。理解しているから。
――――だからこれは要らないものだ。
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