　コンビニで私が言（い）った、『週末（しゅうまつ）、休（やす）みを合（あ）わせて何処（どこ）かに行（い）かない？』という申（もう）し出（で）は、推（お）し店員（てんいん）ちゃんから了承（りょうしょう）されて。その後（ご）、連絡先（れんらくさき）を交換（こうかん）して土曜日（どようび）、私と推（お）しちゃんはオフィス街（がい）と接（せっ）している隣（となり）の区（く）へと出（で）かけることになった。都内（とない）で女子（じょし）がイケていると評判（ひょうばん）の区（く）だ。

　デート、と言（い）ってしまうが、そのコース内容（ないよう）は「あたしに任（まか）せテ！　お姉（ねえ）さんをエスコートするヨ」という推（お）しちゃんに一任（いちにん）された。若（わか）い彼女が行（い）きたい所（ところ）へ行（い）けば良（よ）いのだ、そう思（おも）ったので特（とく）に問題（もんだい）はない。

　今（いま）は七月（しちがつ）で、デート当日（とうじつ）に晴（は）れたのは良（よ）かったが暑（あつ）い。お昼前（ひるまえ）、待（ま）ち合（あ）わせ場所（ばしょ）で合（ごう）流（りゅう）した推（お）しちゃん（ショートパンツとＴ（ティー）シャツ姿（すがた）なのが新鮮（しんせん）だった）が、「飲（の）みもの、持（も）ってきたヨ。熱中症（ねっちゅうしょう）になるから水分（すいぶん）は大事（だいじ）ネ」とビニール袋（ぶくろ）を差（さ）し出（だ）してくれた。ありがたく貰（もら）って中身（なかみ）を見（み）ると、スポーツドリンクと、何（なに）かの瓶（びん）がある。

「ねぇ、この瓶（びん）って……」

「あー、ジンだヨ。デート前（まえ）の景気（けいき）づけに飲（の）んでヨ、あたしも飲（の）むかラ。ドリンクで流（なが）し込（こ）めば簡（かん）単（たん）に飲（の）めるヨ、ウィスキーより飲（の）みやすいから問題（もんだい）ないネ」

　いや、そんなに言（い）うほど簡単（かんたん）なお酒（さけ）じゃないけど。度数（どすう）が四十度（よんじゅうど）だし。ためらう私に、推（お）しちゃんは蠱惑的（こわくてき）な笑（え）みを向（む）けた。

「お姉（ねえ）さん、デートってのは非日常（ひにちじょう）の空間（くうかん）だヨ。あたしを信（しん）じて、飛（と）び込（こ）んでみてヨ」

　言（い）われて、そうかもしれないと決心（けっしん）がついた。私は日常（にちじょう）にウンザリしていたのだ、だから推（お）しちゃんにデートを申（もう）し込（こ）んだ。ならば彼女に従（したが）おう。ラッパ飲（の）みで瓶（びん）に口（くち）を付（つ）けてジンを飲（の）み、言（い）われた通（とお）りにスポーツドリンクで流（なが）し込（こ）む。元々（もともと）、お酒（さけ）は好（す）きなので苦労（くろう）はなかった。

「うん、いい飲（の）みっぷりだヨ！　あたしも貰（もら）うネ」

　瓶（びん）を推（お）しちゃんが取（と）って、私と同（おな）じように口（くち）を付（つ）けて飲（の）む。いわゆる間接（かんせつ）キスで、酔（よ）いが回（まわ）ってないのに私の頬（ほほ）が熱（あつ）くなる。ドリンクで水分（すいぶん）も補給（ほきゅう）した彼女に、「じゃあ行（い）こうカ、付（つ）いてきテ！」と手（て）を引（ひ）かれて、思（おも）えばデートの最初（さいしょ）から私は彼女に翻弄（ほんろう）されていたのだった。

　そこからは夢（ゆめ）を見（み）ているようで、現実感（げんじつかん）がなかった。おしゃれなカフェ＆（アンド）スイーツ店（てん）に入（はい）って、まるで王侯（おうこう）貴族（きぞく）が食（た）べるような、見（み）たこともない小（ちい）さな可愛（かわい）らしいケーキの数々（かずかず）を平（たい）らげていく。推（お）しちゃんは、この店（みせ）を何度（なんど）も利用（りよう）しているようで、会計（かいけい）は彼女が支払（しはら）ってくれた。あれ、おかしいな？　何（なん）で私は年下（としした）の彼女から奢（おご）られてるのだろう？

「次（つぎ）は服（ふく）、買（か）うヨ！　今日（きょう）は動（うご）きやすい服（ふく）をお姉（ねえ）さんに着（き）てもらうネ」

　私が入（はい）ったことすらない高級店（こうきゅうてん）で、上（うえ）から下（した）まで服（ふく）を揃（そろ）えられる。全身（ぜんしん）が黒（くろ）で、こんなファッションはお葬式（そうしき）か夜（よ）遊（あそ）びでしか着（き）ないと思（おも）われた。ネックレスや靴（くつ）の料金（りょうきん）まで、当然（とうぜん）のように彼女が支払（しはら）っている。着替（きが）えさせられて、それまでの服（ふく）は、いつの間（ま）にか傍（そば）にいた見知（みし）らぬ女性（じょせい）が預（あず）かってくれていた。店員（てんいん）ではない。夏（なつ）なのに全身（ぜんしん）を黒（くろ）ずくめの長袖（ながそで）スーツに包（つつ）んでいる。

「お嬢（じょう）さま、店（みせ）の前（まえ）にリムジンが到着（とうちゃく）しました。そろそろ出発（しゅっぱつ）しましょう」

「うん、今（いま）行（い）くヨ！　さあ、お姉（ねえ）さん。デートはこれからが本番（ほんばん）だヨ！」

　黒（くろ）スーツの女性（じょせい）が、推（お）しちゃんを『お嬢（じょう）さま』と呼（よ）んでいて、訳（わけ）が分（わ）からないまま私は外（そと）へ連（つ）れ出（だ）される。そこには藍（あい）色（いろ）というのか、黒（くろ）っぽい高級車（こうきゅうしゃ）が停（と）まっていて、車体（しゃたい）は前後（ぜんご）に長（なが）い。長（なが）いと言（い）ってもハリウッド映画（えいが）に出（で）てくるようなサイズじゃないけど、七人（しちにん）は座（すわ）れるだろうか。

　私と推（お）しちゃんは座席（ざせき）が二（ふた）つ並（なら）んでいる中央部（ちゅうおうぶ）へ座（すわ）って、助手席（じょしゅせき）と後部（こうぶ）座席（ざせき）には三人（さんにん）の黒（くろ）スーツ女性（じょせい）が乗（の）り込（こ）んだ。うん、こういうシーン、映画（えいが）で観（み）たことがある。アメリカの大統領（だいとうりょう）がシークレット・サービスという護衛（ごえい）に囲（かこ）まれて、車（くるま）で移動（いどう）する場面（ばめん）だ。

「この車（くるま）って、貴女（あなた）のものなの？　周（まわ）りの方々（かたがた）はボディガード？」

「ううん。リムジンはお母（かあ）さんので、運転手（うんてんしゅ）も借（か）りたヨ。彼女たちは、昔（むかし）からあたしの家（いえ）で働（はたら）いてて、デートに付（つ）いてきてもらっただけネ。あたしのお母（かあ）さんが押（お）し付（つ）けてきた、お目（め）付（つ）け役（やく）だヨ」

　私が聞（き）いて、ちょっと不満（ふまん）そうに推（お）しちゃんが言（い）う。「恐縮（きょうしゅく）です」、「我々（われわれ）のことは、お気（き）になさらず」、「お連（つ）れさまは、お嬢（じょう）さまとのデートをお楽（たの）しみください」と黒（くろ）スーツの方々（かたがた）に言（い）われて、（ああ、推（お）しちゃんの親（おや）にも、もうデートとして認識（にんしき）されているんだなぁ）と思（おも）った。

「ささ、お姉（ねえ）さん、もっとジンを飲（の）んでネ。これから行（い）く所（ところ）は頭（あたま）を空（から）っぽにしないと楽（たの）しめないヨ」

　車（くるま）は走（はし）り出（だ）して、推（お）しちゃんから飲（の）みかけだったジンの小瓶（こびん）とスポーツドリンクを手渡（てわた）される。もっと聞（き）きたいことはあったけど、黒（くろ）スーツの女性（じょせい）たちに囲（かこ）まれての会話（かいわ）は、何（なん）というか辛（つら）い。私と推（お）しちゃんは車内（しゃない）で呑（の）んで、現実感（げんじつかん）は更（さら）に無（な）くなっていった。

　音（おと）の洪水（こうずい）、という感覚（かんかく）を知（し）った。私たちは、いわゆるクラブにいる。皆（みな）がお酒（さけ）を飲（の）んで、重（じゅう）低（てい）音（おん）が響（ひび）く会（かい）場（じょう）内（ない）で、音楽（おんがく）に合（あ）わせて声（こえ）を上（あ）げて熱狂（ねっきょう）しながら踊（おど）る場所（ばしょ）だ。もちろん私は、これまで来（き）たことがなかった。

　入場（にゅうじょう）する前（まえ）、リムジンの車内（しゃない）で推（お）しちゃんが「お姉（ねえ）さん、これ使（つか）っテ」と、サングラスを渡（わた）してくれる。洋服（ようふく）と一緒（いっしょ）に買（か）っていたようで、推（お）しちゃんは胸元（むなもと）が開（あ）いた赤（あか）のトップスに着（き）替（が）えた、戦闘（せんとう）態勢（たいせい）だ。自（みずか）らもカラフルな飾（かざ）りのサングラスを掛（か）けて、私たちは車（くるま）から出（で）る。

　尻込（しりご）みをしていた私の手（て）を推（お）しちゃんが引（ひ）いて、黒（くろ）スーツの三人（さんにん）が後（あと）から続（つづ）く。クラブの入（い）り口（ぐち）で、それぞれ身分証（みぶんしょう）となるものを提示（ていじ）し、入場（にゅうじょう）した。地下（ちか）へと続（つづ）く階段（かいだん）があって、もう音楽（おんがく）というか音（おと）が漏（も）れ聞（き）こえてくる。オレンジ色（いろ）の照明（しょうめい）が、壊（こわ）れかけのランプみたいに点滅（てんめつ）しながら階段（かいだん）全体（ぜんたい）を照（て）らしていて、地下（ダン）迷宮（ジョン）という言葉（ことば）が思（おも）い浮（う）かんだ。

　階段（かいだん）から出（で）た先（さき）には酒場（バー）がある。男女（だんじょ）の客（きゃく）が多（おお）く居（い）て、その中（なか）の一人（ひとり）が推（お）しちゃんを見（み）て歓（かん）声（せい）をあげた。

「キャー、みんな見（み）て！　『港区（みなとく）の女王（じょおう）』よ！　港区（みなとく）の女王（じょおう）がクラブに帰（かえ）ってきたわ！」

　推（お）しちゃんが取（と）り囲（かこ）まれそうになって、黒（くろ）スーツ女性（じょせい）の三人（さんにん）が、さっと制止（せいし）する。呆然（ぼうぜん）としている私の前（まえ）で、推（お）しちゃんは酔客（すいきゃく）に向（む）かって笑顔（えがお）で話（はな）しかけた。

「その呼（よ）び名（な）は過去（かこ）のものだヨ。女王（じょおう）だったあたしは、今（いま）はコンビニ店員（てんいん）に過（す）ぎないネ」

「またまたぁ！　もー、冗談（じょうだん）ばっかり！　連（つ）れの方（かた）は紹（しょう）介（かい）してもらえないのかしら？」

　客（きゃく）は誰（だれ）も、推（お）しちゃんの言葉（ことば）を信（しん）じていない。連（つ）れの方（かた）、というのは私のことだろう。

「いいヨ、ここで宣言（せんげん）するヨ。彼女はあたしの、大切（たいせつ）な人（ひと）だヨ。だから手（て）を出（だ）さないでネ、出（だ）したらタダじゃ済（す）ませないかラ」

　推（お）しちゃんが言（い）って、皆（みな）の注目（ちゅうもく）が私に集（あつ）まる。何（なん）と言（い）っていいか分（わ）からず、とりあえず軽（かる）く手（て）を振（ふ）っておいた。

「おお、ミステリアス……彼女が『港区（みなとく）の女王（じょおう）』の知（し）り合（あ）い……」

「背（せ）が高（たか）い……かっこいい……サングラスがクール……」

　周囲（しゅうい）から、過度（かど）に美化（びか）されている感（かん）が凄（すご）い。サングラスも合（あ）わせて、私の上下（じょうげ）は黒（くろ）ずくめで下（した）はスカートで、映画（えいが）のマトリックスみたいなキャラクター扱（あつか）いをされていた。推（お）しちゃんに手（て）を引（ひ）かれて、私たちは音（おと）が大（おお）きく鳴（な）っている先（さき）の方（ほう）へと進（すす）んでいく。

「やっぱり、お姉（ねえ）さんは流石（さすが）だヨ！　背（せ）が高（たか）いから何（なに）を着（き）ても似合（にあ）うネ。クラブでは目立（めだ）ちにくい、黒（くろ）の服（ふく）を着（き）せておいて良（よ）かったヨ！　誰（だれ）かにお姉（ねえ）さんを奪（と）られる心配（しんぱい）があるからネ」

　会（かい）場内（じょうない）の音（おと）は大（おお）きくなっていって、私たちは自然（しぜん）と身（み）を寄（よ）せ合（あ）うように話（はな）す形（かたち）となっていた。彼女の体温（たいおん）が感（かん）じられる。クラブというのは、人（ひと）と仲良（なかよ）くなるには良（よ）い場所（ばしょ）なのだろう。

「ねぇ、港区（みなとく）の女王（じょおう）って何（なに）？　歌舞伎（かぶき）町（ちょう）の女王（じょおう）とは違（ちが）って、陽（よう）キャの象徴（しょうちょう）だとは思（おも）うけど」

「その話は後（アト）、アト！　クラブに来（き）たら踊（おど）るのが流儀（りゅうぎ）だヨ。その場（ば）で跳（は）ねて、手（て）を挙（あ）げて振（ふ）るだけネ。簡単（かんたん）だヨ！」

　階段（かいだん）を下（お）りて、施設（しせつ）の最下層（さいかそう）に到（とう）着（ちゃく）する。そこは最（もっと）も騒（さわ）がしく、賑（にぎ）やかで光（ひか）り輝（かがや）く空間（くうかん）だった。曲名（きょくめい）は知（し）らないけれど日本語（にほんご）の歌詞（かし）が流（なが）れて、物凄（ものすご）くテンポが早（はや）い音楽（おんがく）で体（からだ）が勝手（かって）に動（うご）く。楽（たの）しい、すっごく楽（たの）しい！　お酒（さけ）を飲（の）んで、ご機嫌（きげん）な曲（きょく）が流（なが）れて、傍（そば）には可愛（かわい）い推（お）しちゃんがいるのだ。気分（きぶん）が上（あ）がるのは当然（とうぜん）で、「フォー！」と推（お）しちゃんがマイケル・ジャクソンみたいな声（こえ）をあげた。

　三人（さんにん）の黒（くろ）スーツ女性（じょせい）が警護（ガード）してくれて、お陰（かげ）でナンパなどに遭（あ）うこともなく、私と推（お）しちゃんは快適（かいてき）に楽（たの）しむことができた。ひと仕切（しき）り踊（おど）った後（あと）、私たちは一階（いっかい）上（うえ）のＶＩＰ（ビップ）ルームへ移動（いどう）する。予約（よやく）しないと利用（りよう）できないらしいけど、もちろん推（お）しちゃんは事前（じぜん）予約（よやく）をしていた。