καθαρός

私を助けてくれた葦毛色の髪の彼女の名は、カリンというらしい。


彼女はここ、基地キープとよばれる街に住んでおり、先ほどは物資を集めるために単身で外へ出ていたようだ。

この灰だらけの世界において数少ない、いや一つしかないかもしれない人の生活領域で人々は熱を寄せ合って暮らしているらしい。


「きみは、どこから来たのかな?外で暮らしてたの?」


彼女の質問に私は首を横に振って否定した。

古びた聖堂で扉を開けた経緯を話したが、彼女は苦笑いして困ったような表情を浮かべてしまった。


「混乱...してるのかな。名前は?」


その問いは私も困惑させることとなった。

私の名前。

思い出せない、記憶があの聖堂から一切ない。

名前どころかどんな人生を歩んできたのか、わからなくなっていたのだ。


「だいじょうぶだよ。だいじょぶ...きっと襲われたんだね」


襲われた?と私は返す。


捨人すてびとって、わたしたちは呼んでる。さっきのおばあさんのこと、君に襲い掛かってたよね...。たまに出るんだ。人間性を失って、頭がおかしくなっちゃう人...そういう人は基地キープから追放されて、あんなふうに...」


私は腕を組んで考えこんだ。

正常な心を失ったとして、あのような異形な姿になるのだろうか?

私の考えを察したのか、彼女は話をつづけた。


「うん、わかるよ。なんであんな姿になっちゃったのかって...でもね、正直よくわかってないんだ。子供の頃はよく、オバケになっちゃうって言われてた。怖すぎだよね...」


彼女は短いスカートの灰を手でさっと払った。


「いくつか種類みたいなのがあるんだけど...きみが遭遇したのは行商人っていわれる捨人かな。その人が欲しいものを差し出して、夢中になっているところを襲うんだ」


その話を聞いて私は老婆が差し出したランチボックスの中身を思い出す。

得体のしれない肉塊が私の求めるものだというのか。

考え始めると、なぜか胸が苦しくなる感覚に襲われ、手が震え始めた。


「だ、だいじょうぶ?きっとあの灰を吸い込みすぎちゃったのかもしれない...わたしの家においで。たべものもあるから!」


彼女は再びガスマスクを身に着けると、ハンカチのような布を私に差し出した。

これで鼻と口を覆えというのだ。

差し出された布を鼻にあてると、花のような良い香りがした。


そして、彼女に再び手を引かれ、私は路地を後にした。


...

......

..........


彼女の手の温かさは、私の心に安らぎをもたらしていた。

周囲の景色は一様に荒れ果てており、かつての都市の栄光は今や見る影もなかった。


ビルは崩れ、ひび割れたガラスの破片が地面に散らばっている。

アスファルトは割れ、雑草がその隙間から顔を出していた。

風が吹くたびに、埃と灰が舞い上がり、視界を曇らせる。


時折、誰かの視線を感じ視線を向けると、住人らしき人たちが崩れた住居の中から私たちを見張っているかのように凝視していた。


彼女は手際よく瓦礫の間を縫うように進んでいく。

私は彼女の後を追いながら、その華奢きゃしゃな背中を見つめる。


すると彼女は前を歩きながら話しかけてきた。


基地キープの中は安全、とも言い切れないんだ。食べ物や飲み水も不足してるから...それを求めて襲ってくる人もいる。外に対しては警備の人たちが見張ってくれてるけど、中の治安までは手が回らないから...」


私は捨人に襲われた際に、ゲートの警備兵が助けてくれなかったことを思い出した。

そのことを彼女に告げると申し訳なさそうな表情がガスマスク越しにもわかった。


「ごめんね。外から来た人は彼らは助けたりはしないんだ。前にも似たようなことがあって...捨人は正常な人のフリをして誘い出したりして、襲うんだ」


途中、古びた看板が風に揺れ、かつての商店街の名残が辛うじて確認できた。

錆びついた自動販売機や、破壊された車の残骸が無造作に転がっている。

それらは過去の生活の痕跡であり、

この街がかつては賑わいに満ちていたことを物語っていた。


そこで、私は彼女に質問をした。

ここはどこの国で、なんという街だったのか、と。


「うーん...。ごめん、わからないや。わたしは生まれた時からこんな状態で、知ってる人はいるのかな...?」


やがて、目の前に現れたのは、一見してまだ健在な家だった。

壁は一部が崩れていたが、それでも他の建物に比べればはるかにマシだった。

だが違和感を感じたのは、城壁のように高くなっている家の塀だ。

さながら小さな城塞のようである。


彼女は家の前で立ち止まり、私を振り返った。


「はい、到着!えーっと、散らかってるかも知れないけど...あ!洗濯物ど、どうしたっけ!?ちょ、ちょっとだけ待っててね!?」


彼女は焦ったように家の中に飛び込んでいった。

しばらくすると彼女は出てきて、乱れた髪を直しながら微笑んだ。


「あはは、ごめん...おまたせ。入っていいよ!」


家の中に入ると、その外見の無骨さとはまるで対照的な光景に目を見張った。

頑強な扉を閉めた瞬間、荒廃した外界の陰鬱な空気が切り離され、まるで異世界に迷い込んだかのような錯覚に陥った。

内部は驚くほど華やかで、女性らしい細やかな感性が溢れていた。


私が驚いていると、彼女は靴を脱ぐように言ってきた。

汚れたスニーカーを脱ぎ、部屋の中へと進む。


まず目に飛び込んできたのは、

柔らかいパステルカラーのカーテンが揺れる窓だった。


窓辺には色とりどりの花々が並び、

壊滅的な街の中で唯一の生命の象徴として咲き誇っているようだ。

花瓶の中には新鮮な花が活けられ、その香りが部屋中に漂っていた。


色のない世界に、絵の具をもちこんだかのようだった。


棚には本や装飾品が整然と並べられており、

その一つ一つが彼女の趣味と興味を物語っている。


「これらはね~外に出て集めてきたんだ!」


彼女はそのコレクションをきらきらと目を輝かせながら自慢してくる。

その姿に私も笑みを浮かべる。


足元にはふかふかのカーペットが敷かれ、その感触が疲れた体を癒してくれる。

照明は温かみのある柔らかな光を放ち、部屋全体を包み込むように照らしていた。


小さなランプやキャンドルが所々に配置され、

夜になると更に温かみを増すだろうと想像させた。


「つかれたよね?お茶を淹れるから座って待っててね!」


彼女は優しく微笑み、私にソファに座るよう促した。

その声もまた、この居心地の良い空間の一部のように感じられたのだ。


この家の中にいると、外の荒廃した世界の存在を忘れてしまいそうだった。

彼女の手によって作り出されたこの空間は、

希望と美しさが凝縮されたオアシスといってもいいかもしれない。


その中で、私は心からの安らぎを感じることができた。









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