二度目と三度目の受診

二度目の受診は五月十一日。

三度目の受診は六月二十二日。

どちらの診察も初回と変わらず、待ち時間が長いのでした。

六月の診察時に「それでは来月は手術ですね。それまでに体調を崩したり、なにかあった時は連絡をください。リスケジュールしますから」と言われました。

 

三度目の受診のとき、心電図をとりますと言われました。

毎年の健康診断でも取りなれているから楽勝~と思っていたら……。

「金属のものは全部外してくださいね」

「へ?」

「時計とネックレスと、できれば指輪も」

指輪……抜けないんですけど。

 

「……今日は仕方がないですが、手術のときは外してくださいね」

「もしも、外れなかったら?」

「は・ず・し・て・く・だ・さ・い・ね。レーザー(電気)メス使うので火傷の可能性があります」

丁寧な説明、ありがとうございます。

 

数年前にポリープ取ったときもどうしても外れなくて、指輪のスキマにガーゼを巻いて切除してもらったのだけど、その病院では「なぜ外さないといけないか」の説明がなかったんです。

ほんのちょっとした、だけど重要な説明がとっさにできるってさすがです。

おかげで病院への信頼度が高まりました。


そういえば初回に採血とかしたときも、別の看護師さんだったけど上手だったなぁ。

 

入院は手術前日の七月二十一日の十三時。

そのまえの十八日から左目のコンタクトレンズの使用は禁止。

十九日からは手術前の目薬の点眼をおこなう……というスケジュールです。

そんな七月のある日、左手の中指にささくれを見つけました。

軽く爪切りで取ったもののまだ残っている……深追いして切ったところ深爪状態になってしまいました。

 

絆創膏を貼ってみたけれどなかなか痛みが引かない。

一週間ほどたっても治らないので皮膚科を受診しました。

(この受診時のことは『ななめむきの日々~待たされた』に」書いてます)

翌日の十七日。

朝イチに入院予定の眼科に連絡を入れました。

 

指に軽くとはいえケガをしたこと。

処方された薬名と日数を伝えます。

折り返し電話をかけるというので、ちょっとひやひやしながら待っていました。

万一を考慮して手術は延期となったら大変なので。

しばらくのちにかかってきた返答は「おそらく問題はないと思うので、当初の予定通り」とのことでした。

 

ところで、目の手術です。

数日は顔はふくだけ、洗髪は行なうこと。

退院後もできれば美容室などで行なってもらうのがのぞましい、となっています。

肩を超えるくらいの長さの私……きっと扱いに困る。

切る決心をしました。

行きつけ(といってもあまり行ってない)の美容院に予約を入れて、切ってもらったのが十七日夕方。

自分史上、一番の短さになりました。

 

と、いうことで。

この部分を書いているのが七月十八日です。

今朝から、左目のコンタクトレンズは使用していません。

職場にもちゃんと運転して来れました。

ずっとで生活していたのがよくわかります。

 

ところで、この円錐角膜。

発覚したのは高校生ぐらいの時でした。

小学校一年生からのメガネ生活で、度数が合わなくなったら買い替えて……で対処していました。

いつもメガネ店で作ってまして、作るときはよく見えるようにとちょっと強めに作ってもらってたんです。

そんなある時、言われました。

「円錐角膜になっているので、これ以上の視力はメガネでは無理です」

この時点で眼科に行っていればよかったのかもしれません。

 

その後、大学生になり通学は原チャリとなりました。

最初はフツーのヘルメットを使ってたんですが、他大学のバイク乗りの知人(♂)から「絶対、フルフェイスの方がいい!特に運転下手な女子!絶対転んで顔を怪我する!」と言われたのでヘルメットを変え、不便だからとメガネをコンタクトに変更することにしました。

 

最初に作ったのはメ……で始まるメーカーさん。

不慣れなのもあって、しょっちゅう目の中でずれてました。

ささいなことでずれるので目つきはおかしくなるし、めちゃくちゃ太ってる時期でもあったので……この時期の写真は見たくないです。

我ながら「バケモノ」です。

そのコンタクトにも慣れてきたころ。

もう就職してましたが、ある日、職場で目に違和感を感じました。

コンタクトのケースは持ってきていないので我慢して着用したまま帰宅。

その夜中に、目に激痛が走りました。

 

目を開けていられない痛み。

ほんのちいさなあかりでも目にささるのです。

確か父親が知り合いの眼科医に連絡して、夜間だけど緊急で開けてもらったんじゃなかったかな。

はい、角膜剥離になりかけてました。

目薬と軟膏を処方してもらって、二週間ほどかけて治しました。

 

完治してから、度数も変わっているからとボ……で始まるメーカーのコンタクトに変更になりました。

その後は特に問題なく使い続けていましたが。

結婚後に目の調子が悪いからと北九州の総合病院内の眼科を受診しました。

その際に市内の眼科を紹介してもらい、コンタクトを作り直すことになりました。

 

裸眼の視力を計ったり、眼圧やその他もろもろ計測した後、それまで見たことがない機械の前に案内されました。

「これで目のカーブを計ってコンタクトを作ります」

はい?今までのメーカー店舗ではそんな計測してもらってないぞ?

今度のメーカーはサ……で始まります。

 

そうです。 

ようやくここで初めてを作ったんです。

もしも一番最初のコンタクトレンズを作るときに……というかメガネを作るときにメガネ屋さんではなく、眼科で処方してもらって作ってたら、と後悔しているのはそういうわけなんです。

ただ……最初にコンタクトレンズを作った当時、円錐角膜用のセミオーダーコンタクトがあったかどうかは不明ですが。

もしも当時から当該商品があって装着していたら、病気の進行はもう少し遅かったかもしれません。




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