第2話

 ◆


 かくして、わたし……カミーラは辺境伯イグニスさまのもとへ嫁いだ。


 普通の貴族間での婚姻であれば色々あれこれ準備期間は長いそうだが、聖女の結婚は早い。婚姻相手の了承さえ得られたら即、結婚だ。


 わたしは結婚の誓約書にカミーラの名前でサインした。


 まあ、そして、そして、初夜、だ。


 年のいった侍女にそれはもう丹念に肌を磨かれ、「頑張ってください!」と透けてるレースの薄い服を着させられたわたしは夫婦の寝室に放り込まれた。


 世間知らずに育った聖女のわたしだけど、さすがに夫婦の営みくらいはしっている。結婚初夜の夫婦がすることも知っている。


(……カミーラとして、抱かれるのかあ……)


 そう思うと、チクリと何かが胸を刺す。

 彼のことは少なくとも外見については大変好みだ。まだちょっとしかお話しできていないけれど、誠実で優しそうなところも素敵だ、と思う。彼に抱かれるということ自体には嫌悪感はない……と思う。


 けれど、こんなふうに彼を騙したまま夫婦として身体をつなげるということは望ましくないのではないかという思いが私の胸をグルグルと締め付けていた。


 やがて、寝室の戸が開き、イグニスさまがやってきた。


 ベッドに腰掛けるわたしを見て、彼はフ、と穏やかに目を細める。


 しっとりとほのかに濡れた銀の髪が彼の大人の色気をかき立てていて、わたしはますます緊張した。


「あ、あの……」


「――安心してくれ。私はあなたを……そういう意味で愛する気はない」

「はっ、はい……えっ!?」

「……驚くのだな? いや……それもそうか。すまない、あなたも覚悟の上でここに来てくれたのだろう。ありがとう」


 いえ、まあ、騙している罪悪感でグルグルとはしていましたが、まあ、入れ替わりで嫁ぐと決めた時点である程度は覚悟の上で……その、スケスケのドスケベレースナイトドレスを着てきましたが……?


 微笑む彼の瞳は慈愛に満ちていた。さらにはスケスケのわたしの肩に、そっとガウンを掛けてくれる。あったかい。


「……あなたのように美しい聖女を妻に迎えられて私は本当に幸せ者だ。それだけで十分だ。無理はしなくていい。あなたはあなたの望むがままに。あなたが望むもので私に与えられるものはなんでも与えよう」

「は、はあ」

「……私は良き双肩を得られたとそう思っているのだ。どうか、これからもよろしく頼む」


 生真面目に頭を下げ、そして握手を求めて手を差し出す彼の目には一点の曇りもなかった。眩しいな、と思いながら応じると、私よりもふたまわりほどあろうかと思うほど大きな掌で力強くがっしりと私の手を掴んだ。

 騎士である彼の手はタコができていて、硬い感触だった。


「よ、よろしくお願いします」


 おずおずと返事をすると、彼はニコ、と笑い、夫婦の寝室から出ていった。


 ――わたしはこの時、彼の言葉の意味を正しく捉えられてはいなかったのだった。


 ◆



(双肩って! そういう!)


 溢れかえる魔物を薙ぎ倒しながらわたしは「なるほどー!」と脳内で叫び倒していた。


 辺境の地は魔物の数が多い。国境沿いに魔物が棲むのに適した瘴気に満ちた広大な森が広がっているからだ。

 辺境伯であり、辺境騎士団長でもあるイグニスさまはほとんど毎日魔物との戦いの前線に出られる。


 イグニスさまが大の男と同じくらいの大きさの大剣を振るう。わたしはその横に付き従い、聖女の奇跡の力をもって魔物を屠っていく。


(愛しの妹カミーラ! あなたね! 入れ替わらなくても結構希望通りの生活できてたわよ! 辺境は田舎だけどねっ)


 イグニスさまが望んでいたのは『妻』ではなくて、『共に戦う相棒』だったのだ。


 なるほど、なるほど。イグニス様のように誠実な方がいかに王命とはいえ、愛していない女を妻に迎えた理由の真相はコレだったか。


 聖女の嫁入りを受け入れたのは、辺境に蔓延る魔物の殲滅に協力してもらうためだったようだ。


 イグニスさまはわたしに「一般的に言う妻の役割を求めることはない」と仰った。辺境伯の妻、女主人としての業務や跡継ぎを産むため閨を共にすることもなくていい、と。


『私はあなたが思うがままにここで過ごしてほしいと思う』


 そう言ったイグニスさまだが、そう言ったわりにイグニスさまは「さあ今日も警備に出よう」「今は西地区の魔物の繁殖期だから今のうちに巣と卵を壊しに行こう」だのなんだのと毎日せっせとわたしを戦いの場に誘う。うん、今日も忙しい。やることが多い。


「――カミーラ! 上だッ」


 ハッとして、わたしはしゃがみ込む。そしてわたしの頭上に迫っていた巨大な鳥の魔物のかぎ爪を大剣で薙いだ。


「ありがとうございます、イグニスさま!」

「ああ、すまない。魔物をあなたに近づけさせてしまった」

「大丈夫ですよ、わたし、接近戦もできますから!」


 まあでも、イグニスさまと並んで戦うのは……正直、爽快感や、彼と背中を預け合える嬉しさもあった。ちょっと不謹慎だけど、楽しい、とも。


 イグニスさまは形の良い眉をしかめ、不意にわたしの頬に手を伸ばした。


「えっ、えっ」

「……血が」


 頭の上で派手にやっつけたのだから、当然、私は魔物の血飛沫を浴びていた。イグニスさまはひどく申し訳なさそうに顔を歪めていらっしゃる。


「すまない。あなたの美しい髪も、白い肌も、汚してしまったな」

「だっ、大丈夫ですよ! わたし、こんなの慣れっこですし!」


 魔物の血飛沫くらい、本当にどうってことない。気にしてもいなかった。


 イグニスさまは白いガーゼを取り出すと、水筒の水を含ませてそっとわたしの頬や髪を優しく拭ってくださった。


「ほ、ほんとうに、大丈夫ですからっ」

「きみが汚れたままでいるのを良しとはできないよ。ましてや、私の不慮のせいなのだから」

「……」


 目の前にあるのはわたしが密かにだいだい大好きなイグニスさまのご尊顔で、しかも浮かべられた表情はとても切なげで、わたしは内心で「ヒー!」と声をあげた。


「……カミーラ」

「はっ、はい!」

「もしかして、今日は体調がよくなかっただろうか」

「えっ?」

「顔が赤い。ほら、とても熱いよ。……今日はもう帰ろう」

「で、でも、この辺りの卵を全部割ってしまわないと……」


 繁殖期の魔物は膨大な数の卵を産む。孵化のスピードも早い。一日でも早く、より多くの卵を潰さなければ後が大変だ。

 しかし、イグニスさまはハッキリと首を横に振った。


「心配はいらないよ。きみが来るまではずっと私と、我が精鋭たちでやっていた仕事だ。送っていくから、安心して休んでいてくれ」

「――大丈夫です。本当に……!」


 待って待って、こんな一人で勝手に恥ずかしくなって真っ赤になって強制送還なんで情けなさすぎるし、申し訳なさすぎる。

 なんとか一緒に残りたいと告げても、イグニスさまは頑なだった。


「……きゃっ!?」


 急にぐるんと視界が回り、気づけばわたしはイグニスさまの逞しい腕の中にいた。


「すまん。少しだけ我慢してくれ」

「は……はい……」


 腕の中ですっぽり丸くなりながら、わたしは己の流され体質を恨んだ。


 うう、優しい。たくましい。筋肉あったかい、好き。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る