あの日

 真由子との関係が始まって三ヶ月が経った頃、帰宅すると美幸がテーブルに突っ伏していた。ゆっくりと床に足をつけ、声をかけると、美幸がむくりと体を起こした。髪の毛が簾のように顔を隠しているが、三白眼の目を見開いて豊崎を睨みつけていた。心臓が握りつぶされて指の間から肉がはみ出してくるようだった。美幸は立ち上がって奇声を上げながら豊崎に襲い掛かった。

「美幸!」

 豊崎は美幸の両手首を掴んで抵抗した。美幸の奇声の上を重ねるように修太の泣き声が寝室から聞こえてきた。

 豊崎は美幸の奇声の中に言葉のようなものが混じっていることに気づき、腕に力を込め続けたまま聞き取ろうとした。

 裏切り者、死ね、殺してやる、死んでやる――

 美幸は不穏な言葉を吐きだしながら豊崎を襲い続けた。自分の不倫がバレてしまったことに気づき、美幸の手首を離した。

「申し訳ない」

 豊崎は膝を曲げて、美幸の足元の床に額をつけた。

「許さない。あんた、私に修太の面倒を押し付けてどこかの女と気持ちよくなってたなんて」

 背中に重い衝撃が走った。次々と小石を投げつけられるような感覚だったが、実際はおそらく美幸の拳やテーブルの上に置いてあった雑貨類だった。

 俺が、全部悪いのだろうか。

 美幸から暴言が吐き出され続ける中で豊崎はこの問いがぐるぐると思考回路を支配した。

 違う……。

「俺はお前がおかしくなってから、お前のケアも、修太の育児も必死にやってきた。早く治ってくれるように祈りながら……。でもお前はずっとこのままだった。もう我慢の限界なんだよ」

 豊崎が美幸に向かって叫び終わると、修太の泣き声だけが部屋内に響いていた。

「俺が泣きてえよ」

 修太にあたるのは間違っているという正常な判断はできるのに、豊崎は気づけば声を荒げていた。

 これ以上ここにいるととんでもない過ちを犯すかもしれない――

 豊崎が脳内で子の思考に至る頃にはまだ体温がわずかに残っている革靴を履いて外に出ていた。家を出る間際に美幸からまた罵声が浴びせられたが、聞き取ることはできなかった。

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