第13話 文香に現れた異変

 翌日。

 また悪夢を見るのではないかという恐怖心から、文香はその晩、眠ることができなくなった。

 寝不足状態のまま、ふらふらと通学路を歩いていると、誰かが背後から肩を 

叩いてくる。

 普段ならばあまり気にせず、すぐに背後を振り向くところなのだが、昨晩の恐怖体験が文香の神経を高ぶらせていたため。

「ひっ⁈」

 小さく悲鳴をあげ、背後を振り向く。

 その視界には、驚きで目を見開いている桔梗がいた。

「ど、どうしたのよ? 文香……すっごい顔になってるけど」

「き、桔梗……桔梗ぅぅぅぅぅ……」

「ちょっ⁈ え、ほんとにどうしたの?」

「うぅ……実はぁ……」

 半べそになりながら抱きついてきた文香に困惑しながら、桔梗が問いかけると、鼻をすすったり、所々でしゃくりあげたりしながら、文香は自分のみに起きたことを説明し始める。

 その説明を聞き、桔梗の顔に険が現れ始め。

「……そのお守り、今も持ってる?」

「え? あぁ、うん」

 桔梗に促され、文香はボロボロになったお守り袋を差し出す。

 もはや機能しているのか怪しい状態になっているお守り袋を見た桔梗は、眉間のしわをさらに深める。

 しばらく考え込むような仕草を見せた後、桔梗は真剣な表情のまま、文香に顔を向け、はっきりと宣言してきた。

「文香、今日の昼休みか放課後に成昌の所に行こう」

「え……いや、そこまでのことなの?」

「そこまでのこと。こういっちゃあれだけど、成昌の作るお守りなら一か月もしないでこんなボロボロになるなんてことないもん」

「え、何? 身内びいき?」

「そんなんじゃないわよ。けどこんな状態になってるってのはまじでやばいんだって!」

 真剣な表情のまま、桔梗は文香の置かれている状態がいかにまずいものであるかを話し始めた。

 その言葉に、文香は自分がどれだけ深刻な状況に置かれているかを理解し、桔梗に再び、成昌に取り次いでほしいと頼む。

 その願いを桔梗は素直に聞き入れ。

「わかった。早めの方がいいだろうから、昼休みに屋上に来るように伝えておくね」

「ありがとう……って、なんで昼休み? 別に放課後でも」

「言ったでしょ? 早めの方がいいって。それに、放課後にしたら文香、寝ちゃうでしょ?」

「……寝ない自信がありません……」

「でしょ? だから、さっさと成昌に話をしにいくの! 理解した?」

「理解しました……お気遣い、ありがとうございます」

 寝たり起きたりを繰り返していたとはいえ、眠れていないわけではない。

 だが、疲れが取れているかと聞かれれば、答えはノーである。

 今も桔梗と話しているからどうにか立っていられるが、ともするとそのまま地面に倒れて夢の世界に旅立ってしまいそうになっているのだ。

 だが、もう一度、眠ってしまったらまた悪夢を見てしまう。そうなったら、今度こそどうにかなってしまう。

 文香がそう考えていることを理解して、桔梗はなるべく早めに話をすることを提案してきたようだ。

 その意図を、文香は理解し、桔梗に礼を伝え、並んで校門へと向かっていった。

 昼休みに入り、文香は桔梗に連れられて成昌の元へ来た。

 桔梗が事前に話していたのか、それとも二人の気配を察してか、成昌は弁当箱を取り出そうとする手を止め、視線を二人へと向ける。

「……なんだ?」

「成昌。桔梗が話さないといけないことがあるんだって」

「だから、なんだよ話ってのは。さっさとしろ」

 つっけんどんな態度ではあるが、一応、真剣に話を聞こうとしているようだ。

 弁当箱を開けようとする手を止め、成昌は文香に視線を向けていた。

 万全の状態であれば、その視線を向けてくることに文句の一つも言っているところなのだが、いまの文香にはそんな余裕はない。

 重々しくため息をつき、ブレザーのポケットから渡されたお守りを取り出して机の上に置き、文香は自分に何があったのかを語り始めた。

「昨日、家に帰ってるときに――」




 昨日、家に帰ってるときに、変な声が耳元で聞こえてきたの。

 もちろん、無視したし、できるだけ声を出してるやつを見ないように努力はしたわよ?

 そしたら、あっちも諦めたみたいで、家に入ってから声は聞こえなくなったの。

 でも、ベッドに入って目を閉じて、寝落ちしたなって思った時になって、またそいつの声が聞こえてきたのよ。

『祀れ、我を祀れ』

 って。

 もちろん、声を無視しようって頑張って耳をふさいだし、なんだったら走ったよ?

 けど、耳じゃなくて頭に直接、声が響いてくるような感じで、ずっと付きまとってきたんだ。

 最後は目を閉じて、うずくまって、耳抑える力も強くして声が聞こえないようにできる限りの工夫をした。

 でも、そいつはずっとわたしに声をかけ続けて、最後には目の前に何かが出てきたの。

 その瞬間を見たわけないし、音も聞こえないようにしてたけど、そいつ、まるで自分のことをアピールするみたいにわたしの顔に自分の顔を近づけてきたんだ。

 生臭いというか、なんかこう、朝から歯磨きするのを忘れた時の口の臭いみたいな……とにかく、すっごく嫌な匂いと湿気がわたしの顔にかかってきたのよ。

 我慢できなくて目を開けると、下弦の月っていうんだっけ? ほら、月の下の方が欠けた三日月。あんな形したものが二つ、目の前にあったの。

 たぶん、そいつの目だったんだと思う。

 それを見たら、また頭の中で声が響いてきたんだ。

『やっと見たな……さぁ、我を祀れ。それが我を不用意に呼び出した貴様にできる、唯一の償いだ』

 そう言って、そいつ、にぃって笑ったのよ……まるで、悪い狐みたいな顔で。




 そこまで話し終えると、いままで張り詰めていた緊張の糸が切れたのか、力なく机に体を預け、突っ伏してしまった。

 その姿に、成昌は苦言を呈そうとするが聞こえてきた寝息にその気力を失い、ため息をつく。

 さすがに眠気には勝てなかったのだろう。

 さきほどの話を聞き、いますぐに叩き起こすほど、成昌も鬼ではないが、かといって、このままにしておくと、弁当を食べる場所が確保することができない。

 どうしたものか、と思案していると、成昌の耳にくすくすと小さな笑い声が聞こえてくる。

「笑い事じゃねぇし、見世物みせもんでもないぞ」

「ごめんごめん。けど、成昌も一応、他人に気を使うんだなと思って」

「曲がりなりにも依頼人だからな。それなりに気遣いはするさ」

「ふ~ん? まぁいいんだけど」

 あまり気にしていないのか、桔梗はそれ以上追及することはなかった。

 だが成昌から離れるつもりはないらしく、すぐ近くの椅子を引き寄せて腰かけ、持ってきていたカバンの中から弁当を取り出して黙々と食べ始める。

 その光景を横目に、成昌も弁当をつつき始めるが。

「ねぇ、成昌。桔梗に渡したお守り袋のことなんだけど……」

 桔梗が不意に言葉をかけてきた。

 成昌は桔梗に視線を向けず、お守り袋に視線を向け、箸を持ったままボロボロの状態になったお守り袋を指さす。

「こうなったのは、いつのことだって話してた?」

「今朝、確認してみたらこうなってたんだって」

「今朝か……てなると、やっぱ夢で声をかけてきたやつが本気を出してきたってことかもしれないな」

「本気出してきたって……成昌、手抜きして作ったってことないよね?」

「逆に聞くが、俺がそんないい加減なことすると思うか?」

「しないと思う」

 成昌の言葉に、桔梗は即座に返答する。

 他者との関わりをあまり持ちたがらず、現代を生きる人間にどこか諦めのようなものを感じている成昌ではあるが、それはあくまでも成昌の私的な感情だ。

 依頼人に対し、その感情をぶつけることはないし、作ってほしいと頼まれたお守りや霊符の作成に手抜きをするようなことはしない。お祓いに関してもそれは同じだ。

 自分の能力を信頼し、自分の全力をもって依頼にあたる。手抜きはせずに、全ての依頼にまじめに取り組む。

 それが成昌の矜持であり、何ものにも譲れない、いわば『芯』となっているものだ。

 自分の中心にあるものを簡単に捻じ曲げるほど、成昌はいい加減な性格をしていない。

 それは桔梗もわかっているが、おそらくは確認のための問いかけなのだろう。

 いつの間にか弁当をつつく手を止めて、成昌はじっと、無残に変わり果ててしまったお守り袋に視線を落とす。

――様子見のつもりではあったけど、それなりに力を込めて作ったお守りが経った一晩でこんな状態になるものなのか? こりゃ、本格的に色々と調べないとならんかもしれないな……

 修行中とはいえ、成昌は幼いころから自分の家に関連する知識や力の扱い、それらにまつわる様々な物事について学び、身に着けてきた。

 まだまだ若輩ではあるのだが、それなりの実力を持っている。

 そんな人間が作ったお守りが、渡してからそれなりに日にちが経っていたとはいえ、たった一晩で、それも焚火にくべたかのような状態になるとは考えにくい。

「さて……どうしたものかな」

「何から手を付けたらいいか、わからない感じ?」

「あぁ。情報が少ないからどうしたものか迷ってる」

 文香が夢で見た光景が現状、唯一の情報源である。

 だが、これ以上の情報収集を文香一人に行ってもらうには、彼女の精神が耐えられるかどうか。

 成昌としては、依頼人でもある文香にはあまり負担をかけたくないというのが正直な思いであり、そうなると、これ以上の情報収集ははっきり言って難しいということになってしまう。

「なら、占ってみたら? 式占ちょくせんで」

「……俺は、式占が苦手だってこと知ってるだろうが」

「知ってるよ? けど、それ以外に情報集める手段、あるの?」

 桔梗の一言に、成昌は沈黙する。

 占いと一口に言っても、手相や星占い、水晶占い、タロット占い以外にも、西洋で行われた紅茶占いや中国発祥の易占など、その種類は多種多様だ。

 その中でも、成昌や桔梗は星の動きを読み取り未来を予測する天文と、風水羅盤に似た六壬式盤りくじんちょくばんという道具を用いた式占のやり方を身に着けている。

 だが、成昌は祈祷や修祓に関する知識や実践力を中心に鍛えてきたため、占いにはあまり自信がない

だが、いまは苦手だからやりたくない、と言っている場合ではないし、桔梗の言う通り、それ以外に情報を集める手段がほとんどないことも事実だ。

「けど、その前に話を聞いておきたい奴がいる」

「奴らって言った方が正しいんじゃない?」

「まぁ、そうかもしれんな」

「じゃあ、そっちはわたしが聞いてくるから、成昌は占いの方に集中してよ」

 当然のように、桔梗は成昌に指示を出してくる。

 依頼を受けた人間は自分であるはずなのに、なぜか自分が命令されていることに疑問を覚え、成昌はジトっとした視線を桔梗にぶつけながら問いかける。

「ちょっと待て、なんでお前が仕切るんだよ?」

「だってその方が早いし、効率的じゃない!」

 成昌の問いかけに桔梗は、何言ってんだか、とでも言いたそうに首を傾げて返してくる。

「たしかにそうかもしれんが、依頼を受けたのは俺だぞ? 仕切るつもりはないが、桔梗に命令される筋合いもないと思うが?」

「それ言ったらわたしは文香から相談を受けたわよ? 一枚とはいかなくても、半分くらいかませてもらってもいいじゃない?」

 半分といわず、一枚も二枚も遠慮なしにかんでくるような気配がするのだが。

 そんなツッコミが口から出てくるのをこらえ、ため息をつく。

「わかった。まぁ、たしかに俺よりも桔梗の方が話しやすいだろうから、そっちは任せるわ」

「りょーかい」

 にひひ、と笑みを浮かべ、桔梗は椅子から立ち上がった。

 どうしたのか、成昌が視線を向けて問いかけると。

「そろそろ、昼休み終わっちゃうよ?」

 と、一言だけ残してそこから立ち去っていく。

「……まじか」

 桔梗の一言で成昌は教室にある時計へ視線を向ける。

 現在時刻は十二時四十五分。

 昼休みの終了は十二時五十分で、午後の授業は一時から始まるため、あまり時間は残されていない。

「やっべ!」

 食べる手を止めて、桔梗と話し込んでしまっていたため、弁当箱の中にはまだ半分ほど、詰められた中身が残っている。

 急いで残った半分を食べきり、弁当箱を片付け、午後の準備を開始しようとすると同時に、昼休み終了を告げるチャイムが鳴った。

――ぎ、ギリギリセーフか……

 どうにか午後の授業が開始する前に弁当の片づけが間に合ったためか、成昌は背もたれに寄り掛かりながらそっとため息をついた。

 なお、成昌は間に合ったが、そのまま寝落ちしてしまった文香は、午後の授業開始のチャイムが鳴り響いても眠ったままであったため、強制的に保健室送りになってしまい、文香はそのまま、ホームルームの時間になるまでの間を保健室で過ごすこととなった。

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