第14話 本腰を入れる成昌

 午後の授業が終わり、帰りのホームルームが始まる少し前になると、教室のドアが開き、その向こうから鬼の形相を浮かべている文香が入ってきた。

 文香はずんずんと成昌に近づいていく。

「ちょっと安倍!」

「あんだよ」

「なんで起こしてくれなかったのよ! わたし、あのまま寝落ちたんでしょ⁈ だったら昼休み終わる前に起こしてくるのが優しさってもんじゃないの⁈」

「そうはいうがな、お前、昨日はろくに寝れてないんだろ? そんな状態の奴を起こせると思うか?」

「うっ……け、けど」

「それにだ、起こしたらお前、絶対に文句言うだろ。こっちの優しさなんぞガン無視して口汚く罵るところまでありありと浮かんでくるぞ」

「いや、そんなことは……」

 眠っている人間が他人に起こされる場合、二つのパターンがある。

 起こしてくれた人間にお礼を言うか、それともそのまま放っておいてくれと文句を言うか。

 状況にもよるだろうが、成昌は文香を起こした場合、前者ではなく後者の反応を示すだろうと予測して、あえて起こそうとはしなかった。

 文香の人間性を疑っていたわけではないが、それでも善意で行ったことに悪意で返されることは、はっきりいって不愉快なことであり、できることなら回避したい事態でもある。

 むろん、文香も善意で起こしてくれたことを理解はするだろう。

 だが、寝不足状態であり、眠っていたい状態であったところを叩き起こされ、悪意をぶつけない自信がなかったため、そんなことはない、と否定したかったが、とっさに否定することができず。

「……すみません、怒らない自信がない」

 しゅんとした様子で謝罪していた。

 その反応に、成昌はため息をついていたが。

「ま、だがゆっくり休めたんだから最終的にはよかったじゃねぇか」

「……まぁ、それはそうなんだけどね」

 成昌や桔梗が近くにいたからなのか、それとも学校という空間自体が何か特殊な場所であるのか。

 文香は保健室の中では悪夢を見ずに眠ることができた。

寝不足が解消され、楽になったという事実を突きつけられ、文香はそれ以上、成昌に文句を言うことができなくなった。

だが、午後の授業に出られなかったことは文香にとって痛手だったらしい。

「けど、これじゃ成績落ちるじゃん! どうにかしてよ‼」

 授業に出れなかったということは、ほかのクラスメイトや同学年の生徒たちと差が開いてしまうということ。

 勉強よりも遊びたい年頃の高校生からすれば面倒くさい授業を体調不良という大義を得てさぼれたことは幸運なことなのかもしれない。

 だが、文香はそれとは真逆で遅れが出ることを嫌っているようだ。

「お前、自分の成績のこと気にするほうだったのか?」

「そりゃ気にするでしょ! 親や先生に説教されるの面倒くさいし、お小遣いアップの交渉にも使えるんだから!」

 返ってきた答えが、あくまでも面倒くさいし自分の欲求を満たしたいからだ、ということに、成昌はため息をつく。

 だが、授業が面倒くさいからといって授業をさぼり、試験範囲の内容がまったく理解できなかったり成績が下がったりしてしまったことに対し、教師や親、周囲のクラスメイトに責任を押し付けるような人間でないだけ、まだましというものだろう。

 その人間性に、成昌は少なくともクラスメイトの他の面々よりは好感を持つことができた。

 一週間は様子を見るつもりであったが。

「……予定を変更するか」

「え?」

「あとで話す。今はホームルームの時間だからな」

 ここで話してしまったら、クラスメイトに文香が『天使さま』で呼び出された何かに悩まされているということを知られるだけでなく、担任から小言をもらってしまうことになる。

 そんなことは時間の無駄であるし、ただ面倒くさいだけだ。

 とはいえ、成昌があまり他人と話しをしたがるような人間ではなく、最初に相談したときに怒らせてしまったという記憶が文香にはあるため、本当に話をしてくれるのか、不安に感じていた。

「え? けど安倍、あんまし人と話したくないって……」

「だから、予定変更だ。しっかり話聞いてやるし、話もしてやるから安心しろ」

 不安から出てきた言葉に、成昌はまっすぐに文香の目を見て返す。

 成昌のその目に、今度はちゃんと話を聞いてくれると感じた文香は、ひとまず、自分の席へと戻っていった。




 ホームルームが終わり、教室の掃除も終わると、成昌と文香、桔梗の三人は向かい合って座っていた。

 だが、誰一人として言葉を発していない。

 成昌がじっと、表情の見えないまなざしで文香の顔を見つめ、桔梗は見られている文香を見守っている。

 一方、二人から見られている文香は気恥ずかしさから顔を赤らめたり、成昌から視線をそらしたり、もじもじと体をくねらせたりしている。

 もっとも、それで視線がそれるたびに成昌から。

「目をそらすな、見えなくなる」

 と理不尽ともいえる注意を受けるため、目をそらさないように努力を続けていた。

「……もういいぞ」

 じっくりと文香を見つめてきた成昌の言葉に、文香はほっと溜息をつく。

 五分にも満たない短い時間ではあった。

 だが、異性にまっすぐ見つめられるという経験が少ない文香にとって、成昌がじっくりと観察してくることは今まで経験したことのないことだ。

 それに、成昌は性格や人当たりこそ問題視されているため、人があまり寄り付かないが、顔だけ見ればそれなりに整った顔立ちをしている部類に入る。

 ある程度、整った顔の異性に見られることに気恥ずかしさを感じることは、年頃の乙女として当然の反応だ。

 年頃といえば、成昌も同じことで、普通ならば文香と同じように顔を真っ赤にしているとことだろう。

 だが、成昌は顔色一つ変えず淡々とした様子で。

「藤原に憑りついてるやつについては、多分わかった」

「え、多分って……」

「確証がないからな。だが、見た限りでは動物霊よりは、むしろあやかしとか化け物って呼ばれる連中に近いのかもしれない」

 成昌の言葉に、文香は目を丸くする。

 動物霊というのならばまだわかる。

 だが、なぜここで妖や化け物という単語が出てくるのかがわからない。

 その様子に気づいた桔梗が、文香に解説を始める。

「妖っていうのは、動物霊が霊力を得て、さらに広い範囲で影響を与えることができるようになった存在のこと。化け物って言うのは、文字通りの意味」

 妖と聞けば、妖怪を想像する人間も少なくない。

 その想像は決して間違いではない。

 妖とは、視覚や聴覚、触覚といった五感によって人間に観測されはしても、名を付けられることもなく、名もなき神として崇められたり、時として災害や不可思議な現象を引き起こしたりする存在である。

妖怪とは、妖の中でも人間が遭遇してきた不可思議な現象に対し、名前を付けた存在であり、妖という存在の枠組みの中の一つにすぎない。

化け物も妖の枠組みの中に入るのだが、文字通りの意味だ。

 その説明に納得できたのか、それとも理解することそのものを放棄しているのか。

 文香はひとまず、理解した旨を伝えてきたため、それ以上の説明はされなかった。

 桔梗の講義が終わると、今度は成昌が口を開く。

「ただの動物霊であれば、こっちで引き取るなり除霊するなりすれば解決する。だが、今回はその方法は取れない」

「どゆこと? 妖と化け物が動物霊とは違うっていうのは、なんとなくさっきの説明でわかるけど」

「妖や化け物ってのは、執着というかこだわりが特に強いんだ。動物霊にも、一部そんな連中がいるが、あいつらはそれ以上だ」

「もしかして、わたしに執着する理由を解明しないと、本格的な解決は見込めないとか、そういうこと?」

「端的に言えば、そういうことだ」

 動物霊であれば、単に除霊すればいいだけのこと。

 だが、妖や化け物は、一度退けたとしても、さらに力をつけて戻ってくることが多く、イタチごっこが続いてしまうこともある。

 そのため、成昌としては一度で決着をつけたいところであり、そのためにももっと情報を集めなければならないそうだ。

 とはいうものの。

「情報っても……わたし、まったくって言っていいほどわからないんだけど?」

 文香はオカルト方面の知識は多少のところ持ち合わせているが、今回は被害者だ。

 桔梗に相談するまでが早く、目立った被害もあまり受けていない。

 必然的に接触が少なく、文香の語感から得られた情報はほとんどない状況だ。

 しかし、成昌はそこについてはあまり気にしていないらしい。

「詳しい情報じゃなくていい。どんな特徴があるか、それだけでもわかれば対処の基本方針ができるからな」

「もしそれが外れたら?」

「その時は臨機応変にってことで」

 知りたい情報は話しかけてくる存在がどんな特徴を持っているかだけらしく、ほかのことについてはあまり重要ではないらしい。

「そもそも、妖や化け物の対処ってのは、平和的に帰ってもらうように丁重にお願いするか、神仏の御威光おちからをお借りして無理矢理退散させるかのどっちかだからな」

「……そんなんでいいの?」

 妖や化け物を退治するという行為に、文香は漫画やアニメーション、映画などで描かれるような、激しいアクションがあるものだと勝手に考えていた。

 しかし、成昌が語るところによると、文香が想像しているようなアクションはほとんど存在しないらしい。

 代わりに、平和的に退散するよう言葉で説得したり、神仏の加護が込められた呪符や岩、あるいは祝詞などの言葉を使って無理矢理追い出したりすることが主なのだそうだ。

「まぁ、映画みたいなことがないわけじゃないけどな。実際、殴り合いってほどじゃないけど、物理的な攻撃仕掛けられたこともあるし」

「そんなことあるの⁈」

「それなりに力をつけた妖とかは特にな」

 普通なら霊のような存在が直接、物理的に干渉することは少ない。

 そもそも、霊は物を動かしたり、何かを壊したり、何かの跡をつけたりといったことができない場合が多く、物体に干渉できるとしても、憑りついた人間に不調をきたしたり、写真に写り込んだりする程度のものだ。

 だが、ある程度の力を身に着けた妖は、樹木を倒したり、砂をまき散らしたり人間に触れたり傷つけたりといった、物理的な干渉を行うことも可能となる。

 なじみ深い妖怪であれば、天狗倒しや砂かけ婆、すねこすり、鎌鼬かまいたちといった妖怪がそれだ。

 もっとも、妖怪は出現する場所に伝わる伝承などで対処方法がわかっているため、正体が判明した方が、仕事が楽ではあるのだが。

 が、今回、文香が引き寄せてしまったものは、ただの動物霊ではないということだけしかわかっておらず、どこかの地で語られたこともある妖怪なのか、それとも名もなき妖なのかはわからない。

 あらゆる対処法を用意し、事態に当たる必要があるようだ。

「とはいえ、やっぱ正体がわからないことには対処法もわからん。本当なら、そいつの外見とかなにかしらの特徴がわかれば万々歳なんだが」

「……すみません、確認するだけの度胸はありません」

「わかってる」

「あ、でも」

 ふと、文香は何かを思い出したらしく、夢での話に付け加える。

「夢から覚める前に、ケーンだったかオーンって甲高い声が聞こえたような気がする」

 どうやら、夢で語りかけてきた存在が発した声を思い出したようだ。

「ケーン……? それも甲高い声、か……」

 何かの動物の声なのだろう。

 だが、鳴き声だけではどんな動物なのかはわからない。

 ほかに何か手がかりがないだろうか、と考えていると、成昌はふとあることを思い出し、桔梗に問いかけた。

「そういえば、昨日、『天使さま』に参加したやつで交通事故に遭ったやつがいたよな?」

「あぁ、佐奈のこと?」

「たしか、あいつの背中には肉球の痕みたいなのがあったって言ってたよな?」

「言ったね。それがどうしたの?」

「肉球の形、覚えてるか?」

 成昌の問いかけに、桔梗は昨日、佐奈に見せてもらった背中に残った肉球の痕を思い出すと、メモ用紙を取り出し、さらさらとその肉球の痕を描いていく。

 描き終えると、桔梗はまず文香にメモを見せた。

「こんな感じだったっけ?」

「あぁ……じゃない? よく覚えてないけど、たしかにこんな感じだった」

 その場に一緒にいた文香に、自分の記憶が正しいかどうかを確認したかったようだ。

 返ってきた答えは、あまり頼りになるようなものではなかったが、ひとまず自分に記憶に大きな齟齬そごがないことがわかり、桔梗は自信満々で成昌にメモを差し出した。

「こんなだったはずよ。文香からもお墨付きもらってるから、たぶんあってるはず」

「たぶんて……いや、それはいい。とりあえず、見せてくれ」

 メモを受け取り、成昌はそこに描かれたものをまじまじと見つめる。

 そこには、猫や犬の肉球と異なり、中二つの指が前に出て、人間でいう手のひらにあたる部分がやや小さく、少しばかり縦に細長くなっているという特徴の肉球が描かれていた。

 さらに肉球の指四つの先には、爪らしき細い線も描き加えられている。

 その肉球を見つめながら、成昌はスマートフォンを取り出し、肉球のイラストが集められたサイトを検索し、そのサイトのページを開く。

 画面に表示された様々な動物の肉球や足跡とメモに描かれた肉球を見比べていくと、ある動物に行きついた。

「……こいつだな」

「え? もしかして、この動物が佐奈を押し倒して、文香に夢で呼びかけてたの?」

「わぁ……なんかこう、いかにもって感じだわね……」

 成昌から差し出されたスマホの画面に、文香と桔梗はそんな感想を漏らす。

 そのページには、狐の肉球が描かれていた。

「あ、これ……」

「佐奈の背中についてた肉球に似てる?」

「藤原とあいつが――」

「あいつ、じゃなくて佐奈。名前で呼ぶのが嫌だったら、鈴木ね」

 友人がいつまでも『あいつ』と呼ばれていることに腹が立ったのか、桔梗が成昌に告げる。

 威圧感すら覚えるその目に、成昌は咳払いをしてから言い直した。

「――藤原と鈴木が遭遇した妖は、おそらく狐の姿を取っている」

 あまりに安直な推論ではあるが、文香が聞いたという獣の声と合わせて考えれば、妥当な判断と言えなくもない。

 この判断が正しいかどうかはともかく。

「ただの狐の妖かどうかはわからないが、とりあえず、対処方法は大まかに決められる」

 ひとまずの対処の方針を立てることはできる。

 そこまで話すと成昌は鞄から札を一枚取り出し、文香に手渡す。

 その後、椅子から立ち上がり、桔梗に視線を向けながら。

「明日、時間作ってくれ」

「わたしも手伝った方がいいってことだよね? わかった」

「頼む。それと藤原」

 文香に憑りついた妖をどうにかしようと、段取りを話し合っていたのかと思いきや、いきなり自分に話を向けられ、文香は驚きのあまり、大声で返答する。

「は、はい!」

「……声でかい」

「ご、ごめんなさい……」

 不機嫌そうに顔をゆがめている成昌の姿に、文香は思わずしおれながら謝罪する。

 ここでまた不機嫌になられたら、今度こそ、自分を助けてくれる人間と助かる手段がなくなってしまうのではないか、という不安がそうさせていたのだが、文香の予想に反し、成昌は機嫌を損ねることはなかった。

「とりあえず、その札を持っていてくれ。明日の朝まではどうにかもつはずだ」

「明日までって……それじゃ明後日からはどうするのよ?」

「明日、新しい札を渡すから安心しろ。それと、土曜日は空けておいてくれ」

「土曜日? まぁ、わたし帰宅部だから問題ないけど?」

 成昌の頼みの意図がわからず、文香は首をかしげる。

 その様子に反応を示すことなく。

「なら決まりだ。今週の土曜にうちの神社に来てくれ」

 一方的に自分の家に来るよう、指示を出してきた。

 文香とて年頃の乙女。見ず知らず、というわけではないが、男子からいきなり自分の家に来るよう言われて動揺するはずもなく、顔を真っ赤にして慌てふためく。

 だが、成昌はいたって冷静な様子で返してきた。

「その日に、お前に憑りついてる妖をどうにかするだけだぞ? なに慌ててんだよ」

「あ、な……なるほどぉ……うん、わかった空けとく」

「なんだ? 何か用事があったんだったら、そっちを優先しても……」

 動揺のどの字も見せないような成昌の態度に慌てふためいていることが馬鹿らしく感じたのか、成昌の声かけで文香は少しばかり冷静さを取り戻せたらしい。

 ため息をついてから、文香は心配そうに声をかけてくる成昌に対し。

「いや、大丈夫! 何も用事はないから!」

 強めの語気を放ちながら返答する。

 その様子が少し怒っているように感じられたのか、成昌が首をかしげながら、何を怒っているのか問いかけた。

 しかし、文香は。

「怒ってない! それじゃ、また明日‼」

 と明らかに起こっている様子のまま、自分の鞄を持って教室を出て行ってしまった。

 その背中を見送りながら、成昌は桔梗の方へ視線を向ける。

「俺、何か悪いことでもしたか?」

「ん~? してはないけど、ちょっとデリカシーに欠けてた、かも?」

 文香の気持ちを察したのか、桔梗は成昌の問いかけにそう返してきた。

 自分の言葉がけのどこがデリカシーに欠けていたかもしれないのかがわからず、成昌は首をかしげる。

――まぁ、成昌はほんとに憑りついてる妖をどうにかしようとしてるだけで、別にやましいこと考えてないから、わからないのは無理ないけど……もうちょっと乙女心を理解してくれてもいいと思うんだけどねぇ

 成昌の様子に、桔梗は苦笑を浮かべながら、そう思っていた。

 もっとも、それを口に出すことはなかったため、成昌の耳にその言葉が届くことはなかったのだが。

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