第3話 相談相手の同級生
結局、眠りに落ちることができなかった文香だったが、朝食のコーヒーと通学路を歩く運動のおかげである程度の眠気は吹き飛んでいた。
だが、なかなか寝付くことのできなかった理由である恐怖体験からくる心のもやもやは消えないままだ。
――うーん……やっぱり、木の王のうちに桔梗に相談しておくんだったかなぁ……けどなぁ、下手すると中二病患者って思われたかもしれないし
昨日、声をかけてきた桔梗に相談しなかったことを今になって後悔しているが、その反面、オカルトの儀式を本当に試す
とはいえ、今日も帰り道に謎の足音に付け回されて怖い思いをして、夜も眠ることができなくなってしまうかもしれないと考えると、多少、生暖かい視線を送られ続けていたほうがまだましかもしれない。
――うん、とりあえず話してみよう! それに、桔梗の性格があの通りだったら、変な噂を流すようなことはしないはずだし!
楽観視している節があるような気がしていることは、文香本人もわかっている。
だが、やはり精神的な安心感と安眠は、うら若き乙女にとって、美と健康は何物にも代えがたいもの。
それらを確保するためであれば、多少の間、軽度の精神的苦痛を味わうことになったとしても安いものである。
そう考え、文香は今日、何でも相談に乗ってくれる、クラスで一番の世話焼き女子に相談に乗ってもらおうと決意した。
その矢先。
「文香、おはよう!」
背後から、元気よく自分の名を呼ぶ声が聞こえてきた。
振り返ると、気だるげな男子の隣を歩きながら手を振る、相談を持ち掛けようとした相手に気づく。
「お、おはよう、桔梗」
「あれ? なんか元気ない?」
「え? そ、そんなことないと思うけど」
「え~? だって、目の下、クマで真っ黒だよ?」
「……うそ、まじ?」
桔梗に指摘され、文香は自分の目元をむにむにともみ始める。
寝不足によってできた目元のクマは、マッサージによって多少、緩和されるという話はあるのだが、その正しいやり方がわからないため、文香は意図せずに変顔を作り上げていた。
その様子に、桔梗から苦笑を浮かべられながら。
「普通に顔を洗ったほうがいいんじゃない?」
と指摘される始末だ。
指摘された当の本人は、真っ赤に染まった顔を手で押さえたままうつむいてしまった。
その様子に、まるで呆れたと言いたそうなため息をつき。
「桔梗。先に行ってるぞ」
と、隣にいた気だるげな様子の男子が声をかけてきた。
その態度に苛立ちを覚えた文香が文句を言ってやろうと口を開いた瞬間。
「あ、うん。ごめんね? 成昌」
桔梗が文香よりも早く、成昌と呼んだ男子の言葉に答える。
その返事を聞いた成昌は、すたすたと校門へと向かっていこうとしたが、文香の横を通り過ぎる前に立ち止まり、じっと文香の顔を見つめてきた。
さすがにじろじろと見られて気持ちいいと感じるような性癖を持ち合わせていない文香は、じとっとした視線を成昌に向け、文句を口にする。
「何よ? わたしの顔に何かついてんの?」
寝不足な上に先ほどから彼が行っている行動の一つ一つに神経を逆なでされた不快感も合わさり、今までにないすごみと迫力のある表情を浮かべ、問いかける。
だが、そんな彼女の表情を意に介することなく、彼はじっと文香の顔を見つめ。
「……なるほど、つかれているな」
と、一言だけ告げて、再び歩き始めた。
いきなり奇妙なことを告げられ、文香は呆然としてしまったが、徐々に謎の言葉を向けられた困惑が怒りへと変化していき。
「な、な……なんなのよ、いったい⁈」
天に向かって、怒りのまま吠えた。
その様子を真横で見ていた桔梗は苦笑を浮かべながら謝罪の言葉を口にする。
「な、なんというか……ごめんね」
「なんで桔梗が謝るのよ? ていうか、あいつ、知り合い?」
「知り合いって……文香も知ってるはずだけど?」
「へ?」
「同じクラスの安倍成昌。知ってるでしょ?」
桔梗にそう指摘され、文香は自分のクラスメイトの顔を思い出そうと、頭をひねる。
五分と満たない時間で脳裏に浮かんできたクラスメイトの顔の中に、成昌のものを見つけると。
「あぁ、あの陰キャ?」
「……いくら本人がいないからってひどくない?」
「いや実際そうでしょ」
悪ぶれる様子もなく、文香が成昌に対する印象を口にする。
安倍成昌というクラスメイトは、文香が称するように物静かで自分から騒ぎを起こすようなことをしたことはない。それどころか、誰とも関わろうとせず、休み時間は読書をしているか寝ているかが基本の、よくわからない人物だ。
だが、桔梗は成昌のことをよく知っているらしく、そんなことはないと否定する。
「人と話すのが苦手ってだけで、気を許した人にはけっこう自分から話しかけたり自分から話題振ったりすることあるよ?」
「……なんか全然、想像できないわぁ」
「まぁ、普段が普段だからね。けど、さっきみたいに自分から話しかけたり、じろじろ見てきたりすることは珍しいかな」
「あれ、わりと不愉快だったんだけど? てか、何よ、人の顔見て『なるほど、疲れてるな』って! だったらほっとけっての!」
憤慨しながらそう話す文香だが、桔梗はどこか違和感を覚えているらしく、首をかしげていた。
「う~ん……まぁ、あとで本人に聞いてみればいいか」
「……どしたのよ?」
「ううん、なんでもない。それより、早く行かないと遅刻するよ」
「へっ⁈ い、急がないとっ!」
桔梗の言葉で、自分たちが学校へ向かっている最中であることを思い出し、慌ただしくアスファルトを蹴り、走り出した。
その後ろをついていくように桔梗も走り出したが、その顔を一瞬だけしかめ、足を止めた。
「……もしかして、『つかれてる』ってそういうこと?」
どうやら、さきほど成昌が呟いた言葉の意味を察したらしい。
――ともかく、放課後あたりにでも文香に話を聞きに行った方がいいかもしれないなぁ……なんか、抱えてたっぽいし
普段、文香とはあまり接触をしたことはない桔梗でも、目元のクマを見れば何かあったのではないかと察することはできた。
おまけに、普段は自分から話しかけるようなことをしない成昌が、女子の顔をじろじろと見た後、声をかけたのだ。
成昌がそういう態度を取るときは、話しかけた人間が何か問題を抱えていることが多い。
だが、気づいていても、成昌は自分から解決に動こうとしたり、導いたりすることはない。
――かといって放っておいたらどんなことになるかわからないし。それに何より目覚めも悪いし
余計な手出しをするな、と言われそうではあるが、だからといって放っておけるほど、桔梗は冷淡ではないし、割り切ることができるわけではない。
何か言われるかもしれないが、放っておいて後悔するよりもましだと考え、桔梗はひとまず、今日の放課後、文香に声をかけることを決め、学校へ向かって再び歩きだし、無事に遅刻することなく、学校に到着したのだった。
夕方。すべての授業を終え、帰る前のホームルームも終えた文香は、ため息をつきながら校門へむかって歩いていた。
――結局、桔梗に話せなかったぁ……
朝、自分のみに起きたことを桔梗に相談しようと思ったはいいが、結局、タイミングをつかむことができずに、ずるずると時間を過ごしてしまい、放課後を迎えてしまったのだ。
本当ならば、ホームルームが終わったころにでも話しかければよかったのかもしれない。
だが、ほかの友人たちに捕まってしまい、話し込んでしまったため、桔梗を捕まえることができなかったのだ。
だからといって、今から探しに行こうとしたところで、桔梗はすでに学校の外へ出ていることだろう。
――どうしよ……桔梗の携帯番号、知らないし、家の住所もわからないし……
クラスメイトである以上、ある程度の付き合いはあるのだが、それはあくまでも学校内でのこと。特にした親しいというわけでもないため、休日や放課後の時間を一緒に過ごすということはなかったこともあり、連絡先の交換はしていない。
今日の所はひとまず諦めて明日、改めて声をかけようか、と考えて、下校することにしたのだ。
かなりどんよりとした空気をまといながら、文香が校門の外へ出たその時。
「ふ~みかっ!」
「きゃあっ⁈」
突然、背後から声をかけられたと同時に背後から誰かが体当たりと間違えそうな勢いで抱きついてきた。
思わず普段は出さないような高いトーンの悲鳴を上げ、振り向くと。
「桔梗っ⁈」
相談を持ち掛けようと思っていた人物が目の前にいた。
桔梗は、いたずら大成功、とでも言いたそうな満面の笑みを浮かべていたが、文香の表情に何かを感じ取ったらしく、その笑みはすぐに消える。
「ねぇ、何かあった? よければ、相談に乗るよ?」
「ぜひともお願いします。てか、桔梗のこと探してたのよ、わたし」
「え、そうだったの? 言ってくれたらよかったのに」
「あぁ、うん……けど、内容が内容だったから話しかけづらくてさぁ」
きょとんとした顔で返してきた桔梗に、文香は苦笑を浮かべながら話しかけなかった理由を口にする。
いくらお人好しで通っている桔梗であっても、相談したい内容がオカルトの方面に寄っていては反応に困るだろうし、かえって迷惑をかけてしまうかもしれない。
寝不足で頭が回らない状態であるとはいえ、文香もそのあたりの気遣いができないほど精神的にまいっているわけではなかった。
だが、相談を持ち掛けられようとしていた桔梗は。
「別にオカルト方面の話でも構わないわよ? 親戚にそういうことに詳しい人がたくさんいるし、わたしもある程度だったら対処できるし」
「へ?」
「あ~、けどそういうのは話しづらいもんねぇ。科学万能の世の中じゃ『オカルト話なんてばかばかしい、どうせ気の持ちようだ』なんて言われたらショックだろうし」
「え、ちょ……」
「でも、そういう風に話を持っていかれるかもしれないって考えてても、話をしてくれないことには始まらないから、とりあえず話してみてよ」
まさに相談しようとしていた内容に詳しいことやある程度であれば対処できるという事実を本人の口から聞かされた文香は反応に困ってしまった。
だが、反論しようにも、桔梗のマシンガントークにも似た言葉の雨に反論することを許してもらえず、結局、押し負ける形で自分の抱えている事情について話し始めた。
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