番外編・裏話 2

   ***


 家に帰って、コームは女房と母親にそうした話し合いの結果を伝えた。

 膝で眠る息子の頭を撫でて、女房ははああと溜息をつく。


「いつ飢えて死ぬか分からない備えで、ひと冬越さなくちゃならないんかい」

「場合によっては、だな。とにかくできるだけ生き延びれるように備えるしかない。協力してくれ」

「分かったよ」


 もとから動いていたことではあるが、翌日からいっそう必死に身を入れて、村民たちは冬支度を進めた。

 雪の前にどれだけ収穫に繋がるか分からないが、いくつかの野菜を畑に植え付ける。

 男たちは兎などを狩りに、山奥に向かう。

 女たちは木の実や茸などを採りに山に入る。

 そうした作業を、数日進めて。


 ガサガサ。

 妙な物音を聞いた気がして、夜中にコームは目を覚ました。

 何だ、こんなところに盗賊でもないだろうに。

 思いながら、まだ冷えの少ない闇の中に身を起こす。

 親子三人が川の字になった寝具で、女房もつられて目を覚ましたようだ。

 居間に続く戸を開き、コームは闇に目を凝らした。


「誰かいるんか?」


 呼びかけると、外への戸口付近で、ガサという気配があった。

 大股で寄っていくと、浮かんできた輪郭は馴染みのあるものだ。


「何だ、おっかあか。どうしたんだ、こんな夜中に」


 よく見ると、母親はすっかり外出の支度を調えている。

 ちょっと家の周辺を見に行く、という様子ではない。


「何だおっ母、何処へ行く気だ」

「……山へ、だよ」

「山? 何しに」

「止めないでおくれよ。母はもういなかったものと思ってくれ」

「はあ?」


 ようやく、コームは理解した。

 母は、命を捨てにいこうというのだ。

 この冬を越すために、一人でも食い扶持が少なければ息子が助かる、という考えだろう。


「馬鹿なことを言うなよ。おっ母を犠牲にして、俺たちだけで生き延びてどうする」

「あたしは、死んだ父さんに約束したからね。一人息子の幸せのためには、何だってするって」

「何を馬鹿――いや、何だ、それを言うなら俺だっておっとうに、おっ母のことは任せろって約束したんだぞ」

「若い者が助かるのが、先だよ」

「馬鹿なことを言うなって。おっ母だって、孫が大きくなるのを見たいだろうが」

「見たいよ、そりゃ見たいよ。でもこのまま食うものがなくなったら、小さな子どもから先にやられちまう。そんなの見たくないさあ」

「そんなことにはしねえ。とにかく俺は何としても、一家四人で生き延びるようにするからな」

「……う」


 鼻を啜って、母は土間に座り込んでしまっていた。

 いつの間にか夫の傍に寄ってきていた女房が、声をかけた。


「おっさん、慌てたことしないで。この冬はみんなで頑張ろうよ、ね」

「……う、ん」


 背を丸めた小さな肩を抱いて、その震えを抑える。

 とにかくも年寄りがこんな考えを起こさないように、雪の前に死に物狂いで食い物を集めなければならない。

 それが駄目なら、みんなで村を捨てるだけだ。

 そう言って母親を励まそうと思い、コームは口ごもった。

 村を捨てて家族で移動を始めるとすると、また母親は足手まといになることをいとうかもしれない。ここ数年ずっと、足腰の弱りを気に病んでいるのだから。

 年寄りたちは住み慣れたこの村で静かに死にたい、などと言い出しそうだ。

 どうすりゃいいんだ、と情けなさが募り、目の前の痩せた背中に頭を擦りつけてしまう。

 そんな思いを馳せながら、ふと気がつくことがあった。


「おっ母、それ、山へ行くって、一人で考えたのか」

「……いや」

「もしかして、アシルのとこの母さんも一緒か」

「……うん、幼馴染だもの一緒にって。待ち合わせ、約束してる」

「お前」コームは慌てて女房を振り返った。「アシルの家へ走ってくれ」

「分かったよ」


 夜着に一枚羽織っただけの恰好で、バタバタと嫁は駆け出していった。

 幸い、アシルの母が出てくるところを捕まえるのに間に合ったという。


   ***


 数日間、村の者総出で動き回った。

 幸い山に狩りに入った者は、兎を数羽持ち帰ることができた。干し肉にして保存しようと話し合う。

 茸などの収穫は、例年を超えることはない。

 ダメ元で栽培を始めた野菜類は、やはり季節外れでほとんど生育を見ることができない。

 これだけでは到底ひと冬分に足りない、と村人たちの間に焦燥が募る。


 もうひと月少しで雪が降るだろうと思われる頃、代官所副官と役人二名が訪ねてきた。

 大きめの袋三つと小袋いくつかを、馬車に載せている。

 村長を呼んで、副官は説明した。


「十分ではないが、ナガムギを運んできた。冬の食料の足しにしてくれ」

「へえ、ありがとうございます」

「あとこちらの小袋は、王都から送られてきた葉野菜の種だ。比較的寒冷地でも育って、半月ほどで収穫できるという」

なんと。そんな便利なものがあったのですか」

「最近になって、他の地域で開発されたものだそうだ。こちらでは誰も試したものはいないのだから、うまくいけば儲け物という程度のものかもしれんが。とにかく何でもやってみるしかない、試してみてくれ。栽培法の説明もついている」

「へい。何でもやってみます」


 同じ用件で北方三村を回っているのだという副官は、慌ただしく去っていった。

 村民たちは配給されたナガムギをありがたく分け、新しい野菜の種については黙々と村長の説明を聞いてすぐに栽培の準備を始めた。

 もう何であれ、四の五の言っている暇はない。とにかく少しでも可能性のあることはやってみるしかない、という思いなのだ。

 蒔いた種は本当に数日で芽を吹き、久方ぶりに村の中に歓声が飛びかった。


 半月ほど経って、また副官が村を訪れた。

 前回よりは少なめだがナガムギを入れた袋と、さらに新しい野菜の種だというものを持参している。


くだんの野菜は、無事育っているようだな」

「へい、本当にもう収穫できて、みんなの食料にしております。種も採れて、雪の前にもう一度くらいは収穫できそうで」

「うむ。他の村でも同様の話で、少し安堵した。それからこれ、同じように短期間で栽培できるという別の野菜の種を持ってきた」

「それは、ありがたいことで」

「それにもう一つ、ナガムギの調理のしかたという情報が入っている」

「ナガムギの、ですか?」


 見た目小麦に似ている点はあるものの、ナガムギは食用としてあまり歓迎されない作物だ。

 パンにして焼いても、ほぼ硬くぼそぼそとしたものにしかならない。粥にしてもなかなか均一に柔らかくするのが難しい。

 そのため南方の地域では、まず家畜の飼料にしかならない作物とされている。

 しかしこちら北方の農村では、最終的にこれしか食料がないという事態が珍しくなく、とにかく何としてでも食う。ほとんどは粥にするか野菜スープに混ぜるかと言った調理法だが、煮具合が均一にならず、まずさを我慢して口に入れるという現状だ。

 その煮方を工夫した調理法が、南方の地で開発されているという。

 まず、水を少なめにして煮る。ほぼ水がなくなったところで、鍋に蓋をしてしばらく蒸らす。

 それでかなり均一に柔らかく、ふっくらとした煮上がりになる。

 そのまま口に入れてもいいし、これをまた他の野菜と共にスープにするという方法もある。これからひと冬食料の倹約をして過ごさなければならないこの村では、後者がお薦めの食べ方ということになるだろう。

 試しに調理してみて、女たちが歓声を上げていた。


「これならあのまずさを我慢しなくていいねえ」

「スープに入れるとかさ増しになって、腹が膨れた気になりそうだよ」


 追加されたナガムギと新しい野菜栽培で、ぎりぎり餓死しないで冬を越せそうか、という望みが出てきた、

 ナガムギと豆類はさらにまた調達でき次第運んでくる、と約束して副官は帰っていった。

 ありがたい、と安堵して。

 村人たちは改めて冬支度に動いていった。


   ***


 そうして、村は辛うじて冬を越すことができた。

 深い雪の中、さらに二回ほど副官はナガムギなど運んで訪れた。

 その結果、三村ともに死者を出さずに乗り切ることができたという。


 コームの家でも、例年より食料は倹約しなければならないという思いの中、何とか冬の生活を送ることができた。

 薪と水には不自由しないので、少し空腹を我慢すればとりあえず他は快適に過ごすことができる。

 女房と母親は、終日一緒に並んで縫い物をしている。


「おっ母さんがいないと、子どもの服の仕上げができないんだから。頼みますよお」

「はいはい」


   ***


 最も雪が深い時期に北方三村を回って戻ってきた副官を、代官は執務室で迎え労った。


「ご苦労さん。たいへんだっただろう、あの雪の中を」

「はい。天候を見て何とか強行しました」

「これで、村の者たちも救われる」

「今のところ何処の村も、死者を出さず乗り切れているようです」

「君の苦労のお陰だな」

「はあ、まあこれ以上ないほど死にそうな思いをさせてもらいましたが。それでもこれは、王都から送られてきた野菜の種、ナガムギ購入の資金やいろいろな情報のお陰ですよ」

「特にあの種や情報類、よくうまく見つけたものだと感心するな。おそらく領主様を通さず家宰のオレール様の一存だと思うのだが」

「そんな気がしますねえ」

「送られてきた資金も、こう言っては申し訳ないが一度ずつを見ると領の予算としては少額、都市部ならちょっとした勤め人のひと月の稼ぎ程度だからな。ありがたいが、ぎりぎり絞り出したとしか思えない。もしかするとオレール様が自腹を切ったのではないか、と思えてしまう」

「そこは深く追及すべきでないところ、ですか」

「そうなのだろうな」

「しかしもし今回のような天候障害がまた続いたら、今度こそ北方は保たなくなるのではないかと思われます」

「うむ、何らかの手立てを打っていかなければな」

「はい」


 その後春までに、この副官が代官を継ぐことが決まり。

 王都との間に伝書鷹で連絡がつくようになり。

 続けて王都からいくつか農作物の輪作や肥料の改善について情報が入り、今年度の試行の実現にこぎつけた。

 これによって作高の向上、もしまた異常気象に襲われても不作の被害を抑えられる望みが出てきた。

 さらに秋までにはピパの発見と栽培が始まり、北方の農民たちの生活が一変することになった。

 どれもこれも、前代官と新代官が予想もしていなかった成り行きだった。



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