29 侯爵令嬢、犯罪者となること【15歳――当日】
ミュリエルは衛兵たちに、引きずられるように連行されていく。
叔父と母は衛兵と公爵家の使用人が横について、歩いていく。
元伯爵夫人も、静かに退室していった。
王族たちの正面に、私だけが残された。
宰相がすっかり疲れた表情で、改めてこちらに向き直った。
「いろいろ混乱はあったが、新しいフラヴィニー侯爵位の継承は、先に述べた通りだ。新侯爵は、よいな?」
「はい」
そこで申し渡されたのは、つまるところ。
爵位継承は承認された。
王国内でのフラヴィニー侯爵の職務など、細かいことはまた宰相を中心に検討し、追って通知をする。
前侯爵や夫人などによるこれだけの不祥事のため、侯爵家に何らかの処罰が下される可能性はある。
といったことだった。まあすべて、予想されていた範囲内のことだ。
それでも先の騒ぎにおいて私が純粋な被害者であることは理解されているようで、「たいへんだろうがしっかり頑張れ」という意味の言葉をかけてくれた。
儀式は終わり、出席の人々は解散ということになった。
私はオリヴェタン公爵のもとに寄っていった。
「叔父と母が面倒をかけます」
「ああ、こちらが言い出したことだからね。それにしても侯爵位継承おめでとう」
「ありがとうございます」
「今後は同じ王国政府で同僚ということになる。よろしくお願いしたい」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
なにやらすっかり満足の様子で、公爵は出ていった。
こちらの会話が終わるのを待っていたように、替わってルブランシュ侯爵が近寄ってくる。
「やあ、おめでとう」
「ありがとうございます」
「何とも驚きの展開だったが。こう言っては何だが、君にとっても我々にとっても喜ばしい結果に終わったのではないか」
「何とも、言いがたいですけど」
「そうだろうがね。これからたいへんだと思う」
「いろいろ分からないことだらけですので、ご指導いただければと思います」
「何なりと訊いてくれ。それとすべて落ち着いてからということになるが、君については宰相づきの同僚として取り立ててくれるよう、宰相閣下に進言しておくよ」
「それは――過分な仰せをありがとうございます。よろしくお願いいたします」
「また一緒に協力してやれることを、楽しみにしているよ」
「はい」
この侯爵は我が家の実態をかなり察して理解してくれていたようなので、今さら形ばかりの取り繕いを口にしても、意味がなさそうだ。
おそらくまったく知らず驚いたという点は、私が実は長女だったということだけなのではないか。
頼もしい笑い顔に、私はもう一度頭を下げた。
他にも私に根掘り葉掘り訊き出したそうな様子の人はいたけれど、まだこんな不確かな状況ということを慮ってくれてか、最後一人にしてくれたようだ。
その後何とか先代キュヴィリエ伯爵夫人と会い、挨拶と礼を伝えることはできた。
一通りここですべきことを済ませ、一人疲れた足どりで待たせている馬車に向けて歩き出す。
貴族用の出入口を出ようとするところで、あまり聞きたくない声が聞こえてきた。
「騒ぎが起こるようなものではないなど、どの口で言いやがった」
向き直り、静かに礼をとる。
「王子殿下、ご機嫌うるわしゅう」
「ふん」
「お願いを聞き届けていただき、ありがとうございました」
「うちの伯母を呼んだ件、あれも何だ、最悪の場合の予防措置など、聞いて呆れる」
「本気でそのつもりだったのですが」
「とにかく、とんでもない騒ぎにしやがって」
「私は何もしておりませんが」
「あれがすべて、偶然だと抜かすか? 前侯爵夫妻二人して、出生届けが事実通り出されているのを忘れて、娘二人を入れ替えていたと?」
「他に考えようはないと思いますが」
「お前の計画のうちではないと?」
「私の力で、こんなことが実現できると思いますか?」
「うう――くそ。なまじお前の能力の一端を知っているだけに、苛つかされる。条件が合えば、あの出生届けともう一つ、お前なら書き換えられるわけだよな」
「書かれている文字を読みとれれば、ですね」
「書類は事前に厳重に保管されているからな、書き換える機会は、宰相が読み上げる直前の短い時間しかない。そのときお前は、部屋一つ分ぐらいの距離は離れていたか」
「あの距離で文字を読みとれる人は、まずいないでしょうね」
「そういうことに、なるな。それにしても本当か? お前が書かれている文字を読みとれなければ書き換えはできないっていうのは」
「誓って、本当ですよ。第一できたとしたら、理屈に合いませんよね。文字が読めずに、該当部分だけを指定して書き換えるだなんて」
「理屈だな」
「そういうことです」
「くそ――」
「それにしても王子殿下には、重ね重ね感謝申し上げます。
「ふん、そういうところも無事計算通りというような顔をしやがって」
「恐縮です」
「まあ、いい。こんな若い小知恵の回る侯爵が誕生したというのは、国にとって悪いことではないだろう。せいぜい現陛下と王太子殿下のために尽くしてくれ」
「畏まりました」
不機嫌なような、愉快がっているような。複雑な表情で腕を組み、王子は大股で立ち去っていった。
ふうううーー、と今度こそ深々と、私は溜息をついた。
――帰ろう。
侯爵家の馬車に近づくと、私一人だということを御者に驚かれた。
他の三人は別だ、とにかく一人、屋敷へ送ってくれ、と告げる。
馬車が動き出すと、すぐにも倒れ眠りにつきたい気分を堪えて、揺れる座席で首を垂れた。
――終わった。
長い、戦いが。
いろいろあり、挫けそうになったりもしたけど、私はやり
長かった、けれど結局は今日の一発勝負だった。
警戒しなければならないとしたら、その筆頭は第一王子殿下だと思っていた。
私の能力を、知っている。
他に知っているうちの家族に比べて、おそらくはるかに頭が切れる。
少なくとも事をなし遂げる前に勘づかれるわけにはいかない、と最大限警戒していた。
私の能力。
王子に言ったけれど、私は神に誓って嘘をついていない。
書かれている文字を読みとれれば、書き換えることができる。
それが、事実だ。
読めなければ、書き換えはできない。
しかし、ただ一つ。誰にも知られていない、隠し通していたことがあった。
私には、同じ部屋の中などで少しでも目に入る程度の書類であれば、読むことができてしまう能力がある。
つまり、少しでも目に入る程度まで離れた書類を、書き換えることができるんだ。
書き換える能力については加護を賜ったときに神官に調べられ、家族にも知られている。だから、隠すことはできない。
しかし離れた書類を読むことができる能力は後から自分で気づいたものなので、誰にも知られないでいることができた。
これさえ隠せば、家族たちは読める近さのものしか書き換えられないと誤解してくれる。
むしろあえて誤解されるように、叔父と仕事をする際にはそう振る舞ってみせた。
後に王子に能力を知られて書き換えを命じられた際にも、近くに寄らなければできないかのように振る舞った。
オレールとヴェロニク夫妻にさえも、知られないように隠し通した。三人で相談するときもこの可能性についておくびにも出さず、最悪の場合だけを検討していた。
うまくいく公算が大きいわけではなく、期待を持たせたくなかったし。最悪に備えた準備は、必要だった。
私の本懐を
爵位継承の儀で、まちがいなく離れたところにあるだろう二枚の書類を、書き換えること。それだけだと、ずっと前に儀式について知ったときから理解していた。
機会は、一度。
そのときまで、私の能力を隠す。
離れた書類を読むことができる能力、これだけは隠し通す。
これが私の、切り札だ。
加護を得てから五年間。
私はやり遂げた。
――ついに正真正銘の犯罪、公文書偽造をやってしまったけど。
――誰にも、絶対、断罪されることはあり得ない。
馬車はかたかたと、フラヴィニー侯爵邸の門をくぐっていく。
玄関には、オレールとヴェロニクが待っているはずだ。
そのまま勢いよく二人に抱きついて、告げてあげたい。
「私、勝ったよ!」
***
本作は今回で完結とさせていただきます。
これまでご愛読、応援をくださった皆様、真にありがとうございました。
7月25日に拙著が発売されます。
「赤ん坊の異世界ハイハイ奮闘録3」
KADOKAWA「MFブックス」レーベル
著者名 そえだ信
イラストはフェルネモさん
となっております。
どうかお買い求めお願いいたします。
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