26 侯爵令嬢、接収されること【15歳――あと数日~1日】

 この日の退勤時刻近く、何処かへ出かけていた叔父が不機嫌な顔で戻ってきたのだけど。

 何か私に腹立たしさを覚えるようなことがあったのだろうか。

 思いながら、執務室に向かった。

 大机の前に叔父、長椅子に母が座り、傍らにオレールが立っている。隅でヴェロニクが茶の支度をしている。

 叔父が不機嫌な様子なのに比べて、他の面々の表情はいつもと変わらない。私を呼び出した理由を聞いていないらしい。

 私を机の前に立たせて、いきなり切り出した。


「お前、王宮で写本をして稼いでいるというのは、本当か」

「………」


 思いがけない指摘に、声を失っていた。

 まあ冷静に考えればいつバレても不思議がない、むしろ二年以上も当主に知られずに続けられていたということの方がおかしいわけなのだけど。

 横で聞いていた母の方が先に、声を上げていた。


「まあ何ですかその、写本? 稼いでいたって?」

「今日王宮で、他の貴族に訊かれた。お宅の文官が写本を請け負っているそうだが頼めないかってな。聞くとずいぶん前から、かなりの謝礼金をもらって続けていたそうじゃないか。本当か?」

「……はい」

「まあ確かに、お前の加護の能力を利用したうまい稼ぎ方なわけか。金は、自分で貯め込んでいるわけだな」

「はい」

「聞いた限りならかなりの額、少なくとも大金貨数枚にはなるようじゃないか」

「まあ、何てこと!」母が金切り声を張り上げた。「侯爵の娘が、そんな卑しい金儲けをしているなんて。それも親に隠れてなんて、許されません」

「それも王宮の執務の時間に、目を盗んでというわけか」

「そこは、違います。持ち帰って夜自室でおこなっていました」

「そうだとしても、話は変わらん! 侯爵家の文官の地位を利用して、私的に財を得ていたということではないか」

「は」

「今すぐここへ、その貯め込んだ金を持ってきなさい。全額だ」

「……はい」


 しばらく逡巡の様子を見せていると、「早くしろ!」と叔父の声が裏返った。

 厳しい顔で、母も立ち上がる。


「さっさとしなさい。隠したり妙な真似をしないように、私も一緒に行きます」

「はい」


 ちらり見ると、オレールが小さく頷いてみせた。

 この話が始まったところでこっそり出ていったヴェロニクが、作業を終えたということだ。

 まだぐずぐずの様子を見せながら、私は部屋を出た。

 母とその侍女一人を引き連れて、女性使用人棟の自室に向かう。

 部屋に入り、寝台の下から引き出した箱を開いて、取り出した袋を母に手渡した。


「まあこんな、大金貨五枚もあるじゃないの! こんなに卑しい稼ぎを貯めているなんて!」

「とんでもないことですね」


 母が開いた袋からは、大金貨五枚と小金貨三枚が転がり出てきていた。

 その叫びに、侍女も相槌を打っている。

 まあしかし、これは貯めた額の約半分だ。

 貯めた金額は、すべてオレールに預かってもらっていた。

 しかしもし今回のようにバレてしまった場合、家宰を巻き添えにするわけにいかない。

 いくつか対応策を相談していたのだけど、一つが今行われた、知られないうちにヴェロニクが半額を私の部屋に移して隠しておく、というものだった。

 家宰夫婦に疑惑が飛び火しないし、貯めた額の半分は無事残る公算が高い。

 金貨の袋を持って意気揚々と戻る母親の後ろを、私は悄然とした態で続いていった。


「こんなに貯めていたのか、これで全部なんだな?」

「はい」

「成人前の子どもの財産は、保護者が責任を持って預かる。いいな?」

「……はい」


 叔父は憤怒と歓喜を混ぜたような表情で、受け取った金貨を机に仕舞った。

 今にも笑い出しそうな口元をまだ引き締め、私に言い渡す。


「王宮での写本依頼は、すぐに辞めるわけにいかないのだろう。今後も続けることは許すから、すべて私に報告しなさい」

「はい」

「なら、下がりなさい」

「はい」


 執務室を出て、私は大きく溜息をついた。

 これで、もしもの際の資金が半減したことになる。

 まあ残りの額でも当座の生活は可能だろう、と自分を慰めるしかなかった。

 ここまで隠してきたのに今になって、という悔しさはあるけど。早いうちに露呈してずっと監視の下に写本を続けていたとしたら、今回残した半額ほどの資金は得られなかったことになる。


――まあ、仕方ない。


 これでますます、何とかして家を出ずに済ませる方法はないか、真剣に取り組む心持ちになっていた。

 しかし、時の流れは非情だ。

 何の備えが進められるでもなく、爵位引き継ぎの儀式のため王宮に呼ばれている前日になっていた。


「いよいよ明日ねえ、もう待ちきれないわ」

「そうですよ、明日から貴女は、侯爵になるのです」

「楽しみい。今夜は眠れないかも」

「儀式には王族の方々や高位貴族の者たちが大勢集まるのです。貴女の一世一代の晴れ舞台なのだから、寝不足の顔で出るわけにはいきませんよ」

「そうよねえ。しっかり睡眠をとらなくちゃ」

「マリリーズも、人に見られてみっともないことのないようにするんですよ」

「はい」


 引き継ぎの儀式には、小さな子どもを除く家族全員が同席する決まりだ。

 その準備と注意言い渡しのため、いつもと違って私も夜の居間に呼ばれていた。

 この年始めに新しく用意したドレスを持参させられ、問題ないか母の点検を受ける。


「マリリーズはそれでいいでしょう。部屋に戻りなさい。ミュリエルはもう一度念のため、装飾品も全部並べてみましょう」

「はい、お母様」


 張り上がりの止まらないはしゃぎ声を背に、私は居間を出た。

 こちらとしてはこれ以上、何の準備のしようもない。正直、自分の身一つで臨む、それだけだ。

 まあ一応この先のため、もしもの場合の救済策として数日前、かの王子に文官を通じて連絡を入れておいた。

 事前にできることは、それで精一杯だ。

 自分の部屋に戻り、他が寝静まってから家宰室に移動した。


「今夜のうちに家を出るというのも一つの策ですよ、マリリーズ様」

「うーん、そうだねえ……」


 真顔でオレールに提案され、真剣に考える。

 確かに翌日の成り行き次第では、そうしておけばよかったと後悔することになる可能性だってありそうだ。


「ミュリエル様の考え方次第では、マリリーズ様をこの屋敷に監禁してただ働かせるという決定になるかもしれませぬ。以前と違うのは、旦那様にマリリーズ様の写本が大きな金になると知られたことです。写本の依頼を外からとってきて、ここでマリリーズ様をそれに専念させるということを考えるかもしれませぬ」

「ああ、あるかもしれないねえ」

「本気で監禁を考えられたら、私どもでもどうにもできなくなる可能性があります。今夜が自由を得る最後の機会かもしれません」

「うーん……」


 それこそ真剣に、一考してみた。

 しかし、どうにも決断はつかない。


「王宮に家族四人が揃っていかなければならないところで、一人が欠けて騒ぎになるのもどうもねえ。家の信用を落とすことになるでしょう」

「そこはもう、マリリーズ様が気にするところではないのでは」

「家の信用も領地の安寧も、諦めて棄てる気にはなれないんだよねえ。やっぱり侯爵家の血なのかな」

「マリリーズ様……」

「最悪にならないことを祈って、明日はやるべきことをするよ、私」

「承知いたしました。幸運をお祈りします」


 そうして、決戦の前夜は更けていった。




   ***


7月25日に拙著が発売されます。

「赤ん坊の異世界ハイハイ奮闘録3」

 KADOKAWA「MFブックス」レーベル

 著者名 そえだ信

 イラストはフェルネモさん

となっております。


 どうかお買い求めお願いいたします。


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