23 侯爵令嬢、拳を握ること【14歳――あと1年弱】

 いい加減領に関する介入は抑えようかと思いながら、やはり思いつきがあるとオレールと相談してしまう。

 この夏は一応代官に依頼して、山の鉱物を採取してもらうことにした。五十年前の記録の図にあったものが最近のこちらの情報と一致するなら、利用価値の高い鉱物採掘に繋がるかもしれない。

 ある程度の量ずつなら鉱物のサンプルを伝書鷹に運ばせることができるので、こちらに着いたら専門家に見てもらう算段をつける。

 また夏から秋にかけて王室が仲立ちになってロンデックス侯爵領の指導を得、いくつかの領で製紙業を稼働させることになった。

 ロンデックス侯爵領の担当者が各領地を回って、指導を行う。その後も生産量に応じて開発者のロンデックス侯爵領に一定額が支払われることになっている。

 オリヴェタン公爵領とルブランシュ侯爵領が率先してこれを実現化し、他のいくつかの領が呼びかけに応じて参加することになった。

 実情を明かせば、この公爵と侯爵に私が口を入れて推進してもらったものだ。二つの領とうちのフラヴィニー侯爵領は以前から製紙業の説明冊子の写本を所有しているので、開始に当たっての困難が少ない。

 さすがにこれについては領主に秘密にして進めるわけにいかなかったので、オレールに利点を説明の上説得してもらった。このため領に上がる利益はそのまま領主に渡ることになるけど、雇用の拡大効果は領内に大きいはずだ。

 ただやや困ったことに、これに味を占めて叔父が領地の方に目を向け出した。製紙業と同じように領の税収が増える算段が他にないか、としきりにオレールをせっついている。

 本格的に領税の収支をよく見るようになられては、困る。

 今のうちに二重帳簿の差を埋めていくようにしよう、とオレールと話し合った。

 以前から利益を上げていたピパについて、これまでの実験段階から正式に生産を開始するという形で計上した報告書を上げると、その売上額を見て叔父は大喜びした。


「胡椒に匹敵する香辛料か、凄いではないか」

「はい」


 季節が秋に移る頃、叔父は製紙場やピパの加工場をこの目で見ると言って、領地に出かけていった。

 帳簿上も隠しているものはほぼなくなって、これで本格的にすべて叔父の前に開示することになる。

 数日で戻ってきた叔父は、弾むような足どりになっていた。

 ほとんど笑いが止まらないという顔で、母とミュリエルに報告している。


「領内が活発化して、以前とは見違えるような盛況になっていたよ」

「それはようございました」

「ミュリエルが爵位を継ぐときには、ますますの活況を見せていることだろう」

「私の侯爵領として相応しい姿なのですね、叔父様」

「そうだ、あの代官はよくやってくれている」

「さすがに私の実家の紹介ですね」


 機嫌をよくしたのがどう作用してか、ミュリエルは以前にも増して侍女たちや私に辛辣に当たるようになってきた。

 毎日のように侍女を叱責する声が何処かあちこちから聞こえてくる。

 私には、にやにやして話しかけてきた。


「あたしが侯爵になったらあんたを追い出すつもりだったけど、領の景気がよくなっているって言うから、気が変わったわ。あんた、ここに置いてあげる」

「それは、どうも」

「叔父様によるとあんた、本当に文官なんてつまらない仕事が得意だっていうじゃない。ずっとここの文官仕事でこき使ってあげるわ」

「はあ」

「何よその、気の抜けた返事は。感謝しなさい!」


 いきなり、手が振られる。

 そこから飛ばされた火球を、一歩下がって手で受ける。


「キャ!」


 何が悲しゅうて、と思わないでもないけど、ちょうどいい具合でこの火を受ける距離のとり方は、身体が覚えてしまっていた。

 火の粉を散らした跡の手首が赤くなり、それを見て妹はふんと鼻を鳴らした。


「いい気味、この陰気女」

「う……」


 とりあえず満足の顔で、大股に去っていく。

 二名の侍女が、薄笑いでそれに続く。

 やれやれ、と私は息をついた。

 秋が深まった頃、妹は私に命じてきた。


「お母様にお願いしておいたわ。あんたこれから、もっと夜会に出る機会を増やしなさい」

「はあ」


 その言の通り、母が命じる夜会出席の数が増やされた。

 それでも妹たちの半分程度くらいだけど、緑のドレスの出番が増えた。

 何か新しい憂さ晴らしを思いついたらしい、と気がついたのは、間もなくだった。

 私が出席した夜会で、バダンテール侯爵家次男ベルトランという男が妙に親しげに近づいてきた。特に喜ばしいわけでもないのだけどことさら邪険にするわけにもいかず、そのままにしていると。

 二か月ほどほど経った後、ダンドリュー公爵家主催の夜会でのことだった。


「フラヴィニー侯爵家息女マリリーズ、お気の毒だが私に貴女と婚約する気はない!」

「は」

「期待を持って付きまとっていたのだろうがね、もう私の傍に寄らないでくれ」


――やれやれ。


 だった。

 何よりも精神的に疲れて、私は自分の部屋でドレスから男性使用人用の屋内着に着替えた。

 いつもの習慣で家宰室に行くと、少し気が晴れる報告が入っていた。

 机の上から、オレールが文字の書かれた薄い木の皮を持ち上げた。


「夕方、鷹便が着いております」

「首尾は?」

「上々のようです。無事、質のいい鉄が採れたと」

「よし!」


 私は、拳を握った。

 夏のうちに回収した鉱物のサンプルのうち、鉄鉱石の一種ではないかというものが見つかったので、製鉄の専門家に頼んで領に行ってもらい、試してみたものが成功したということだ。


「これで、製鉄業が領の産業に加わるね」

「準備に手間がかかるでしょうが、これなら進められますな」

「よしよし」


 ただこれももう帳簿改竄はしないことにしたので、現領主に報告を上げて推進するという本来の形をとる。

 つまりはほぼそのまま、叔父と妹を喜ばせる材料に変わることになる。

 領民にとって利益のある情報だというのは確かだけど、こちらでは腹の底から喜ぶものでなくなっている。

 とにかくも。


――今年までに手がけてきたものは一通り、これで結果を見たことになるな。


 年が明けてからはほぼ、新しい侯爵の就任に向けた動きが始まっていく。

 私が領の内政でとりあえずやることは、これで一段落ということになるだろう。


 何だか気分的に面倒になってきたので、その後私は夜会への出席を減らしていった。母に対してそう申し入れると、不思議と反対されなかった。

 世間では、例の侯爵家次男に振られて塞ぎ込んでいるせい、と噂されているらしい。母もそういう解釈で溜飲を下げているのかもしれない。

 実態はそちらの時間を減らして、写本の内職に励むことになった。とにかくも翌年に予定された生活変化に合わせて、金銭的余裕を増やしておきたい。


 年末に、また母によるとお断りするのが失礼な夜会、というものがある。仕方なく私は、いつものドレスを身に着けた。

 それこそ年末で華やかな催しになっていて、いつも以上に気合いの入った身繕いの方々が群がり、場違い感が半端でない。

 豪華な飲食物、賑やかな音楽、浮ついた会話の行き交い。

 頭痛を堪える思いで隅に控えていると、聞き覚えのある大声がかかった。


「フラヴィニー侯爵家息女マリリーズ、まだ私に近づこうとやってきているのかい。貴女と婚約する気はないと申し渡したはずだが」


 私の、婚約破棄だか事前拒否だかの相手とされる男が、立っていた。


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