22 侯爵令嬢、固辞すること【13歳~14歳――あと2年弱~1年】

 今回の件の最初の部分を整理すると。

 かの兵学書は、東の大国デュドヴァン帝国で著されたものだという。

 今、我がアセルマン王国は、北西の隣国エスコフィエ王国との間が険悪になってきている。

 オリヴェタン公爵はかなりの難しい伝手を辿り、大枚をはたいて、その兵学書の写しを一冊手に入れた。

 いつ起こるか分からない隣国との戦端に備え、大急ぎでその書を軍幹部の間で読み合わせた。かすかな噂を頼って超特急の写本を依頼したのは、そういう理由だ。

 その内容はいろいろ我が国にとって斬新で役に立つものだが、中でも火薬の製法について期待を抱いていた。帝国ではかなり実現化が果たされているが、こちらの二国にはまだほとんど知られていないものだ。

 しかし書を読んで火薬製造を試みたが、原料のうち硝石というものが手に入らず、実現しない。

 この火薬製造を急いだことには、切実な理由がある。

 隣国との国境で戦端が開かれた場合、現状だとあちらの方の兵数が上回ることになりそうだ。

 ただ国境近くの地形を見て、大きくこちらを有利に導く策が考えられる。大きな川を向こうの軍が渡る際、橋を爆破してしまえば大損害を与えられること確実なのだ。

 その予想があるので、軍務大臣たるオリヴェタン公爵家では火薬の開発が必至となった。実は先代がすでにその方針に手をつけていたのだが、急死のための継承が不足して、息子に伝わっていなかった。

 弟にも協力させて、必死に開発を試みる。しかし原料不足で、杳として進まない。

 一方で、隣国との戦端が開かれる可能性は日に日に高まってきた。このままでは、開発が間に合わない。

 かの兵学書の内容が充分活かされれば勝利は確実だというのに、それが果たせない。

 これが知られれば、軍務大臣は勝利確実の策を持ちながらそれを実現できない無能、ということになってしまう。

 公爵本人以上に、弟が焦り始めたらしい。

 その非難を避けるためには、かの兵学書がなかったことにするしかない。

 実際にそれを読んだ者、写本の仲介をした侯爵などは常日頃友好的な仲なので、説き伏せようがある。

 しかし実際に写本を行ったのは、ただの文官らしい。口の固さなどは保障の限りでない。

 面倒だ、それなら文官の一人程度、口を塞いでしまえばいい。

 ――ということになったらしい。


――やれやれ、だ。


 命を狙われた本人が、こんな呑気に考察をしているのも妙なものだけど。

 これを大問題にしても、私にとって何の益もない。

 せいぜい叔父を利するかという程度しか、予想が立たない。

 むしろ叔父に秘密を知られる損害の方が、はるかに大きい。

 これ、叔父たるフラヴィニー侯爵に事実を知られたくないという点では、加害者側の公爵と被害者の私で、利害が一致してしまうという奇妙なことになっている。

 まあ事実上、公爵に貸しを作った形になっているので、将来何処かで活かされることもあるかもしれないと思う。


 それから数週間後、公爵は火薬の開発に成功したという。

 さらにそれからひと月ほど後、北方の雪融けの直後、隣国と開戦した。

 間もなく火薬を用いた橋の爆破作戦が功を奏し、我が国の有利で戦況は推移した。

 ひと月を待たず、我が国の勝利で終戦を迎えた。

 このいくさのアセルマン王国側は、戦場となった国境に接するオリヴェタン公爵領の軍と要請されて遠方から派兵したフラヴィニー侯爵領軍が中心となっていて、かなり犠牲も少なく終わらせることができた。

 無事領軍の帰還報告を受け、勝利への貢献で報奨が出ると知って、叔父と母はご機嫌だ。

 いつもながら、機嫌がいいのはよいことだ。

 死傷者への補償など事後手続きの手配を終わらせ、オレールも一息ついている。


「当面の懸念は去ったことになりますな」

「だね」


 これからまたしばらくは、領内のことを考えていけばいいことになる。

 しかし。

 また初夏が巡ってきて、私は14歳。公称14歳のミュリエルが成人を迎えるまであと約一年、それが私に残された時間ということになる。

 とりあえず領民の生活に心配がなくなってきていて、これ以上を望んでいけないということはないけれど、それがすべて妹のものになる可能性が高いと思うと、何とも力が入らなくなる。

 ふつうに考えてもう、一年後の自分の心配に力を注ぐべきなんだろう。オレール夫妻も、折に触れてそうした忠言をしてくれる。

 それでも図書室通いと内政向けの情報収集は習慣のようになってしまっていて、どうしてもそうした本を覗いている。


――いい加減そろそろ、年頃の娘らしい彩りのある生活を目指して、準備を始めていいんだろうけどなあ。


 誰に聞かせるでもなく、呟きを口に乗せてしまう。


 少し前からわずかに生活に変化が起きてきたのは、私が公称13歳に乗った理由もあってのことだ。

 13歳の侯爵子女ということで、名指しの招待状が来るようになって、母や妹とともに出かける機会が出てきた。

 家で用意されたのはなかなか地味なドレスで、夜会でも目立たないことこの上ないわけだけど。


「久しぶりだね。ようやく戻ることができました」

「長いお役目、お疲れ様でした」


 半年近くぶりにオリヴェタン公爵に会ったのは、またルブランシュ侯爵の執務室だった。

 侯爵家文官を接点のない公爵が呼び出すのも不自然なので、毎回この形をとっているらしい。

 このお二人は以前から親しいらしいし、前回の件もこの侯爵には私の命が危なかったこと以外ほぼ秘密にしていない。

 隣国との戦が終わってもしばらく後始末に追われて、公爵は領を離れられなかったという。


「早く礼を言いたかったんだがね。今回の勝利は、ひとえにマリリーズ嬢のお陰だ」

「大げさだと思います」

「いやまったく誇張抜きで、だよ。あのサリニャック子爵の件を知らされなかったら、決して今回の結果にはならなかった」

「伺う限り、そういうことになりそうですな」


 ルブランシュ侯爵も機嫌よく頷いている。

 その横顔に、公爵は苦笑を向けた。


「そのことに対して何としても礼を形にしたいのだが、受けてくれようとしないのだ、このお嬢様は」

「ああ、なるほど」

「こうして久しぶりに顔を合わせて、改めて伺いたいのだがね。どうだね、最近は夜会に出る機会も増えていると聞くし、装飾品などを贈らせてもらえないか」

「申し訳ありませんが、ご遠慮させてください」


――招待状が来ることになったこと自体迷惑だ、とまでは言えないけど。


 何しろ最初に来た招待が、 この公爵家主催の夜会だった。

 どうも私が(公称)13歳になったことを何処かから聞きつけて、戦場から夜会開催の指示を送ったらしい。

 例の弟君が腰を低くしてお相手くださる勢いだったけれど、私は終始母と妹の陰に隠れていた。

 公爵家からある意味特別扱いを受けているなど知れたら、家でどんな目に遭うか分かったものでない。

 装飾品を贈られるなどしたら、ますますだ。まあその品自体は、即座に取り上げられて終わりだろうけど。


「本当に、お構いなく。お忘れかもしれませんが、すべてなかったことにするお約束です」

「そうなんだがねえ」


 はるか上の身分の方に不遜だというのは十分承知の上だけど、はっきり言わなければ通じないことがある。この方に対してこちらの小娘が歯に衣着せない言い方をするのは、初対面からのことだ。

 こちらの家の事情について公爵よりは通じているルブランシュ侯爵は、やはり苦笑いになっている。


「まあ、そう拙速にしなくてもいいのではないですか。このお嬢様もまだ若いのだから」

「そうなんだが、ねえ……」



   ***


7月25日に拙著が発売されます。

「赤ん坊の異世界ハイハイ奮闘録3」

 KADOKAWA「MFブックス」レーベル

 著者名 そえだ信

 イラストはフェルネモさん

となっております。


 どうかお買い求めお願いいたします。

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