20 侯爵令嬢、教示すること【13歳――あと2年弱】
「ご令嬢、たいへん申し訳ない」
「はあ……」
公爵が傍に寄ってきて、頭を下げた。
猿轡と手足の縄を外されて、ようやく私は一息ついていた。
「さまざまな誤解があったようだ。許されることではないが、ご容赦願いたい」
「はあ」
父の死亡後初めて、ということになると思うけど、侯爵令嬢の身分が意味を持って命拾いしたらしい。
おそらくただの文官だったら、命はなかった。少なくともこれだけ公爵が慌てて駆けつけることは、なかった。そう思うと、何とも複雑な気分だ。
「とにかく、本館へ。身体を休めてもらいたい」
「は、あ――わ」
促されて、立ち上がろうとし、私はそのままその場に尻餅をついていた。
どうも、脚に力が入らなくなっているようだ。
「おい、侍女たちを呼んでこい!」
「はい!」
武官が呼んできた侍女二人が到着し、両側から支えられて私は大きな屋敷に移動した。
応接室らしい部屋の長椅子に、座らされる。
向かいに、公爵が腰を下ろす。
弟と武官たちは部屋の隅で膝をつき、反省の表明らしい。
「今、茶を運ばせる」
「あ、その、お構いなく」
「ああ、改めて挨拶申し上げる。オリヴェタン公爵家当主、アルナルディだ」
「フラヴィニー侯爵家娘、マリリーズと申します」
「本当にマリリーズ嬢には、たいへんな目に遭わせた。申し訳ない」
「その、それですけど、公爵閣下」
「何だろう」
「すべて誤解のせいらしいですし、今日の件はなかったことにしませんか」
「え?」
まだ若い高貴な顔で、ぽかんと目が丸くなる。
まあ、無理はない。
「いや、そういうわけには――」
「これを公にしても、誰も得しないと思いますし」
「いや」
「それに私――写本の件は、当主に秘密の小遣い稼ぎなのです」
「は?」
「できましたら、うちの当主に伝わらないようにしていただければと」
「はあ」
やや冗談めかして言っているけど。
これ、私には切実な問題なんだ。
叔父と母に、写本で貯めた金の存在を知られるわけにはいかない。
国の法で成人前の者の財産は、親または保護者の所有物ということになっている。今知られたら、まるごと巻き上げられる。
この点、写本を始めた当時よりはるかに重みが増している。
貯めた金額は桁違いだし、家を放逐される可能性の高い一年と少し先まで、今からそんな資金を貯められる当てはまったくない。
そうなるくらいなら今すぐ家出をして姿を眩ませる方がまし、ということになってしまう。
とは言えこんな私の本心は、例え説明しても公爵に理解はされないだろう。
今もおそらく、公爵家への気遣いまたは取り引きで譲歩しているのだと思われているのではないか。
「それにこんなことを公にしたら、ここの貴族社会に要らない波紋を広げるだけ、ということになるのではないでしょうか」
「それは、そうだろうが――」
「私はそうしたことを、望みません」
「……うむ」
「ただ、お願いできるのでしたら」
「何だろう」
「このような事態になる覚えが自分にはまったくありません。理由を知らないままではどうも納得がいかないと言いますか」
「む……」
「お断りしておきますが、先ほど申し上げたような事情で、私は写本にまつわることは決して誰にも口外いたしません。お誓い申し上げます」
「むう」
「それともしかしたらですけれど、公爵閣下がお困りの件で、私がお役に立てるかもしれません」
「どういうことだ」
「その――あ、失礼します」
お茶が運ばれてきたので、一息おく。
白い湯気といい香りに誘われ、一口させてもらう。疲れきり喉が乾き、目上の貴族を前にした礼儀も何も、あったものではない。
横を見ると、弟君も武官たちも、ぽかんと魂が抜けたみたいな顔になっていた。
「さっきのいきさつと、少し聞こえた会話から推察するのですが。発端は昨年私が写本した、兵学書でしょうか」
「……そうだ」
「正直申し上げますと、あれは私が請け負った中でも最もたいへんなものでした。ほぼ完全に徹夜しなければならず、写し終わって間もなく意識を失ったほどで、ほとんど内容については覚えておりません」
「そうなのか」
弟たちも呆気にとられた様子になっている。
これで話を終われば平和なのかもしれないけど、肝腎なのはこの先だった。
「ただこれを申し上げると、ややこしいことになるのかもしれませんが。いくつかだけ印象に残っている記述があります」
「む」
「その一つが、硝石、硫黄というものと木炭を原料として、火薬というものが作られる、と」
「むむ――」
横の三人が、にわかに気色ばんだような。
それに構わず、続ける。
「それと先ほど、弟君の言葉が聞こえました。『火薬ができなかったから』と」
「貴様、やはり――」
「待て!」
膝をついていた弟が立ち上がりかけ。
鋭い声で、公爵がそれを制した。
「それが、どうした」
「できなかったというのは、火薬の原料が揃わなかったということでしょうか」
「……うむ――その硝石というものが、どうしても見つからなかった」
「それで、その目的で高価な兵学書を購入したのに、無駄にしたのでは家の不名誉になる、と」
「……そうだ」
「貴様、それが――」
「おかしいのです」
横のがなり声にはやはり構わず、私は続けた。
思いがけない言葉を聞いたという顔で、公爵は首を傾げる。
「ん、何がおかしいと?」
「サリニャック子爵家はどうなったのでしょう」
「何だ、サリニャック子爵?」
「こちらと何かしら交流のある爵家なのでは?」
「確かに父は交流を持っていたが、最近は連絡をとっていない。あの子爵がめったに王都に出てこないしな。それがどうした?」
「サリニャック子爵領に硝石の開発を依頼している件ですが、どうなっているのでしょう」
「はあ? 何のことだ?」
「王宮の図書室で見ました。昨年のものですがサリニャック子爵領から、『軍務大臣からの依頼で開発を試みていた硝石に、目処が立ってきた』という報告書を」
「何だと?」
「そんな馬鹿な!」
横の弟が、完全に立ち上がっている。
「兄上、こいつの口から出任せですよ!」
「ここでそんな出任せを言って、どうするのですか」呆れて、思わず溜息とともに口に出た。「ついさっきまで無事話が収まりかけていたところへ、そんな嘘ならすぐバレる出任せでこじらせてどうします? 馬鹿じゃあるまいし」
「……確かに」公爵が顔をしかめる。
「こちらの公爵家とお国の重大事だと思うから、あえて申し上げているのです。そうでなければもう疲れ果てている身、さっさと失礼したいです」
「ああ」大きく瞬きをして、公爵はしきりと額を擦った。「本当にマリリーズ嬢には申し訳ない。無理をさせるのは、本意ではないのだが……」
首を振り、何度も立ち上がりかけて息を荒くしている弟を睨みつけた。
「二年前に父が急死して、引き継ぎが完全でないものがいくつもある。サリニャック子爵領のことなど、父を考えれば頷けるが、まったく頭から落ちていた。そうした報告がどうしてこちらへ届かず図書室にあるのか不明だが、調べてみなければならぬ。お前急いで許可を取り、図書室へ行ってこい」
「はい」
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