18 侯爵令嬢、改竄すること【13歳――あと2年弱】
一つは、香辛料だ。
近年になって国内で、現状外国からの輸入に頼っている胡椒に近い風味のピパという植物が見つかっている。ただしその発見場所では自生の数が少なく、栽培に結びつけることができないか研究を進めているとのこと。
胡椒に替わるものなら、かなりの高値での販売が期待できる。
それが我が領の五十年前の調査資料だと、そのピパと同一ではないかと思われる植物が、相当数森の奥に自生していたようなのだ。
――調査の価値はありそうだ。
他に自領の森奥には、
これも近年の他領の研究で、毛皮が高価で取り引きされる、捕らえる罠が開発されている、というものがある。棲息数を注意深く調査する必要はあるだろうけど、山の民の収入に繋げられるかもしれない。
「これ、動いてもらってみよう」
「はい、畏まりました」
そうした情報のいくつかを、オレールを通して領の代官に送る。
夏場、主要作物の収穫繁忙期前に人を募って、森の中に調査を入れようということになった。
その結果、いくつかものになりそうな成果があった。
中でも多量見つかったピパは、すぐに販売に向けて収穫を始められそうだ。同時に国内で研究を進めている領に相談を持ちかけて、栽培を始める方針も進めていく。
そうしたいくつかのものについて領直営の栽培や加工の施設を作り、土地を持たない農民を中心に雇用を募って製産していくことにした。
人件費を除いた収入は、領の経営に回す。
領主にはこの現実を知られないようにして、オレールと私で改竄した帳簿などを作っていく。
それでも叔父に回しても熟読されないような報告書の中に、「森でピパを見つけた。栽培に向けて研究中」程度の記述をこっそり入れておく。
後で領主に事実が知られた際、「報告済みです」と言い張れるように、という程度の小細工だ。
これらの動きの結果、数ヶ月でかなり領の経済活性化が果たされ、今後も新機軸を入れていく余裕ができてきた。
その年の終わりには、従来の畑作が前年より豊作だったのに加え、そうした新しい産業も結果を出し始めて、領民も領の実態もそこそこの豊かさを噛みしめることができていた。
領主には豊作分の税収増だけが伝わっているのだけど、それでもご機嫌の様子、何よりだ。
「来年以降への希望が出てきたね」
「すべて、マリリーズ様のお陰でございます」
年末には、オレール夫妻とこっそりそうした祝いの場を設けた。
図書室通いを始めて、半年程度。変わらず、王宮に出仕する限り毎日続けている。
もちろん領地の産業に繋がる情報収集が主目的なんだけど、いろいろ探し回る中で他にも興味惹かれるものが出てくる。
まあ王宮図書室なのだから、面白可笑しい娯楽的なものがあるわけじゃないけど。神話や歴史記録のようなもので、今まで知らなかった知識が得られるものも多数あるんだ。
たまにはそういうものも写本して持ち帰り、楽しみ半分の読書をするようになっていた。
夜の家宰室はもともと仕事を強制されているわけでもなく、そんな私の寛いだ様子を老夫婦は温かな目で見てくれているようだ。
「何だこれは、面倒な」
年が明けて間もなく。屋敷の執務室で家宰の持ってきた文書を読んで、叔父は顔をしかめていた。
「兵の整備確認、か」
「今般の事情から、仕方のないことでございます」
「そうであろうが……」
説明を受けても、当主様は渋い顔を変えない。
詳しいところは、その夜家宰室で聞いた。
今の侯爵領が北東方面の国防の要所を任されているという意味合いもあり、領の軍隊はそれなりの規模を抱えている。この維持には国からの補助も入っていて、必要によっては他の地域への派兵を命じられることもあり得る。
近年は東側は安穏だが、ここにきて北西の隣国であるエスコフィエ王国との関係が怪しくなってきた。もしかするとこの春には一悶着起きるかもしれない、と懸念されているらしい。
その隣国との国境に接しているのは、軍務大臣であるオリヴェタン公爵の領だ。
そちらへの派兵の可能性が出てきているので、兵の整備を確認しておいてもらいたい、との国からの要請だという。
「オリヴェタン公爵って、まだ若くて爵位を継いだんだったよね。二年前?」
「そうですな、先代の急死による、慌ただしい継承でした。軍務大臣の職位もその際先代からそのまま引き継いだはずです」
「若くて重責、たいへんだね。それにしてもその兵の整備確認って、面倒なことなの?」
「それが、私も少々失念しておりました」
叔父が侯爵位を継いでから十年近く、侯爵家としてはかなり貧窮が続いていたんだ。当然あちこちに、予算不足の影響が出る。
もう何年も実働の必要がなかった領軍に、当たり前のように皺寄せが行っていた。
「まずいんじゃないの、それって」
「まだはっきり問題が生じるほどではありません。急いで梃入れをしていかなければなりませんが」
「本当に急がなきゃ、だね」
幸い、予算不足はかなり解消できてきている。
経費削減のため常備兵を減らして農村などに戻していた人員を、呼び戻すことになる。
ちょうどその戻っていた時期に少し前から農業改革、産業振興の動きが入って生活が上向きになってきているので、その人たちも少しやり遂げた満足を持って軍に復帰する心境になるかもしれない。
――こっちの手前勝手な思い込みかもしれないけど。
「こういう事情ですから、その領軍に戻す予算の分を領主に入る収入から減らしても、納得してくださると存じます」
「そうだねえ」
――その辺りに癇癪を起こして領の収支全体を見直す、などという気紛れを起こさないように、気をつけて見ておかなければならないかもしれない。
何にせよまだ、大きな影響が生ずる問題ではないようだ。
ということで私の周囲では、変わらない日常が続く。
冬も終わろうかというある午後、執務室での叔父の居眠りの間に、ルブランシュ侯爵の部屋を訪ねた。
いつものように写本の成果を渡し終わり。
頷いて、侯爵がふと顔を上げた。
「その辺で、オリヴェタン公爵家の配下と会わなかったかい」
「いえ。何かあったのですか?」
「いや、なければ別にいいんだ」
やや煮え切らない返答に、首を傾げる。
それでも会話は続かず、この日は新しい依頼もないので手ぶらで部屋を出た。
戻る廊下で、周囲に人がいないと思っていたところへ声をかけられて、驚いた。
「君が、写本を請け負っている文官か?」
「え」
振り返ると、帯剣した武官らしい若い男が立っていた。知らない顔だ。
すぐ素直に答えるわけにもいかず、沈黙していると。
逆側から、帯剣した男がもう一人現れた。
「確か、フラヴィニー侯爵のところの者だな」
「それは、はい」
「ちょっと、来てくれ」
「いえその、勤務中ですので――」
「問答無用!」
背中の方になっていた、最初の男だろう。
怒鳴りつけがかかったかと思うと、素速く後ろから私の口元が布で覆われた。すぐそれが引き絞られ、猿轡の形になる。
「む――が……」
「急げ!」
たちまち後ろから抱えられ、前から私の両脚は持ち上げられていた。
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