17 侯爵令嬢、読書すること【13歳――あと2年】

「どんな願いだ?」

「まず一つなのですが、私できましたら、王宮の図書室というところで書物を読んでみたいのです」

「ほう」


 少し目を上に向けて、王子は考える素振りになった。

 しかしそれも、すぐに頷きに変わる。


「まあ、簡単にできるだろうな。俺の側近に持たせている許可証をもう一枚作らせれば、俺が王宮にいる限り有効だ。ほぼ無制限に図書室に出入りできるようになる」

「それは、ありがたいです」


 ぱっと、私は笑顔になった。

 何処か妙な顔で、王子は見返してくる。


「しかしお前、王宮にいる間で図書室に行く時間を作れるのか」

「昼食の時間で、何とかします。毎日数十チールでも」

「ふうむ」


 さらにまた少し、王子は考え込んだ。


「それならついでだ。これから当分、お前に毎日午後一ゲール俺の手伝いをさせる、と侯爵に申し入れよう。昼食休憩に続く一ゲール時間があれば、少しは落ち着いて本を読めるだろう」

「それは――ありがとうございます!」

「こんなことで大喜びをする貴族令嬢を、初めて見たぞ」

「そうですか?」

「まあ喜ぶのなら、少しは礼になるか」

「はい!」


 苦笑に加えて、王子は肩をすくめてみせていた。

 しかしいくら笑われようが、私にとっては何ともありがたいご褒美でまちがいない。


「なら明日こちらの文官に言づけて、礼金と許可書と手伝い申し入れを持っていかせよう」

「はい、ありがとうございます」

「それで、もう一つは?」

「はい、何でしょう」

「願いは二つあるのではなかったか」

「ああ、そうでした」


 今の喜びで舞い上がりそうになって、危うく忘れるところだった。

 重ねてもう一つの願いを口にすると、王子はきょとんと呆けたような顔になった。


「何だ、そんなこと。今すぐにでも手配できるが」

「申し訳ないのですがそれを、近い将来、いざというときにお願いしたいのです。およそ数年以内というところで」

「よく分からんが、いいだろう。造作もないことだ。必要なときに言ってくればいいが、あまり先延ばしにすると俺も忘れてしまうかもしれんぞ」

「はい、分かりました」


 約束通りその馬車は、私をフラヴィニー侯爵邸まで送り届けてくれた。

 夏の長い日も暮れかかる頃合いで、すでに叔父は帰宅していた。

 翌日の昼前、これも約束通り、王子の文官が執務室を訪ねてきた。

 礼金と図書室の許可証を私に手渡し、叔父に毎日午後一ゲールだけ私を手伝いに呼ぶ旨伝える。

 侯爵雇用の文官を手伝いに使うに当たって、王宮側から些少ながら手当が出ると伝えられ、叔父は喜んでと承諾していた。


――侯爵に雇用されてるわけじゃなく、実際給金ももらっていないんだけどね。


 文官が帰っていくとやはり予想通り、叔父の目は私が持つ金の袋に向いた。


「それが昨日分の謝礼だな。寄越しなさい」

「はい」


 逆らわず、手渡す。

 中の金額はおおよそ写本一冊分に匹敵する、小金貨十枚になっているようだ。

 逆に言えば、秘密の内職でこのくらいすぐに稼げるのだけれど。

 何となく、あまり素直に手放すのも不自然に思えてきた。


「あの、旦那様」

「何だ」

「そのお金について、母上に黙っていることもできますけど」

「うん?」

「その、相談次第、ですけど」

「うーむ」


 考え込んでいる。

 ということはやはり予想通り、母に知られずへそくりを持つことに魅力は感じるようだ。


「……一割だ、いいか」

「はい」


 袋から小金貨一枚を取り出し、私に手渡す。

 さも大切そうに、私はそれを受け取ってみせた。


「命じたぞ。決して口外するな」

「畏まりました」

「お前も、小狡く知恵が回るようになったものだ」

「は」


 知恵もこの程度だと思われている分には、警戒されずに済むだろうと思う。

 その後昼食が済んだところで、二人分の食器をまとめながら断りを入れた。


「王子殿下から図書室で調べ物をしろという指示ですので、これから行って参ります」

「おう」


 昼休憩の時間も三十チール以上残っているので、そこそこゆっくり書物を当たることができる。

 王宮内で事務用品の類いを販売している場所があるのでそこに寄り、自腹で紙を購入した。ペンとインクは、いつも使っているものを持参している。

 図書室に行って許可証を見せると、当然ながらすんなり中に入れてもらえた。

 初めて来たと言うと司書の役割らしい白い髭の老人が、中を簡単に説明してくれる。


「あの奥の扉に入ってはいけないが、その手前までなら自由に見てよい」

「その、王子殿下から必要な資料を書き出してくるようにという指示なのですが、ここで書物を書き写すことはできるのでしょうか」

「ああ、こちら側のものなら、自由に構わない。そこの机を使っていいよ」

「ありがとうございます」


 部屋は叔父の執務室の四倍程度の広さで、主に板を束ねた形の書物が五段くらいの低い棚に横積みで並べられている。正確には分からないけど、蔵書数は数百といったところだろうか。

 ――司書に尋ねると、おそらく千を少し超えるということだった。

 おおよそ内容の種類で分けられているようなので、必要なものを探していく。


――まずは、植物関係かな。


 主に北方で植物の生態を記録したものを見つけ、持ち出して机で紙への書写をした。

 司書には『書き出す』程度で許可を取ったけど、この厚さなら時間内に一冊まるごと写せるだろう。幸い机の位置はふだんの司書の席から死角になっているので、異様な書写の様を不審がられることもなさそうだ。

 あえて内容を頭に入れることなく機械的に手を動かしていくと、いつもながら自分でも信じられないほどの速度で筆写は進み、標準的な厚みの板製の書物なら一ゲールほどの時間で写し終えてしまう。

 この日はその植物記録一冊を手に入れて、満足して図書室を出た。

 内容については、夜の家宰室でゆっくり読むことにする。


――これは本当に、王子殿下に感謝だね。


 そういう図書室通いを叔父の出仕日の限り毎日続け、さまざまな収穫を得た。

 最も現状ありがたいのは、五日目に見つけたやや古い書物だった。

 五十年以上前のものらしいけど、現フラヴィニー侯爵領を調査した研究者の記録で、森や山の動植物、鉱物について多数、絵入りで記述されている。

 これまで集めていた情報には入っていなかったものもけっこうあることからすると、もともとの住民も知らないほどの奥地まで調査した結果かもしれない。


――これは、期待が持てる。


 記録はされてもその後活用されずに埋もれているということは、あまり価値のある内容ではないという可能性もあるけど。

 五十年前には価値が認められていなくても、その後他の地などでの研究で価値が見つけられたものがあるかもしれない。

 その書物についてはとりわけ注意深く、絵などもできるだけそのままに、写すことにした。

 屋敷に持ち帰ってじっくり読み、これまでの知識で該当するものはないか思い返す。

 新たに図書室でも、今回の記述に近いものはないかという観点で探していく。

 その結果、いくつか手応えのあるものを見つけた。



   ***


7月25日に拙著が発売されます。

「赤ん坊の異世界ハイハイ奮闘録3」

 KADOKAWA「MFブックス」レーベル

 著者名 そえだ信

 イラストはフェルネモさん

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 どうかお買い求めお願いいたします。



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