16 侯爵令嬢、希望を告げること【13歳――あと2年】

 取り出され、金貨が積み上げられる。

 金貨三十枚、三十万ブーンの金額になる。

 それを見て、年かさ男が苦笑のような顔になった。


「冗談をされては、困ります。それは中金貨ではありませんか」

「そうだが?」

「お支払いいただくのは三百万ブーンです。大金貨で三十枚、中金貨でしたら三百枚になりますよ」

「そっちこそ冗談を言っては困る。支払うのは三十万ブーンだ」

「誤魔化されるわけにはいきません。れっきとした借用書があるのです」

「その借用書に、三十万と書いてあるではないか」

「ご冗談を」

「ちゃんと見ろ」


 王子は、さっきから横手に立っていた護衛を横目で見た。

 紙面を指で示されて、護衛が屈み覗き込む。

 すぐに、その目が大きく見開かれた。


「確かに!」

「だろうが」

「何を言っている、お前!」

「いえおかしら、確かにほら」


 叫びつけるかしらの前に、護衛は羊皮紙を持ち上げて運んだ。

「馬鹿を言うな」と唸りながら覗き込み、たちまち男の薄い額の上まで真っ赤に染まっていた。


「な、な――?」

「ではないか」

「そ、そんな馬鹿な!」

「実際に借りたのは、二十万弱だったと聞く。それを三十万でも暴利だろうに、貴様まさか、その十倍を絞りとろうとしたというのか」

「そ、そ、そ、そんな――」


 汗だくになって、かしらは何度も証書を読み直している。

 しかし記入されている数字にまちがいはないし、さっきから王子一行の誰も羊皮紙に手さえ触れていない。常識として、改竄もすり替えもできたはずはないのだ。

 面白くもなさそうな表情で、王子は続けた。


「何度も三十万と言われて、証書に署名した。それを受け取ってから相手の男は三百万と言い出した、何をとち狂ったかと思った、と本人は言っているぞ」

「いや、いや、そんな――」

「そんな世迷い言を続けるなら、国家への反逆の意思と見なすことになるぞ」

「いや、いえ、そんな、決して――」

「なら、話は終わりだ。この金貨を受け取り、借用書を寄越せ」


 がくりと項垂れ、かしらは羊皮紙を護衛に渡した。

 護衛はそれをテーブルに戻し、金貨を入れた袋を主人のもとに運ぶ。

 王子は無造作に羊皮紙を摘まみ上げ。

 次の瞬間、その端に火が点いた。

 見る見るうちに燃え上がり、やがてテーブルに灰が落ちる。

 この王子殿下、火の加護持ちだったらしい。


「終わりだ」


 続けての宣言に、誰も声を入れるものはなかった。


「よくやったな」

「は」


 そのまま全員無言でその金貸しの家を後にし、再び馬車に乗り込んだ。

 動き出したところで、王子が労いの言葉をかけてきた。

 確かに私がいてこその成り行きだけれど、やったこと自体は簡単なことだった。

 王子の肩越しに覗き込んだテーブルの上の羊皮紙、そこに記入された数字の尻のゼロを一つ消した、それだけだ。

 傍に立っていた向こうの護衛が問題の部分をその瞬間凝視していたのでない限り、変化に気づきようもない。実際ぼんやり見ていた程度なら、何も変わったとは思わないだろう。

 なお簡単な説明を受けて現地に行くまではこの王子本人の借金かと思っていたのだけど、借用書に入れられた署名は「クロヴィス」ではなく、「オクレール・アセルマン」と読めた。記憶にまちがいがなければ、この国の王太子殿下のお名前だ。

 成人間もない若者が賭け事にでも誘い込まれ、借金を作る羽目になったということか。

 自分の小遣いをはるかに超えた額を要求され、思い余って市井に慣れた兄に相談したとか。

 まあそんな見たことや想像を口にして、王族の不興を買っても仕方ない。

 しかし最低限は確認しておきたい、と思う。


「あの金貸し、かなりあくどい真似を重ねていたわけですか」

「余罪は分からん。今回は少なくとも、世間知らずで金のありそうな若僧がカモになったので、調子に乗ったと思われる」

「王族に乗り出してこられても、引っ込みがつかなくなったとかですか。借用書がはっきりある限り、自分の有利を主張できると」

「そんなところだろうな」

「王族を相手にあくどい真似という点、このままにするのですか。結局向こうが損をしない額で、事を収めたようですが」

「この辺少し、面倒でな。王都だけでもあれと同じ程度の力を持つ顔役が数名いる。その辺を弄って力関係に刺激を入れることをしたら、収拾がつかなくなる恐れがあるんだ」

「そうなのですか」

「まあしばらくは経過観察を続けさせるさ」

「その、逆にあちらの方が根に持ってこちらを害する行動に出る、ということはありませんか」

「これ以上、王族に手を出すほどの馬鹿ではないだろう」

「いえ、王族ではなく」

「どういうことだ」


 わずかに、王子は訝しげな顔になった。

 遊び慣れているという噂はあるけど、やはりいい育ちの方なんだろうな、と思う。


「今日のこちらの一行、王子殿下と護衛は不思議ないのでしょうが、妙に小柄な文官は、場違いですよね。現にあの場にいて何の役に立つところも見せず、一言も口さえ聞いていません」

「まあ、そうだな」

「あの場はあのように収まりましたけど、借用書に関してあの主領は絶対納得しませんよね。ゼロが一つ多い書面を、何度も確認していたのでしょうし」

「しかし書き換えようのない証書を目で見たのだし、もう燃やしてしまって文句のつけようもなくなっているな」

「それは確かにそうですけど、だからと言って納得できるものではありません」

「まあ、そうだが」

「理解できない不思議なことが起きたときこの国では、人に知られていない加護のせいではないかと連想されて不思議ありません」

「………」

「その主が小柄な文官だろうということも、容易に結びつきます。あとは何処かの教会を脅迫して情報を得よう、ということになるかもしれません」


 聞いて、少しずつ王子の整った顔の色が薄くなってきた。

 そんなに私、思いもよらないみたいなことを言っているだろうか。


「そう……だな。済まぬ、そこまで考慮していなかった。教会に改めて口止めをし、脅迫など起きぬよう警護の兵を手配しよう」

「はあ」

「何にしてもお前には気苦労をかけ、他にできない働きをしてもらった。感謝する」

「いえ、王族の方のお役に少しでも立てたなら、幸甚です」

「何だかお前と話すと、少々調子が狂うな」

「そうですか」

「何と言うか慣れないような、見た目と話す内容が違って落ち着かないというような」

「さっき、エレネスト様にも似たようなことを言われた気がします」

「そうか」


 何を考えているのか、王子は金髪の頭をかいている。

 そして小さく、はああと息をついた。


「いやとにかくも、助かった。明日にでも礼金を届けさせる」

「それは、ありがとうございます」

「うむ」


 ありがたい。しかし申し訳ないけれど、そんな諸手を挙げて歓喜したいというほどじゃない。

 今回のこの出番は、叔父に話を通してのものだ。王子の用で仕事をして、礼金くらい出るだろうことは叔父も予想しているだろう。

 つまりその金はまちがいなく、叔父に巻き上げられる運命だ。


「その……図々しいお願いなのですが」

「うん? 何だ」

「その金額は減らしていただいて構いませんので、別に少々希望を聞いていただけないでしょうか。王子殿下にとってはあまり負担にならないと思いますので」

「どういうことだ」


 何か面白いと思われたらしく、王子は苦笑のような表情になっていた。


「まあ言ってみろ、試しに」

「ますます図々しいのですが、できましたらお願いを二つ」

「ほう」


 ますますさらに、王子の苦笑が深くなった。


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