15 侯爵令嬢、同行すること【13歳――あと2年】

 翌日、昼食が済んだところで宣言の通り、昨日の武官が迎えに来た。

 叔父に断りを入れ、執務室を出る。

 待っていた大男の武官は、男装の私に頭から足の先まで無遠慮な観察の目を流した。

 ふと気がついて、軽く頭を下げる。


「名乗り遅れました。文官のマルスと申します」

「あ、ああ――武官のエルネスト、で、だ――」


 こちらの扱いに困っているのではないかと思っての、名乗りだった。

 おそらく侯爵令嬢相手だとへりくだらなければならず、文官相手だと対等になるくらいの身分だろう。年齢の関係で、こちらが丁寧に対するというのが妥当なところか。

 それと私の本名は調べてあるかもしれないけど、ここでの男性名は知らないはずだ。これから何ゲールほどのつき合いになるか知らないが、呼び名ははっきりしておいた方がいい。

 相手も納得の様子で、歩き出す。


其方そなた、年に似合わず妙に肝が据わって見えるな」

「そうでしょうか」

「行き先も告げていないのに、臆する様子がない。昨日にしても殿下の身分は想像できていたろうに、必要以上に謙ったり怯えたりのさまは見せなかった」

「はあ……」


 考えてみる。

 肝が据わっているとか怖い物知らずとか、そんな傾向は確かにあるかもしれない。

 何しろこの十年近くの置かれた境遇で、ある程度何があってもこれ以上悪い立場に落ちることはないだろう、というような気になっている。

 もし王子殿下への不敬で咎められることになっても、おそらく叔父が責任をとる結果になる程度だろう、と思ってしまう。


「王族の方にお会いした経験など、これまでないもので。どの程度緊張したり恐れ入ったりが適当か、分かりかねています」

「初めてならふつうは、そんな考えをする前に理屈抜きで恐れ入ってしまうものだが」

「そうですか」


 呆れたような声音で、武官は軽く首を振っている。

 それでも歩くうち、気を取り直してきたようだ。


「これから行く場所は、若い令嬢には似つかわしくないところかもしれんが」

「そうですか」

「どんなことがあっても、俺がお二人を守る。心配しないでほしい」

「はあ」


 じろ、と妙な目つきが見下ろしてきた。

 今の返答も、お気に召さなかっただろうか。

 しかし言葉を濁されて、行き先の実態は分からないままだし。この武官の腕前のほどはまるで知らないし。

 信頼にしても懐疑にしても、何ともいだきようのないところだ。


「エルネスト様、は、あの方の護衛、ですか? は長いのですか」

「もう十年近くなるかな。信頼を受けてつかせていただいている」

「それは、頼もしい? 限りです」

「何だか疑問ふうな言い方が、落ち着かないのだが」

「気のせいです、きっと」


 私としてもこの相手に、どの程度丁寧に話すべきなのか、調子をとりかねている感覚だ。

 何よりもこういう立場、年齢の男性と身近に接したことがないので、まったく経験則がない。

 あまりよけいなことを口にしないのが吉かな、と思い定める。


「あそこだ」


 エルネストが、長い廊下の先を指さした。

 いつも使っているのとはまた別の、王宮の出入口らしい。

 近づくと、脇の小部屋からクロヴィス第一王子が姿を現した。

 その場に膝をつこうとすると、手で制される。

 おそらくのところ、ふつうの側近と同程度の扱い、ということなのだろう。側近が顔を合わせるたびに膝をついて礼をしていたのでは、仕事にならない。

 それでもていねいに頭を下げて、挨拶をしておくことにする。


「文官のマルスと申します。本日はよろしくお願いいたします」

「そうか。よろしく頼む」


 男性名を伝える目的の挨拶だとは、理解されたようだ。

 その間にエルネストは出口を出て、小さな馬車を寄せてきていた。この武官が御者を務め、他に随伴者はいないらしい。

 こういう際の作法はよく知らないけど。無造作に王子が乗り込むのに、黙って続く。

 王族が使うにしてはかなり簡素に見える、狭い車内だ。

 礼儀を尽くすような雰囲気もなく、中で王子と向かい合う席どりになった。

 木の窓が閉じられていて、外は見えない。と言うよりおそらく外から見られないように、身分を知られないようにする目的があるのだろう。

 がたりと揺れ、馬車が動き出す。


「これから行く先は、まず見慣れない低俗な場所だろうがな。お前は原則、黙って横についていればいい」

「はい」


 そう切り出して、王子はごく簡略に先の説明、最低限私がすべきことを話してくれた。

 確かに、王侯貴族に相応しい上品な行動予定ではないようだ。

 三十チールほども進んだろうか。ききと軋んで、馬車は止まった。


「ここからは、歩く」

「はい」


 薄汚れた建物がかなり混み合った様子の街の一角に来ていた。

 そういう用途の商売をしているらしい一軒に馬車を預け、三人で歩き出す。

 ますます煤けたふうの建物、あまり小綺麗と言い難い人々が行き交う小路に入っていく。

 盛りに近い夏の暑さも相まって、貴族の端くれとしては馴染みのない種類の異臭が、あちこちから漂っている。

 突き当たり、少し大きな建物の入口前にエルネストは足を止めた。

 戸を叩き、出てきた目つきの悪い男に、声をかける。


「主人はいるか」

「……お待ちしています」


 入ってすぐの狭い階段を、男の先導で昇った。武官、王子、私の順で続いていく。

 やや大きな扉を男が叩き、招き入れられる。

 正面の大机の向こうに年とって恰幅のいい男が座り、両脇に護衛らしい体格のいい男が二人立っていた。

 事前に聞いたところで、この恰幅のいい男が付近を取り仕切るかしらで、人材派遣や賭場、金貸しなどを生業なりわいとしているようだ。

 座った姿勢のまま、愛想よく笑いかける。――品は今イチ、と言うより今十くらいだけど。


「よくいらっしゃいました。お待ちしておりました」

「挨拶はいい。支払いに来た。証書を出してくれ」


 机を正面に見て、小テーブルを前にした長椅子が置かれている。

 その椅子に王子が腰を下ろし、武官と私は後ろに立つことになった。


「お忙しいことですな。では、こちらです」


 かしらが机から羊皮紙を一枚取り出し、護衛の一人が受け取って、王子の前のテーブルに置いた。


「見えない。もっと近くに寄せてくれ」

「は」


 王子に言われ、護衛はそれに従う。

 すぐ膝前に寄せられて、私にも書かれた文字が判読できるようになった。


「この金額を、支払えばよいのだな」

「さようでございます。利息込みで明記し、ご本人に確認いただいております」

「何とも暴利極まりないが」

「ご本人が納得した金額ですので」

「そうか」


 証書を見直し、王子は武官に頷きかけた。

 エルネストは懐から、そこそこ重みのありそうな布袋を取り出す。

 それが羊皮紙の脇に置かれ、王子は正面を睨みつけた。


「ちょうどのはずだ。確認してくれ」

「開きなさい」


 かしらの指示で、護衛は布袋の口を開いた。


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