14 侯爵令嬢、命ぜられること【13歳――あと2年】

 ルブランシュ侯爵からの写本の依頼は、半年以上が過ぎても変わらない頻度で続いていた。

 自分の蔵書の分はほぼやり尽くして、最近は他の貴族からの請け負いがほとんどらしい。

 これに関してはいつ依頼が途絶えるかも分からないので、稼げるうちは無理のない範囲で続けていきたいと思っている。

 夏の陽射しが強いこの日も、執務室で叔父の居眠りを確認して、侯爵の部屋に出向いた。

 新しい依頼の分を受け取り、大切に袋に入れて持ち帰る。今回のはそれほど急ぎではなく、二三日余裕を見てもいいという話だ。

 廊下を歩き、そこそこ顔見知りになった貴族や職員と礼を交わしながら、部屋に向かう。

 と、給湯所の近くで声をかけられた。


「お前」

「はい?」

「フラヴィニー侯爵のところの文官だな」

「はい」


 振り返ると。長身で濃い金髪のまだ若い男が、帯剣した武官らしい連れとともに立っていた。

 見覚えはない。しかし見るからに、豪奢な服装で偉そうな態度だ。

 頭を低くしていると、ずいと顔を近づけてきた。


「お前」

「はい」

「女だろう?」

「は――?」

「王宮で、女の勤務は認められていない。知っているだろうな」

「………」


 黙って頭を下げていると、男はにやりと笑ったようだ。

 ぐい、と奥へ向けて顎をしゃくったような仕草を見せた。


「ついてこい」

「はい」


 大股で歩き出す。ついていくのが精一杯で、私は必死に足を運んだ。

 一つ角を曲がり、男は無造作にすぐ横の扉を開いた。

 中で執務机前に座っていた初老の男が、弾かれたように立ち上がる。続いて膝をつき、頭を下げ――。


「これは――」

「少し、部屋を借りる。しばらく外に出ていろ」

「は、はい――」


 部屋の主は文官一人を連れて、足をもつれさせそうな勢いで飛び出していった。

 名前は覚えていないけど確か、伯爵だったと思う。


――伯爵があれほど狼狽して従う相手、か。


 大きな机の横に歩み寄り、男は振り返った。

 懐から羊皮紙らしいものを一枚取りだし、机に広げている。


「お前を断罪する目的ではないから、安心しろ」

「はい」

「フラヴィニー侯爵家次女の加護について、教会から聞いた」

「……は」

「羊皮紙にペンで書いた文字を消して、書き直せるということだな」

「………」

「やってみろ」


 机上の羊皮紙を、顎でしゃくる。

 断ったりとぼけたりの選択肢は、ないようだ。

 相手はおそらくかなり高い身分――たぶん、王族か――のようだし、私の性別の件を掴んで脅しをかけている。

 また、事前に何らかの目的を持って調査をしているらしい。

 教会では加護について他言しないと聞いたけど、さすがに相手によるのだろう。

 私は黙って、机に近づいた。

 羊皮紙には、一面文字が書き入れられている。


「どの文字を消すのですか」

「そうだな、この数字を消して――」中頃の五桁の数字を細長い指がさし示す。「12345に書き直せ」

「はい」


 言われた通りにすると、「ほう」と男は唸った。

 横に従っていた武官も、目を瞠っている。


「確かに、何の道具もペンも使わずに、触りもせずできるのだな」

「はい」

「どれだけ離れてできる?」

「文字がはっきり読みとれる距離なら」

「今ぐらいの位置が、まちがいないというわけか」

「はい」

「ふむ」


 ふんふんと頷き、少しの間黙り込む。

 考えている、と言うより、心中何か確認している、という感じか。

 もう一度頷き、じろりと横目が睨みつけてきた。


「ではお前、明日の午後、付き合え」

「何処かへ行くのでしょうか」

「遠くと言うほどではないが、王都の街中だ」

「はい。しかし、叔父――当主に断りを入れませんと」

「それはそうだろうな。今は執務室か?」

「はい」

「行こう。案内しろ」

「はい」


 廊下に出ると、扉のすぐ横に伯爵と文官が立っていた。

「邪魔した」と言い置いて、男は大股に歩き出した。

 叔父の執務室前に来て、私は扉を指し示した。


「こちらです」

「そうか」


 一呼吸も入れず、扉をドンドンと叩く。

 そうして返事も待たず、戸を開いた。


「え、へ――?」


 中では、叔父が椅子から跳び起きたところのようだ。

 さっきの部屋のようにノックなしに開いたら、居眠り最中の現場を見られたかもしれないのに、と少し残念に思う。


「こ、これは――クロヴィス王子殿下!」


 叫んで、叔父は床に膝をついた。

 これは合わせなければいけないか、と私も横に並んで膝をつき、臣下の礼をとった。一応、男性用の礼の形にしておく。


――それにしても、第一王子だったか。


 第一王子ではあるが正妃の子でなく、弟の第二王子が王太子とされている、と記憶していた。

 記憶にまちがいがなければ、確か第一王子殿下が25歳、王太子殿下が16歳だったはずだ。

 噂に聞く限りではこの王子、弟が次期王位に就くことで納得していて自分は気楽に補佐を公言している。さらに噂では身分を隠して市井を歩き回り、「ノム・ウツ・カウ」――意味はよく分かんない。成人前の令嬢だもん――の道楽に耽っているとか。

 まあ、ただの無責任な噂に過ぎないかもしれないけど。

 名前を呼ばれたのが不快だったのか少し顔をしかめ、しかし王子はすぐに用件を口にした。


「この文官を、明日の午後借りる。いいな?」

「は、はい」

「午後、この武官に迎えに来させる。用が済んだら、日が暮れる前に屋敷に送り届ける」

「はい」

「用向き内容や理由など、一切訊くな。すべて他言無用とする」

「畏まりました」

「では、明日」


 そのままずかずかと、退室していった。

 扉が閉じられると、そのまま叔父は床に腰を抜かしたように座り込んでいた。

 もの問いたげに私を見てくるけれど、命じられたように何も話せない。

 ただ、当たり障りない事実だけを告げておく。


「そこの給湯所のところで突然捕まって、明日付き合うようにと命じられました。私もそれ以上知りません」

「……そうか」


 よろよろと立ち上がり、席に戻る。

 この日はそれ以上執務もできず、早々に帰宅することになった。

 夜の家宰室でも、「さる方に、明日仕事に付き合うように命じられた」とだけ告げる。

 写本については二三日余裕を見てもいいという話だったけど、翌日がどうなるか分からないので、この日のうちに終わらせることにした。



   ***


7月25日に拙著が発売されます。

「赤ん坊の異世界ハイハイ奮闘録3」

 KADOKAWA「MFブックス」レーベル

 著者名 そえだ信

 イラストはフェルネモさん

となっております。


 どうかお買い求めお願いいたします。


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