13 侯爵令嬢、だらけること【12歳~13歳――あと3年~2年】
冬の間に、いろいろ情報を集めてみた。
農作業の改善点や新産業の導入について、とにかく領地の経済を上向きにさせる方策はないものかと。
何とか春までにいくつか農作物の輪作や肥料の改善について情報を得て、オレールと相談、新代官と伝書鷹を使った通称『鷹便』でやりとりの末、今年度の試行の実現にこぎつけた。
うまくいけば作高の向上で税収増が望める。もしまた低温などの異常気象に襲われても、不作の被害を抑えられるはずだ。
それにしても、この程度の情報を得るにもかなりの苦労の末のことだった。
とにかく情報源は王宮の執務で叔父に回ってくる資料、ルブランシュ侯爵の部屋で読ませてもらえるもの、または依頼された写本の内容、といったところに限られる。何と言うか受身でうまい情報が回ってくるのを待つしかない、という感覚だ。
何処かにそういう資料をまとめて読ませてもらえるところがあればいいのだけれど、少なくとも私の行動範囲には存在しない。
王宮には書物を集めた図書室というものがあるのだそうだけど、私のような身分の者に入室許可は下りない。貴族当主がかなり厳格な審査を経て、ようやく許可されるかどうかだそうだ。
「何とか方法はないかなあ」
「難しいですねえ」
夜の軽食をとりながらぼやくと、家宰も首を捻った。
ぶつぶつ愚痴を漏らしながら、この日の写本の準備を始める。
今回の書物は鉱物の種類をまとめたもので、図版は多いがそれほどの厚みはない。注文の二冊を終えた上で、こちらで保管用の一冊まで作れそうだ、と目算を立てる。
――領地の山の鉱物資源を調査できたら、この資料も役に立つかもしれないけど。
今年度の輪作などの試行の状況を考えると、そこまで手を広げるのは難しそうだ。
慌てず一歩ずつ進めることだ、と思う。
初夏を迎え、私は13歳になった。
変わらず叔父を手伝い、ルブランシュ侯爵から写本を請け負い、領地を富ませるための情報を集める、という日々が続く。
考えてみると。
――あと二年で、ミュリエルが侯爵当主になる可能性が高いんだよなあ。
そうなるとおそらく私は放逐される。
もう領地について関われなくなるし、今から領地を富ませたとしても、すべてそれはミュリエルのものになる。
今さらだけど、無駄なことをやっていると思えてきてしまう。
――だとしても、ここでやめたら。
昨年の不作による農民の飢餓の心配を思い返すと、どうにも中途で投げ出す気になれないのだ。
少なくとも、領民が天候などで生き死にを左右されることのない態勢を作るまでは。
ふうう、と。思春期の乙女らしからぬ深々とした溜息をついてしまう。
「あ、くそ」
離れた机で、不意に叔父が悪態を漏らした。
屋敷の執務室で机の前にオレールが立ち、差し出された書類に何か書き込んだところのようだ。
舌打ちをして、しばし羊皮紙を睨みつけ。
その横目の睨みが、こちらに流れた。
「書きまちがった。お前これ、消せるか」
「はい」
呼ばれて、私は立ち上がった。
二歩ほど寄ると、手で止められる。
「あまり近寄るな。そこから、できないか」
「えーと、もう一歩寄らないと、でしょうか」
「よし、一歩だ」
「はい」
一歩前に進むと、叔父の前に置かれた羊皮紙の文字が何とか形をなして見えてくる。
他の書類は裏返しに見えないようにして、叔父は羊皮紙の下の部分を指さす。
どうも、サインがはみ出してしまったらしい。
「これをまるごと、消してくれ」
「はい」
サインの範囲を目に入れて念じると、その一括りはすぐに紙の上から消えた。
「よし、戻れ」
「はい」
私が元の机に戻ると、叔父はサインを書き直したようだ。
すぐ他の書類も表向きに戻しているのは、私の目が届かないと確認してのことだろう。
この部屋での書類仕事では、何とも神経質に思えるほど私の目の届きを気にしているんだ。
ご苦労様なことだと思う。
目を通すもの、サインをするもの、などは一通り終了したらしい。私が計算を済ませた筆記版を返すと、もう上がっていい、と言われた。
頭を下げて、私は部屋を出た。
「あら、仕事は終わったの? ちゃんと働いたのかしら」
廊下を歩いていくと、侍女を一人連れた妹と出会った。
時間からすると、貴族魔法学院から帰ってきたところだろう。
壁に寄ってすれ違い、私は一瞥しただけで背を向けた。
「何よ、その態度は! この陰気女!」
振り返って、妹の手が振られる。
飛んできた火球に、私は腕を上げて顔を庇った。
肘の辺りで弾け、小さな火の粉が飛び散った。
「ふん、生意気な顔ったら」
「どうも」
会釈のように首を動かし、そのまま立ち去る。
後ろでまだ悪態が続いているようだけど、気にしないことにする。
とにかくこの妹と顔を合わせると面倒なので、なるべく避けるようにしているのだけど。同じ建物に暮らしている以上、完全に避けっ放しにすることもできない。
妹は学院で魔法の制御を習っているのだそうだけど、三年前の使い始めからあまり変化したように見えない。家の中というのにも構わず感情のまま放つ炎の大きさは抑えが効いたようでもなく、かと言って以前より強力になったようにも感じられない。
今の距離だと相変わらず、火が当たった肘付近が少し赤くなった程度だ。
――何を勉強しているのやら。
公称13歳だけど、実態は12歳。
伝え聞こえてくる限りでは、そろそろ色気づきが始まっているのか以前からよく通っている夜会などから帰って、男性に関する話題が増えているらしい。
それと比べて学院は男女一緒じゃないのでつまらない、とぼやいているのだとか。
なかなか薄金髪のおつむの中は色鮮やかなようで、おめでたい限りだ。
その夜は家宰室に招かれても、写本の仕事もなくその他急ぐこともない。ただクッキーを咥えて、私は長椅子でぐてっと背板に凭れてしまった。
「ごめん、今日はぐだぐださせて」
「どうなさいました?」
「昼間あの妹の顔を見たら、あいつのものになる領地のことを考えるのが、嫌になった」
「あらあら」
遠慮なく愚痴を口にすると、侍女頭は優しい顔になった。
紅茶のお代わりを注ぎ、椅子の背から近づいて、そっと頭を撫でてくれる。
「そうですよ。領地のことなど、まだお若いお嬢様が身を張るものではありません」
「かな」
「昼間働いていらっしゃるのですから、ここではぐだぐだ休んでよろしいのですよ」
「……うん」
正面の机では、オレールが温和な笑みをちらちらこちらに見せて、書き物をしている。
一つ文を書き終えたか手を止めて、はっきりこちらに笑いかけてきた。
「そうですね。最近マリリーズ様は働き過ぎです」
「そうかな」
「写本の依頼も、もう少し断ってもいいのではないかと」
「うーん――でもこれは、自分のためでもあるからなあ」
最近の写本の収入は、将来の自分のために貯めるようにしている。
予想通り二年後に放逐されることになったとして、路頭に迷う羽目にはなりたくない。
「それに領地のことを考えるのも、趣味と言うか生きがいみたいになってきてるし」
「もっと年頃のお嬢様らしい趣味をお持ちいただきたいんですけどねえ」
「だよねえ」
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