11 侯爵令嬢、決断すること【12歳――あと3年】

 その夜、一抱えの荷物を家宰室に持ち込んだ。

 この日の成り行きを一通り、オレールとヴェロニクに伝えておく。


「ルブランシュ侯爵のお部屋で見せていただいた資料から、寒冷地でも栽培しやすい葉物野菜三種類についての記述を見つけてきた」

「そうなのですか」

「わりと最近新しく品種改良が進んでいるもので、秋になっても栽培できて半月ほどで収穫できるって。王都でも種が手に入るみたいだから、手配するといい」

「分かりました」


 資料を記憶して後で木の皮に書きとっておいたものを、手渡す。

 合わせて、この日の写本報酬を袋ごと渡した。


「これ、種の購入に使って」

「これは、かたじけなく存じます」


 不作で税収が減って、それでも領主夫妻の取り分は減らすなということになっているのだから、こういう用途に使える資金は不足しているはずだ。

 個人の稼ぎとしてもたいした金額とは言えないけど、とりあえずの購入分の足しにはなるだろう。


「こっちの写本を終わらせれば、明日同額の報酬が入る。私はこれからこの写本を始めるから」

「夜遅くなるのではないですか。無理をなさらないでください」

「日付が変わる前には、終わる予定。ここは少し頑張ろうと思う」

「そうですか」


 自分の部屋では夜中に灯りを点けることができないので、家宰室で作業をするしかない。

 先に寝るように言ったのだけど、当然のようにオレールは自分の執務をしながらつき合ってくれた。

 それでも、新発見。一度写本したものの二回目は、さらに速く処理できることが分かった。

 思いがけず早く終わったので家宰と相談して、同じ本をもう一冊分写すことにした。将来を考えると、製紙業の詳細情報を手に入れておいて損はない。

 それでも宣言通り夜半前には終了して、自室に戻った。いつもよりは短い睡眠時間になったけれど、なかなか収穫が多い一日で満足の思いだった。


 新しい野菜の種は三日ほどで入手でき、早馬を雇って領地に運ばせた。

 うちの領都まで馬車だと五日かかるけど、早馬だと三日弱で着く。とにかく一日でも早く栽培を始めて、農民たちの食料の足しにさせたい。

 想定通りうまくいけば、最北の農民たちの飢えを抑えることができるだろう。

 今回の処置で救えるのはいちばん酷い状態の数百人程度と思われるが、引き続き同様の動きを続けていきたいと思う。

 そのためには資金が必要なので、その後も写本に励むことになった。

 ルブランシュ侯爵の話の通り、写本の需要はかなりあるようだ。

 ここ最近になって紙の普及が進み、書籍の販売が増えている。しかし一部で版画印刷というものが始まっているとは聞くけれどまだまだ少数で、ほとんど手書き本ばかりなので需要に供給が追いつかない。

 なまじ中途半端に出版数が増えてくると、一定の評判を呼んだ本については手に入れたいという貴族の欲求が異常に膨らむらしいのだ。

 容易に想像できるけど、これに応えるには速度が重要となる。評判が膨らんだうちに写本を売り出せば高価に受け入れられるけど、少し時が経つともう忘れられているということさえあり得る。

 ということで、私のもとにはルブランシュ侯爵からの注文が続けざまに入ってきた。手元にある売り物になりそうな本を、片っ端から処理することにしたらしい。ただしそれぞれ売り出す数は多くて二三冊に抑えている辺り、なかなかしたたかな読みをしているようだ。

 元の本の持ち主にとって、価格の一割を写本報酬としても、あとは紙の代金程度しか経費はかからない。高い値のつく本を選び出せば、ほぼぼろ儲けだ。


「これを明日まで、三冊できるか」

「大丈夫だと思います」


 よほどの緊急でない限り、写本は夜に行える分で請け負うことにしている。

 侯爵にとっても、昼間叔父に託している業務を滞らせる事態になるのは本意ではない。

 それでも二日に一度程度の注文をしばらく受け続けて、私はかなりの収入を得ることができた。

 先日とは別の新しい野菜、ナガムギや豆類の腹に溜まる食べ方、といった情報なども得て領地に送り、領民の飢餓はとりあえずほぼ心配しなくてよさそうになってきた。


「あとはもう少し、長期的に見られる産業の振興、かな」

「そうですな」


 そんな話し合いを、オレールと続けている。

 製紙業のようなものをしっかり始めることができればいいのだけれど、なかなか難しい。説明書の写本を手に入れているとは言え、それだけですぐというわけにもいかない。

 まだしばらくの研究が必要だ、と思う。

 それともう一つ頭が痛いのは、代官の問題だ。

 今のところはこれまでの代官と副官に指示を送って、新しい野菜の普及などに当たらせたのだけれど、そろそろ時間がなくなっている。

 オレールによると、母は実家のジェデオン子爵家に新代官の紹介依頼を送ったらしい。

 母の息がかかった代官に替わると、オレールから直接指示を送るのが難しくなる。

 今回の領民飢餓対策だけならまだしも、この上新しい産業振興を図っても収益分はすべて領主夫妻に流れて、領地を豊かにする目的は果たせないことになりかねない。


「おそらく数日中には、紹介の返事が来ると思われます」

「数日中かあ」


 ヴェロニクも合わせて三人、深々と溜息をついてしまう。

 頬を膨らませて、私はしばし考えを巡らせた。

 仕方ない、と首を振る。


「ここはもう、犯罪に手を染めようか」


 言葉にすると。老夫婦はぽかんと目を丸くした。



 三日後。屋敷の当主執務室で叔父と離した机で書類処理の手伝いをしていると、オレールが入ってきた。

 封書を開いた手紙らしきものを、叔父に手渡している。


「ジェデオン子爵家からふみが届いております」

「うん? ああ、代官紹介の件か」

「はい。三日後でしたら面接に来られると言うことです」

「そうか。三日後? 予定は入れられるか」

「はい。旦那様の王宮の執務予定を調整すれば、可能かと」

「それならそのように、取り計らってくれ」

「畏まりました」


 相変わらず私の目に入らない向きで手紙を開き、家宰と話し合っている。

 ちょうど入ってきた母にもその件を告げ、頷き合っていた。


「実家の兄も、すぐ動いてくれたのですね」

「そのようだね」

「これで領地も安心です。年寄りの代官から替わって、しっかりやってくれるでしょう」


――紹介された人物を知りもしないのだろうに。簡単に納得しているものだなあ。


 手紙で名前を確認することさえ、していないのだ。

 やれやれと思うけど、もちろん口に出したりしない。


 その三日後、紹介状を持った男が屋敷を訪ねてきた。


「ジェデオン子爵様から紹介いただきました、ファビアンと申します」


 私は同席できないけど、叔父とオレールで面接を行ったようだ。

 あっさり叔父は採用を決め、あとを家宰に任せたとのこと。

 オレールはその男を、家宰室に伴ってきた。

 久しぶりの侍女服を着て、私はそこで茶の用意をするヴェロニクを手伝っていた。

 椅子に座らせ、オレールはそのファビアンという男を労う。


「お疲れ様。早馬を飛ばして、疲れたでしょう」

「ええ、まあ。なかなかの強行軍でした」


 ファビアンの正体は、現フラヴィニー侯爵領代官所の副官だ。



   ***


7月25日に拙著が発売されます。

「赤ん坊の異世界ハイハイ奮闘録3」

 KADOKAWA「MFブックス」レーベル

 著者名 そえだ信

 イラストはフェルネモさん

となっております。


 どうかお買い求めお願いいたします。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る