9 侯爵令嬢、提案すること【12歳――あと3年】
ふと気がついて、私はオレールの顔を見直した。
「こんな気象が原因の不作って、初めてってことはないんじゃない? 過去にどう対処したかっていう記録はないの」
「それがどうも、見つからないのです。少なくともフラヴィニー侯爵家の領地としてからは、例がないようで」
「あ、そうか……」
今の領地は三十数年前、祖父の代に領地替えで得たものだ。以前はもっと南方の小さな領地を保有していたのだが、祖父が隣国との戦争で功績を挙げ、大きな土地に替えられたという。
北東の森や山地には魔物の出没が多いし隣国の侵攻も考えられる位置どりなので、国防の要所を任せるという意味合いもあったようだ。
今年はそれからの三十年余りで例を見なかったほどの異常気象、ということになるらしい。
「そうでなくてもこの国、そういう記録を残す習慣に乏しいものねえ」
「さようでございますな」
「あ、でもそうすると――」
「何でございますか」
「過去に遡ってみると、国にしても各爵領にしても、こうしたことの記録や互いに知識を交換する習慣があまりなかったと言えるでしょ」
「そうですな」
「逆に考えると、何処かでは試されていてもこちらに伝わっていない、作物の栽培や何らかの知識が、まだあるかもしれない」
「うーん、なかなかそううまく――」
「いえ、王宮でお仕事をしていて、ちょっと気がついたの」
「どういうことでしょう」
「確か二年前、南のロンデックス侯爵領で、植物を原料とする紙の生産方法が開発された」
「ああ、そうでしたね」
「まだ生産量は少ないし高価なのでそれほど一般に普及していないけど、王宮の中では使用が増えているようなの」
「そうなのですか」
「使い出すと、今までの板や木の皮より便利で使いやすいようなのね」
「はい」
「それを使っている方面では、以前より記録や通信の習慣が盛んになってくると考えられるでしょ。実際叔父上のところで処理を任されている資料にも、複数の領の生産品に関する情報が多く入っている。つまり、以前よりそうした知識は探せば見つかる希望があるかもしれない」
「なるほど。探してみる価値はあるかもしれませんな」
「王宮の中で何とかならないか、当たってみようと思う」
「はい」
王宮での執務手伝いをするようになって一年以上が過ぎ、かなりその周辺の状況に慣れていた。
最初の頃は叔父の同伴で往き来していた執務棟も、一人で出歩くことが多くなっている。
特に叔父の直接の上司に当たるルブランシュ侯爵の部屋には毎日出入りして、請け負う仕事の指示を受けている。最近はこの程度の移動も叔父は面倒がり、私に丸投げなのだ。
翌日の午後すぐ、前日預かっていた資料のまとめが終わった。
もう慣例で居眠りをしている叔父に確認することもなく、ルブランシュ侯爵の部屋に運んでいく。
侯爵に挨拶をしていると、こちらも顔馴染みになっている文官のディオンがいつになく忙しげに「ちょっと待ってな」と手早く机での書き物を少し進めてから、立ってきた。
私が抱えた板の束を受け取り、簡単に確認する。
「うん、確かにできているようだね。相変わらずマルスの字は綺麗だ」
「ありがとうございます」
次の仕事分を受け取り、いつもはそれで退室するのだけど。
机に戻った文官が忙しそうなのに比べて侯爵はさほどでもなさそうに見えるので、駄目で元々、頼んでみることにした。
「あの、侯爵閣下、お願いがあるのですが」
「何だ」
「このところ、お預かりする資料の整理をまとめる形式が様々になっているものですので。すでに出来上がっている資料をいくつか、参考のために見せていただくことはできないでしょうか」
「ほう」
「もちろん内容をつぶさに見る必要はありませんので、形式だけでもざっと分かるように、と」
「ふうん。いいだろう」
頷いて、侯爵は文官に顎をしゃくった。
まだ忙しげな作業を再開していなかった文官は、すぐに立ち上がった。
「こっちに、いくつか残してあるよ」
「ありがとうございます」
指し示された部屋の隅の本棚には、筆記板と紙の束が十数冊分並べられていた。
いつも請け負っている資料と同様に、何処か別の人がまとめたものらしい。
「すぐ済ませますので」
「うん」
文官は頷いて、やはり気忙しそうに席に戻っていく。
資料を開いて、立ったまま順に目を通していった。一冊一チールもかけていないので、傍目には内容まで頭に入れているとはとても思われないだろう。
それでも私は加護のお陰で、その程度の速読で必要な情報を見つけ、記憶することができる。
全冊に目を通して、いくつか役に立ちそうな情報を得ることができた。
最後の紙の冊子を棚に戻していると、侯爵が文官にかける声が聞こえた。
「間に合いそうか」
「いえ、申し訳ありません。これ無理ですよ」
「無理と言っても、今日中に写し終わらねばならん」
「殺生ですよ」
ちらと見ると文官が取り組んでいる作業は、そこそこ分厚い紙の書物を同じく紙に書き写すことのようだ。まだ手をつけたばかりらしく、最初の数ページだけが捲られている。
「人間業じゃ不可能ですって、こんな量を今日中なんて。夜っぴて書き続けても、朝までに終わりません」
「ううむ」
腕を組んで、侯爵は唸っている。
さも困惑したようなその様子に、思わず声をかけていた。
「あの、写本のお仕事ですか?」
「ああ、そうだ」
「よければ、お手伝いしましょうか。書き写すのは得意なので」
「ううむ……」
「いや、しかし」
やや考え込む主人の傍で、文官が首を振った。
「分担してできれば助かるんだが、これは難しいんだよ。元の本がしっかり綴じられていて分けることができないから、一度に読むのは一人ということになる」
「ああ」頷いて、私は書物の厚さを目測した。「でもたぶん、その厚さなら私一人で夕方までにできると思います」
「本当か?」
声を上げ、文官は主人の顔を見る。
ううむ、とまた唸り、侯爵は顎を撫でた。
「確実にできるか?」
「その――もしできなければ首を刎ねる、と言われるとご遠慮しますが」
「さすがにそこまでは言わんが」
「旦那様、少なくとも夕方までに私がするよりかなり量がこなせるというなら、残りは徹夜してでも私が終わらせます」
「そうか。原本は明朝返却せねばならんからな」
頷き、唸り、首を傾げ。それから侯爵は私の顔を見た。
困ったような苦笑のような、妙に入り混じった表情になっている。
「ならば君に頼みたい。
「畏まりました」
「本来のフラヴィニー卿に預ける仕事は、明日でもいいからな。今日はこれに集中してくれ」
「はい」
本来の仕事の筆記板と今回の書物、必要な紙の束を抱えて、部屋を辞する。
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