8 侯爵令嬢、知恵を絞ること【12歳――あと3年】

「税率を上げて取り立てられて、それで農民は生きていけるの? 小麦が不作というのなら、ただでさえこれから冬にかけて食べるものに不自由するんじゃないの?」

「当然そう予想されます」

「それでもうちの領主様は、領民から絞りとれと?」

「はい。農民は生かさぬように殺さぬように、というのが鉄則だと」

「殺さぬようにって――現実、生きて冬を越えられそうなの?」

「詳しくはこれから分析しますが、難しいかもしれません」

「じゃあ、どうなるの」

「北方の農民にとっては、飢え死に覚悟で堪え忍ぶか、村を捨てるか、一揆を起こすか、という選択になるでしょう」

「はあ……」


 フラヴィニー侯爵領は、国の中でもかなり北に位置する。領民の八割以上が農民、その他では木工職人が少し多いかという、山と耕地ばかりの地域だ。

 領都まで、王都から馬車で五日ほどかかる。

 幼すぎて記憶もかなり曖昧だけど、ずっと昔父と二人だけで領地へ出かけたことがあった。

 四歳になったばかりくらいだったはずだ。初夏の頃で、美しい緑の畑と陽気に働く農民たちの姿が印象に残っている。


「ここで採れる小麦などの農作物が、国中の人の役に立っているのだ。この農民たちが誇りを持って喜んで働ける土地を守るのが、我々の責任なんだよ」

「しゅごい」


 もちろん正確に覚えているわけじゃないけど、そんな意味のことを誇らしげに話していた父の姿が、思い出される。

 そういう領主の意思を継承するのが、跡継ぎの責務だと思う。

 綺麗事だと言われるかもしれないそんな思いを別にしても、ここで多くの農民を死に追いやることになったら、領地の存続の問題になりかねない。

 農民一揆で影響が広がることになって、領地を国に召し上げられた実例が、過去あったはずだ。

 手前勝手を言わせてもらえば、私があと何年この家にいられるかは分からないけど、その前に領地没収や爵家の取り潰しになってもらっては困る。


――少なくとも、あと数年はってもらわないと。


 溜息をついて、私は家宰の顔を見直した。


「何か、とれる手立てはないの」

「領主が救済のための予算を使わない、むしろもっと絞りとる、という判断の中ではとても――」

「だよねえ」

「しかも実は、さらに頭の痛い問題がありまして」

「え」


 初老の家宰のしかめた顔を見て、「これ以上聞きたくないなあ」という気になってしまう。

 とはいえ、ここまで聞いてやめるわけにもいかない。


「……何なの」

「領地の実務は、代官に任せているわけですが」

「そうだよね」

「今の代官が高齢の上、今年の状況を悲観して、辞意を伝えてきておりまして」

「わ」

「年齢の問題でしばらく前からそういう意向を申し出ていたのですが、ここに来てすっかり心折れてしまったようで」

「……叔父上は、何と?」

「旦那様と言うより奥様が、それなら実家に後任の者を紹介してもらおう、と」

「ああ」


 母の実家はジェデオン子爵家というのだけど、ふだんは「私は侯爵家の人間だから」とほぼ見下すような様子で、ほとんど交流を持っていない。

 ただ新しい使用人が必要になった場合に限って、兄である子爵に文を送って紹介を請うているらしい。

 父の死後かなり屋敷の使用人は入れ替わったけれど、新しく入ってきた者はほぼ全員そういう伝手つてだ。

 母にとって実家にほとんど思い入れはないが、そういう信頼に近いものを持てる先は他にないということらしい。


「使える人材を紹介してもらえそうなの?」

「今までの例を見る限り、何とも……」

「だよねえ」


 子爵家の方でも、周囲の適当な人間をただ侯爵家に紹介するという旨味だけでこれを請け負っているのではないか、という疑いは晴れない。

 今まではもっぱら侍女や下働きなどの紹介で、それほど傑出した人材が求められていたわけではない。それにしても、指導などを引き受けるオレールやヴェロニクにとって、溜息をつきたくなる現状だったという。

 今度は、領の経営を一手に担う重責なのだ。試しにやらせてみて実力不足、はい残念でした、では済まない。


「他に次期代官として相応しい人材はいないの? オレールに心当たりは?」

「順当なところで私も何度か会ったことがありますが、現在の代官の副官はそれなりに経験も知識もあります。引き継ぎも無理なくできるはずです」

「それなら、それでいいじゃない」

何分なにぶんにも、奥様が実家の伝手にこだわっていらっしゃいまして……」

「いやいやいや」


――そんなこだわりを強行する現状じゃないでしょ!


 声を大にして、言いたい。

 しかし、オレールの提言も聞き入れないというのだ。誰が何を言っても、無駄というものだろう。

 母がこういう主張をし出すと、これまで叔父は反対したためしがない。そもそも暫定爵位という始まりから、家の運営にたいした思い入れがないらしい。


「そもそもその紹介を受けてくる人物に能力がないと決まったものではありませんし、こちらの副官に任せてうまくいくという保証もないわけで」

「それは、そうだけど」


――それを言っちゃあお終いだ、というレベルの話だ。


「でも少なくともその副官の方が、オレールから指示を出したとして伝わりやすいということになるんでしょう?」

「それはそういうことになりますな」


 叔父や母から出るのは「税率を上げて絞りとれ」程度の大雑把な指示だけだ。

 現在の事態を真剣に考慮して乗り切ろうとするなら、オレールからの伝達が正確に伝わるようにする他はない。

 うーん、と頭を抱えて。

 しかしオレールにできないことが、私にできるはずもない。


「とにかく真っ先に考えなきゃいけないのは、不作地域の農民たちを飢えさせないこと、だよね」

「ですな」

「何か、方法はないの」

「現在の代官も知恵を絞っていますし、こちらでも考えているのですが、何とも。他に当てになる農作物などがあるのなら、もっと以前から試しているわけで」

「だよねえ。実際その地域では、小麦の他に何が栽培されているの」

「小麦に似ていますが利用価値の低いナガムギとか、あとは豆類ですな。その他に多少青物野菜があるようですが、どれもすべて小麦と同様不作のようです」

「冷害のせいで?」

「はい。皮肉なことに、夏の終わりに来て多少日照も低温も回復を見せているとのことですが。これから雪が降るまで二ヶ月程度で、この不作分を取り戻す作物の栽培は難しいかと」

「うーん……」


 頭を、抱えてしまう。

 いや、こんな12歳児が知恵を絞ったとして、何の足しになるとも思えないんだけど。

 この現状を捨て置くわけにはいかない、ここで目を逸らしたら絶対後々に悔いが残る、と何処かから囁きが聞こえてくる思いなんだ。



   ***


7月25日に拙著が発売されます。

「赤ん坊の異世界ハイハイ奮闘録3」

 KADOKAWA「MFブックス」レーベル

 著者名 そえだ信

 イラストはフェルネモさん

となっております。


 どうかお買い求めお願いいたします。


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