7 侯爵令嬢、驚愕すること【8歳~12歳――あと7年~3年】

 こうして私が夜に仕事だと家宰室に呼ばれるようになったのは、六年ほど前からのことだった。

 母の指示で徐々に邸内での私の扱いが低められ始め、使用人と同様になってきた。どうかすると与えられる食事が使用人以下ということも多くなって、家宰と侍女頭が見かねたということになる。

 ある夜、厳しく冷たい表情のヴェロニクが「仕事があります、来なさい」と呼びに来て、家宰の待つ執務室に導かれた。

 昼間の侍女仕事で疲れ空腹も満たしきれていない私は、諦めきった思いでとぼとぼとそれについていった。

 いつもにこりともしない侍女頭のキビキビした足どりの後ろ姿は、母や妹の意向を反映すべく、私を限界まで働かせる気満々のようにに見える。


――はいはい、何でも仰せに従いますよ。


 しかし。

 厚い扉を閉じるや二人の表情が変わり。

 長椅子に座らされ、私の前に足りない分の食事と菓子が供された。

 思いがけない饗応に、まだ8歳だった私は呆然とそれを眺めるだけだった。


「どうぞ、お召し上がりください」

「いいの? 母上に叱られるんじゃない?」

「お嬢様には、これを召し上がる権利があります」


 ぴしり、とオレールが言い切った。

 さらに促されて、私は怯えた手にスプーンを握った。

 久しぶりに八分目程度に満たされて、お腹がほんのり温かくなる。


「二人はもっと怖くて、決まり事に厳しいと思ってた」

「そうですか――いや、そうでしょうね」


 子どもの素直さであからさまに言葉にすると、年輩家宰の顔は苦笑いになった。

 妻と顔を見合わせ、肩をすくめてみせる。


「いえ、お嬢様のお思いの通りで、まちがいありませんよ。私ども二人は先々代の侯爵閣下、お嬢様のお祖父様にお世話になった恩がありますし。人にどう思われようと、この侯爵家のために身を捧げる所存です」

「なら、母上や叔父上の言いつけに逆らったら――」

「今の旦那様は正当な暫定爵位継承者ですので、必要なお申しには従います。けれど、本来の次期継承者はマリリーズ様です。これをないがしろにすることは決してできません」

「わ」


 こういう言い方をされたのは初めてで、私は目を丸くしてしまった。

 以前はこちらが幼かったこともあり、「本来の次期継承者」などという呼称、父の死後直接耳にした記憶はなかった。


「でもそんなこと言ったら、二人の立場悪くなってしまうよね」

「そうですね。いえ私どものことはどうでもいいのですが、この思いが知られたらおそらく、一切マリリーズ様に関わらせてもらえなくなるでしょうし、最悪もっとマリリーズ様の扱いが悪くなることが予想されます」

「だよね」

「ミュリエル様はとにかく、マリリーズ様を使用人のように扱うことで満足なさっているようです。旦那様と奥様はそうしたミュリエル様のご機嫌が最も大切なのでしょう。申し訳ありませんし私どもも身を切られる思いなのですが、当分は外見上マリリーズ様に現状で辛抱していただくしか方策をとれませぬ。口惜しい限りですが、お身体などに実害のないよう、陰から気をつけて見守らせていただくのが精一杯でございます」

「うん」

「今のままで機会を窺い、マリリーズ様の権利回復の方策を探るというのが理想なのですが。正直を申しまして、これはかなり困難と思われます」

「だろうね。出生届けだっけ。あれがある限り?」

「はい。例え偽りであろうが王室に受理されてしまっている以上、すべてあの記述をもとに判断されます」

「つまり、次期侯爵位はミュリエルで、動かない」

「そうなります」


 眉をひそめ、唇を噛みしめ。白髪の家宰はいかにも断腸という思いを貌に表していた。

 その妻も、ふだんの冷ややかな厳しさと裏腹に、沈痛の色で両肩を落としている。


「ですので現実私どものできる先の目標は、マリリーズ様が成人の暁に一人で身を立てることができるよう、お助けすることと思っております」

「うん、それ助かる」

「正直なところ、このままミュリエル様が成人して爵位を継がれることになれば、その際マリリーズ様はよくて放逐の扱い、ということになると思われます」

「だよね」


 ミュリエルが侯爵位についた瞬間、私のスペアとしての意味はなくなるのだ。

 次の継承順を考えると、直系優先の原則から、私は楽観的に見ても以前の叔父と同じ程度の立場になる。妙な話に思えるけど貴族界の常識として、例え養子であってもミュリエルの子という立場の者の方が継承順は上になる。

 もしミュリエルが子をなす前に事故などで死亡したとしたら、母は強引に実家の血縁者などを養子に仕立てて、継承させる策をとるだろう。とにかくあの人は、父に似て可愛がられていた私を利するつもりはないようなんだ。

 そう考えると爵位継承後、ミュリエルが私をこのままにしておくはずがない。オレールの言う通り、放逐が最も妥当と思われる。世間に知られずこっそり葬り去る気を起こすことだって、最悪考えられなくはない。


「私どもの力が足りず申し訳ございませんが。当面表立ってのマリリーズ様のお立場は変えず、できるだけ夜のこの時間この部屋にお越しいただいて、栄養補給と必要な勉強をしていただくのが最善なところと存じます」

「分かった」


 この二人に、負担をかける。

 そこは重々承知しながら、幼い子どもの身、他に選択の余地も見出せないのだ。

 言われる通り知識などを身につけて独り立ちを目指すのが、最もこの恩に報いる道だと思われる。


「よろしく、お願いします」

「そんな、頭を下げないでください」

「微力ではありますが、マリリーズ様の行く末を見守るのが私どもの最後の生きがいなのですよ」

「……うん」


 翌日から同じ夕食後の時間、私は家宰室で夜食をとりながらオレールを教師に勉強することになった。

 この時間帯、母と妹は夜会、叔父は遊興のため外出していることが多く、私やオレール夫妻に呼び出しがかかることはまずない。

 侍女たちに私が夜にも働かされているというように思わせておけば「いい気味」と満足されているし、そのまま妹にそのような情報が伝わってあちらもそれなりに喜んでいるだろう。

 オレールの指導は読み書き計算の基礎から始まったけれど、すでに家庭教師からある程度習っていて、理解が速いと感心されている。

 そのため、指導内容は国の歴史や地理など、一般国民にとっても貴族にとっても欠かせない常識を身につける目的になった。


 学習は、順調に進む。

 二年後に加護の結果が出ると、二人とも大いに喜んでくれた。

 貴族としては微妙だが、これで独り立ちの際に就職先を見つけやすくなる。商会などの事務仕事なら、喜んで迎えられるだろう。

 この頃、娘二人の家庭教師が外された。ミュリエルが学院に行くことになったから。

 私が王宮に連れていかれ、屋敷の執務室でも働くようになると、やや置かれた状況は変わった。それでもやはり、家宰室での夜の勉強は続けられる。

 ちなみに執務室で叔父は重要書類を私から隠そうとしているけど、簡単に見ることはできるにせよ、無理をする必要はない。

 そのような書類は一度オレールが整理してから、叔父のもとに運ばれる。私は家宰室で事前にそれを見ることができるのだ。

 そうだとしてもそれまで私は、深く首を突っ込むつもりはなかったのだけれど。

 そうした手伝いを始めて一年あまりが過ぎ、王都も夏の終わりを迎えた頃だった。

 王宮での事務仕事にも慣れ、家宰からの教育でそこそこ領地運営の姿も見えてきていた、という状況で。

 何の気なしに叔父の手元にある文書を覗いてしまって、大いに気になってきた。

 その夜家宰室に赴いて、私はオレールに尋ねた。


「領地で、小麦が不作なの?」

「ああ、はい。北の方では間もなく始まる今年の秋の収穫が昨年より三割減の見込み、と報告が来ています」

「原因は?」

「この夏の低温や日照不足のため、ということですな。北方がかなり深刻なのですが、その他の地域でも平年並み以下ということになりそうです」

「大変なことだよね。農民は収入減? 領主にとっても税収減になる?」

「そういうことになります」

「領としての対策は? 叔父上はどう言っているの」

「それが……」家宰は顔をしかめた。「税率を上げて、領民から取り立てよ、と」

「はあ?」


 思わず、私は素っ頓狂な声を上げてしまった。



   ***


7月25日に拙著が発売されます。

「赤ん坊の異世界ハイハイ奮闘録3」

 KADOKAWA「MFブックス」レーベル

 著者名 そえだ信

 イラストはフェルネモさん

となっております。


 どうかお買い求めお願いいたします。


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