6 侯爵令嬢、警戒されること【10歳~14歳――あと5年~1年弱】
この日始まった習慣が、その後四年間ほぼ変化なく続いた。
叔父の王宮での執務は私が加わった――と言うより事実上私一人で請け負うようになった――ことで能率は上がったようだけど。その分上から指示される仕事の量は多少増えたものの、質的にほとんど変化は見られない。
つまり事務処理能力はやや向上したと認識されたとはいえ、それ以上責任を持たせるほどの評価は得ていない、ということだろう。
本人にもたいした向上心はないようで、執務室で事務仕事を子どもに丸投げして、自分は居眠りしたり娯楽用の読み物を見たりしている。楽ができればそれだけで満足、ということらしい。
暦上、六日で一週間が回るわけで、叔父は週に四日王宮に通い、残り二日は屋敷で自領に関する仕事をするか休むかということになる。
邸内の執務室でも、私は事務手伝いをさせられることになった。
ただ、少し要領は異なる。簡単に言って、仕事を丸投げされるということはない。
侯爵家当主が目を通すべき書類などは、家宰のオレールがまず整理して運んでくるわけだけど。
「こいつには見せるな。こっちに置け」
「承知しております」
といったやりとりをしている。
侯爵家に関わる書類等は、私に見せない。単純に計算や内容整理、清書などが必要なものについてだけ、処理を任せてくる。
理由は明らかだ。
家や領地に関わることについては、叔父と私で利益相反の事情が生じるものがある。
一方で、私には書類改竄のできる能力がある。
例えば当主の受けるべき利益について、気がつかないうちに次期当主候補の私に流れるように、書き換えてしまえるかもしれない。そういう恐れを抱くことになる。
というわけで、根がズボラな叔父もそれくらいは用心を考えるらしいのだ。
さすがに王宮で処理を任されているような中央政治に関する資料で、私有利に書き換えるようなものの存在は考えられない。ということで、向こうは丸投げでも構わない、と判断される。
叔父なりに、頭を回しているということだろう。
「これは、見せられないな」
じろり書類を一瞥し、ふつうなら私が判読できない距離をとった机で、さらに熟読を進めている。
小心と言うか、慎重と言うべきか。
しかし、困ったことに。
――それでも、読めちゃうんだけどね。
ここまでは叔父たちにも知られないようにしているけれど。
同じ部屋の中などで、少しでも目に入る程度の書類であれば、私は読むことができてしまうのだ。当然、加護『ブンカン』の能力だろう。ふつうなら文字が小さな点程度にも見えない距離であっても、だ。我ながら、驚いてしまう。
だから、今叔父が最大限気を遣って隠しながら読んでいる書類も、ちらり表側が見えた一瞬だけで、一面すべて判読できている。
さすがに何枚も重ねた下の方の書類や、箱などに収めたものは無理だけど。少しでも表面が曝されたとしたら、同室内のものはすべて私の頭に入っている。ちなみにこれも加護のお陰と思うけど、そうしたものの記憶力も、人並み外れているみたいだ。
――だからといってここでその内容をどうこう言ったり、改竄を企んだりする気はないけど。
というわけで。
加護を賜った四年前。それから数ヶ月後始まった、男装と事務処理手伝いの日々。
それが基本そのまま、多少紆余曲折は加わったものの、現在まで続いているわけだ。
少なくとも、叔父たちの目に入る範囲内では、変わることなく。
そうして、バダンテール侯爵家次男なる人から成立の気配もないうちに婚約拒否を言い渡された、この日。
屋内用の男装に戻って、私は疲れた息をついていた。
屋敷の中でも外でも男子用服装にすっかり慣れてしまったけれど、さすがに最近はそういうばかりでもいかなくなっていた。
貴族子女たちは、およそ13歳になるとふつうに夜会などに招待されることが多くなる。
我が侯爵家の場合はこれまでもっぱら公称長女がそうした招待に応じ、公称次女はできるだけ外に出さないようにしてきた。
しかし王室に提出した出生届けで13歳を超えた計算になっていると、すべて拒絶するばかりでは済まなくなっているのだ。
そのため母も観念して、絶対断ることができない会に限り私を出席させることにした。それも必ずミュリエルが傍について、私にはよけいな発言や行動をしないようにと念を押した上で。
私にしても進んで人前に出たい気はないのだけど、そうした事情で一年少し前からときどき妹に同伴することを余儀なくされていた。
――面倒臭いったらありゃしない、んだけど。
おおよそのところ、母と妹はそうした集まりに毎月数回出ているけど、私は月に一回あるなしという頻度だ。
そうした関係で、ドレスなぞを着る機会が時おり訪れているのだけど。困ったことに。
――今となっては男子用服装の方が、落ち着きがいいんだよなあ。
ベッドに腰かけて少し息を落ち着けていると。
コンコンと、扉が叩かれた。
開くと、いつも変わらず冷ややかに表情を固定した侍女頭のヴェロニクが立っていた。
「家宰室で仕事があります。来なさい」
「はい」
隙のない侍女仕事着の背に従っていると、何処かでくすくすと忍び声が聞こえた。
若い侍女たちが覗いて、笑っているのだろう。
「こんな遅くなって、まだ仕事だって」「いい気味」などという声が聞こえてきそうだ。
侍女頭に倣って、無表情の聞こえないふりで足を進める。
女子使用人室の棟と男子棟の中間に家宰と侍女頭夫妻の部屋があり、すぐ向かいが家宰室になっている。当然ながら家宰オレールの執務室だ。
ここに夜呼ばれるのがほぼ毎日の習慣のようになっていて、慣れた足どりのまま扉をくぐる。
しっかり厚い扉を閉じ、ヴェロニクは奥の給湯所へ進んでいった。
執務机の前に座ったオレールが、温和な顔を上げた。
「お疲れ様でした。慣れない夜会で、大変だったでしょう」
「うん」
「今日は少し寒かったのではないですか。これで温まってください」
「ありがとう」
私が長椅子に腰かけると、ヴェロニクはお茶とクッキーを運んできてくれた。
菓子を一口、熱い茶を飲んで、私はほうと息をつく。
「うん、おいしい。温まる」
「それはようございました」
部屋の外とはうって変わった柔らかな笑顔で、ヴェロニクは脇の椅子に腰を下ろす。
私の表情を確かめてやや安堵を見せ、それがまた少し引き締められた。
「それにしても、ミュリエル様が侍女たちに楽しそうに話してましたが。マリリーズ様が婚約破棄されたんだと」
「正確には、意味がずれてるよね。一度決まっていた婚約が覆された、というわけじゃなし。それにしても、驚いた。親たちが婚約なんて持ち出したわけじゃなく、本人たちも話題にしたことさえないのに、拒否します、破棄された、なんてことにできるんだね」
「ふつうに、あり得ることではないと思いますが」
「あの子やあの男が住むみたいなお気楽世界でしか、あり得ないよね」
「でしょうねえ。それにしてもそれで、世間の話題にだけなってマリリーズ様の評判が落ちるのでは」
「今さらいいよ、それくらい。ミュリエルの気が済んで、少しでも静かになってくれれば」
「その程度も、期待できないのでは?」
「そうかもしれないけどね。まあいいよ。オレール、領からの返事は来た?」
「夕方、鷹便が着いております」
机の上から、家宰は文字の書かれた薄い木の皮を持ち上げた。
表情を見ると、悪い内容ではないらしい。
「首尾は?」
「上々のようです。無事、質のいい鉄が採れたと」
「よし!」
私は、拳を握った。
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