2 侯爵令嬢、長女の座を奪われること【4歳~10歳――あと11年~5年】
私は一人、一階奥に進む。
厨房を過ぎてさらに奥まった女性使用人用の小さな部屋の並び、そのいちばん手前が私に与えられた部屋だ。
ほとんどの使用人は二~三人部屋だが、一応侍女頭に次ぐ最年長侍女と私は、一人部屋に収まっている。
扉を閉じると、寝台と小ぶりのクローゼットしか置かれていない狭い部屋で、男性使用人用の屋内着に着替える。
半月からひと月に一度だけ使用するドレスを丁寧に整え、クローゼットに収める。明日はこれを洗濯しなければならない。
夜会帰りとはいうものの、この時刻、まだ仕事をしなければならないことになっている。
その呼び出しが来る、まで。
ぽすんとベッドに転がり、私は息をついた。
「疲れた……」
思わず、呟きが口をついた。
夜会の日は、ふだんのような頭や体力を使う業務とまた違った疲労が残る。
理由は分かっている。いつもより長時間あの妹と顔をつき合わせることと、慣れない貴族社会の目に曝されることだ。
ミュリエルについて、私は『妹』『長女』と認識を続けている。
別に、言いまちがっているわけでも、認識が混乱しているわけでもない。
真実としてミュリエルは私の妹だが、公には『長女』、私が『次女』と登録されているのだ。
私は十四年前、フラヴィニー侯爵家当主である父と正夫人の母の間に第一子として生まれた。
赤みを帯びた薄茶の髪が代々の家系の特徴を引き継いでいることもあり、父に大いに可愛がられた。
片や母親の方は、あまり大きな執着を寄せなかったらしい。
一年後に、妹のミュリエルが生まれた。
母はこの娘に愛情を傾け、片時も傍から離さず可愛がったという。
簡単に言うと、長女は父親から、次女は母親から、偏愛と言えそうなほどの扱いを受けて育てられた。
それだけならまあ、お互い五分五分、痛み分けといった状況とも言える。
問題は、私が4歳のときに起きた。
領地を訪れて王都への帰途に着いていた父が、馬車の転落事故で死亡した。
悲しみに暮れている暇もなく、侯爵家としては後継を決めなければならない。
父には、娘が二人と弟が一人いた。
私にとって叔父に当たるアルバンは、先代侯爵の次男としていわゆる無為徒食でずっとこの王都屋敷で暮らしていた。まあ言ってしまえば、こうした非常事態に備えた当主のスペア要員だ。
このアセルマン王国の王族貴族の常識で、当主は原則直系子女が継いでいくことになっている。一応男子優先だが、女子も爵位を継ぐことができる。
つまりこのため、我がフラヴィニー侯爵家での爵位継承順は、長女、次女、弟、ということになる。
ただこれも慣例で、実子が未成年者だけなら、成人するまで他の血縁者に暫定的に爵位を継がせることになる。これは正式に王室に届け出て、実子の成人の際に王家立ち会いのもと必ず爵位が受け渡される。
こういう慣例に従い、父の死亡後、長女の成人まで暫定的に叔父が侯爵位を継ぐことになった。長女の私が4歳だったので、15歳成人までの約十年強の期間、ということになる。
――ここまでは、問題ない。
これも貴族社会ではよくあることだが、父死去の喪が明けて、母は叔父と再婚した。つまりその後も侯爵正夫人の身分が続いているわけだ。
問題は、その後だ。
貴族家に生まれた子女について、習慣としておおよそ5歳前後になった時点で王室に出生届けを出す。幼児の死亡率が高いことからの慣習だ。
前述した「爵位継承は直系優先」「成人まで暫定爵位」などといったことの正統性の判断は、すべてこの出生届けを基準とする。
母と叔父の再婚直後、長女が5歳になるということで、この届けがされた。
それが。
【長女ミュリエル5歳、次女マリリーズ4歳】
という内容になっていたというのだ。
当時から妹は同年齢児に比べて身体が大きく、この記述で違和感は生じなかったらしい。
以来。
ミュリエルは長女として母と叔父から寵愛を受け、私はほぼ放任されることになった。
ただこの時点で、完全に貴族子女扱いを放棄されたわけではない。
新しい侍女一人がつけられ、元からの部屋を出入りすることができなくなった。
母と叔父と妹は一緒に食事をしているようだけど、私はいつも部屋に運ばれるものを一人でとる。
母は以前からだが、叔父も不思議に思えるほど妹を偏愛している。
二人とも疑問なく、ミュリエルに侯爵位を継がせて自分たちは楽隠居の身分になる、と確信し決めつけているらしい。
――何と言うか、怪しいんだよなあ。
母が父のことを「政略結婚で愛情は感じていない」というのは、何処かの機会に耳にした。実の娘として、両親が親しく話をする様子を見たことがない。
それに比べて、再婚後の二人はふつうの夫婦らしく見える。
叔父は、母がこの屋敷に入ったときからずっと同居していた存在だ。
もっと若い頃は複数の侍女に手をつけ、先代侯爵が金を払って堕胎させたことも何度かあったとか。
――何があっても、不思議ではない。
それはともかく。
当時の私の状況説明に戻ると。
4歳になった頃から通ってきていた元伯爵夫人だという行儀見習いの先生が、外された。
その他にも、屋敷の使用人がかなり入れ替わった。
おそらく、長女次女の真実を知る者が遠ざけられたのだろう。
元から母についていた信頼できる面子を除いて、ほぼ顔ぶれが変わったようだ。
以前から残っているのは、他に家宰のオレールと侍女頭のヴェロニクだけ。ちなみにこの二人は夫婦だ。
想像できるところで、叔父も母も侯爵家にまつわるいろいろな執務を理解できていなくて、この二人がいなくては家が回らなかったということか。なお、その事情は現在に到ってもたいして変わっていない。
――現侯爵夫妻二人とも、家や領地やの経営の勉強などする気はないみたいだからなあ。
それでもこの二人は
また、かなり扱いが悪くなったとはいえ私が娘として残されていたのは、これも言ってみれば妹のスペア要員としてか。
長女にもしものことがあった場合仮に他の実子がいなかったとしたら、叔父は爵位継承候補にはなるが直系という条件を外れるため、かなり厳しい資格検査が課せられるらしい。そのまま不適合で家のお取り潰しに到る可能性もかなりあるようだ。
まあ他の理由として、少なくとも次女として王室に届けられているのだから、こっそり私をどうかするのもそれなりに難しいということにはなる。
その辺の事情が伴ってのことだろう。それからしばらくして、家庭教師がつけられることになった。後から聞いた話ではどうも、オレールが叔父に進言した結果らしい。仮にも次期当主候補に、まったく教育を施しておかないというわけにはいかない。
母の実家である子爵家の
なおこの勉強に間しては私の方が理解が早いので妹が不機嫌になっていたが、幼年期の一歳の違いは大きいのだから仕方ないだろう。言わせてもらえば、取り組みの熱心さの違いもある。
ミュリエルはこの頃から気紛れで癇癪持ち、一つのことに集中できない性格だった。
私が自分と同等近く扱われていると妹が不機嫌になるので、母の采配で徐々に生活が変えられていった。
専属の侍女はつけられなくなった。
少しずつ、使用人の仕事を言いつけられるようになった。
部屋も現在の、使用人領域のところに移された。
食事も使用人と同じ扱いだ。
それでも家庭教師との勉強だけは続けられたのは、やはり万が一のスペアの必要を考えてのことなのだろう。
さらに待遇が変わったのは、私が実年齢10歳になったときだった。
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