妹に長女の座を奪われた侯爵令嬢、『文官』加護で領地を立て直す

eggy

1 侯爵令嬢、婚約破棄(?)されること【14歳――あと1年弱】

「フラヴィニー侯爵家息女マリリーズ、お気の毒だが私に貴女と婚約する気はない!」

「は」

「期待を持って付きまとっていたのだろうがね、もう私の傍に寄らないでくれ」


 そう告げると、バダンテール侯爵家次男ベルトランはくるり踵を返した。

 金髪優美な面持ちの青年、その白い正装の背がゆっくり遠ざかる。

 ひととき音を失くしていた会場に、ざわざわとさざめきが蘇る。

 哀れみか蔑みか、判別はつかないながらどれも似たような多くの視線が佇む私の赤らんだ前髪辺りをよぎり、逸らされていった。


『予想していた通りね』

『ベルトラン様とはまるで不似合いなのに、このところずっとべたべたまとわりついていたものね、あの陰気な女』

『誰だい、あの女は』

『フラヴィニー侯爵家の次女だって』

『あの華やかな姉と血が繋がっているとは信じられない、風采の上がらない令嬢よねえ』


 離れて、こちらに聞こえないつもりかあえて聞かせるつもりか、それこそ聞こえよがしのひそひそ声が交わされている。

 詰まるところ私は、このダンドリュー公爵家主催の夜会で、噂好きの雀たちにこれ以上ないほどの美味な餌を提供したことになる。


――ご満足ですか、高貴なご趣味の方々。


 その人々の満足を損ねない程度にとぼとぼと、私はさざめき声から遠ざかる方向へ足を向けた。

 すぐに大きく開かれたガラス戸を抜け、日が落ちて薄暗い庭に出る。


『風采の上がらない令嬢』


 そう評されるに相応しい若草色のドレスは古びて、ろくな装飾品もついていない。昼間は彩り鮮やかな花が咲き誇って見える花壇の縁を回ると、すぐに小柄な身は闇に沈んだ。

 ようやくぎとぎと脂ぎった会話の声から離れて、空気の肌触りが落ち着く思いになる。


――しばらくこの辺に身を潜めていたい、ところだけれど。


 もちろん、招待を受けて記帳も済ませている侯爵息女として、許されることではない。

 加えて、こうしたひとときの安らぎも許すつもりはないだろう、存在を忘れるわけにもいかない。


「やっぱり、こんなところにいた」


 数呼吸を落ち着けるゆとりもなく、予想していた声がした。

 薄い金色の髪に薄桃色のドレス姿の、見慣れた少女が暗がりから顔を出す。


「惨めねえ、ご令嬢マリリーズ」

「………」

「せっかくバダンテール侯爵家と縁ができるかもと喜んでいた、お母様やご当主様ががっかりなさるでしょうね」


――嘘だ。


 母上も旦那様も、そんなことこれっぽっちも期待していたはずがない。

 そんな方向で、私に関心を持っているはずもない。まだ14歳、ほぼ放置を続けている成人前の娘について、縁談のような話が持ち上がった試しもない。

 そもそもあの侯爵ご次男と私が噂に上っているなど、知りもしないに違いない。


「せっかくあたしが友だちにはかって、あの素敵な男性とお近づきになれるようにしてあげたのに」


――これも、嘘だ。


 ベルトランがこのミュリエルの友人の兄だというのは、事実だ。

 眉目秀麗、さかんに浮名を流すことで知られるその男が、二か月ほど前の夜会で私に声をかけ、近づいてきた。

 その後も数少ない私の出先で、毎回親しげに寄ってきた。我が家より名門とされ少し上位に当たる侯爵家の子息を邪険に扱うわけにもいかず、その立ち振る舞いに任せていた。

 それほど親密に人前で並び立つのは、家族以外では婚約者、またはそれを前提とした間柄と見られるのが通例だ。

 人の口にそうした噂が乗せられ始めてきたその矢先、今日の顛末となった。

 始めから終わりまで、このミュリエルが考え戯れ事の好きな友人兄妹に協力させたはかりごとに決まっている。


「何か言ったらどうなの、この陰気女!」

「………」

「姉妹のよしみで、せっかく少しばかりでもいい思いをさせてあげたんだから、感謝しなさい!」

「………」

「ほんとに腹が立つ、この女!」


 キリリと目を吊り上げて、薄桃色のドレスに着飾ったミュリエルの右手が大きく振られた。

 その指先から、真っ赤な火球が生み出され、勢いよく私の顔に襲いかかる。


「キャ!」


 顔の前で手を振ると、火球は粉々に弾け散った。

 小さないくつもの火の粉が、暗い花壇に落ちて消える。

 やや慌てて宴の場の方に目を向けたが、木の陰になっておそらく人の目につかなかったと思われる。

 こんなことでフラヴィニー侯爵家の評判を落とすわけにもいかないので、一応安堵する。


「ふん、いい気味」


 少しは気が晴れたか、そのままミュリエルはドレスの背を向けた。

 私は息を整えながら、我が妹、フラヴィニー侯爵家長女の後ろ姿を見送る。


 少し時間を潰して屋内に戻ると、もう私に関心を向ける視線はなかった。それぞれが新しいゴシップ話に熱中して、聞こえは上品、中身は脂ぎった話題を投げ交わしている。

 ちら、とさっき聞こえよがしの言葉を吐いていた令嬢の目が、私を捉えた。また蒸し返されるかと身構えたけれど、もうそれほどの興味も持たないらしく視線は流れていく。

 やがて、遠くに鐘が鳴った。

 成人前の者たちはそろそろ引き上げる習いの頃合いだ。

 若い令嬢の集団に交じってキンキン声を上げていた薄桃色のドレス姿が、こちらにぎろりと目を向けてきた。

 同じ立場の若い娘たちが、ちりぢりに分かれていく。その一人として、速歩でこちらに寄ってくる。


「ほら、グズグズしていない。帰るよ」

「はい」


 公爵邸前につけられる迎えの馬車は、原則家柄順になる。仮にも侯爵家なのだから、比較的早く我が家の家紋付き車両の戸が開かれた。

 ミュリエル付き侍女のソレーヌが、その傍らで頭を下げる。


「お疲れ様でございます、お嬢様」

「ご苦労様」


 肩をそびやかすような仕草で、ミュリエルは手を支えられて車に乗り込んだ。

 ソレーヌが続いて乗り、私はそれに続く。

 車内には二人並ぶ席が二列前向きに設えられていて、ミュリエルは前の席に一人、私と侍女は後ろの席に並ぶ。

 侍女が声をかけ、御者が馬を進め始める。


「いつもよりは愉快な夜会だったわ。そうじゃない? マリリーズ」

「そうですね」


 低く応えると、妹はふんと鼻を鳴らした。


「いつも変わらず、つまらない女だこと」

「申し訳ありません」

「ふん」


 そのまま、会話は途絶えた。

 隣の侍女も、一度ちらりとこちらに軽蔑めいた目を向けたきり、関心を失ったようだ。

 王都の侯爵邸に着くまで、誰も声を出さない。

 馬車を降りて屋敷に入ると、家宰のオレールと侍女頭のヴェロニクが並んで迎えた。


「お帰りなさいませ、お嬢様」

「ただいま」


 ミュリエルは鷹揚に頷き、私とソレーヌはその後ろで軽く頭を下げる。

 そのままずんずんと奥に進む令嬢の後に、侍女は続いていった。


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