第12話 降嫁の王命
「王女様には、免罪書が完成次第、隣国の領主へ嫁いでいただくことになりました」
次の満月を目前にして、修道院長に呼び出されたヴィオレッタはそう告げられた。
相も変わらず無表情でいる彼女のことなどよく分かっているだろうに、院長は続けて要求する。
「喜びなさい。自由が与えられるのですよ」
冷徹な響きには温かみなど微塵もない。
机上に置いた一枚の紙きれを形ばかり見せてすぐさま手元に引っ込めたのも、王家の印だけは見せてやろうということだろう。
つまり、実際に何が書いてあるか知らせるつもりはないということだ。
「読ませていただけませんか」
ミケーレの言葉を、王家と院長の意図の齟齬の可能性を思い出して提案してみるが、院長はかぶりを振ってそれを机の中にしまい込んだ。
「お相手は国境を治める40代です。正妻と子はいますが、あちらの国では二、三人の妻を持つことは問題にならないようです」
(あちらの国“では”も何も、フルクトゥスの国王がどれだけ放蕩の限りを尽くしていて、女子修道院までもこの婚姻を認めるとか……)
ヴィオレッタは思わず、ミケーレの前でするように顔をしかめようとして何とか思いとどまった。
「これからあなたには温かい家庭と、新しい夫と子に尽くす喜びが待っています。それで十分でしょう」
「……分かりました」
ヴィオレッタは大人しく頷くと院長室を出る。
国王も修道院長も、どのタイミングで自分を殺そうとしているのか、何に使おうとしているのかと気にならないでもない。
でもそんなことは、必要があればミケーレが話してくれるのだろうと今は思えた。
ヴィオレッタは閉じられた院長室の扉に彫られた神の姿から、窓の外に目を向ける。以前促されて踏んだ外の世界を、今度は自分の意志で踏みたい。
あの日結局、ヴィオレッタは偽名の神殿騎士の手を取って、共犯者になることを決めたのだ。
(裏切られて絶望が待っているのだとしたって、少しでも可能性の高い方に賭けた方がいいじゃない?)
***
三度目の告解、最後の聞き取りの日にミケーレが訪れて免罪書の確認を済ませてすぐ、ヴィオレッタは自分のコップに水を注いで飲み干した。
「……何かあった?」
「言いたいことは色々あるけど、あなたの方は?」
「気になるけど……毒の正体が分かったよ。無味無臭じゃなくて、味があった。正確に言えば毒の味じゃないんだけどね」
ヴィオレッタが沈黙で続きを促せば、ミケーレは口元を僅かに歪めながら、
「お母さんの遺言に、養蜂場って書いてあったよね。毒花の蜜には毒が残ることがある――ミツバチに毒を造らせてたんだね」
毒物というのは特定の生物にとっての毒であり、全ての生物にとって毒というわけではない。
「……確かに、それなら蜂蜜の味」
「相当甘いようだけど証人は生きてないから実際はどうなんだろうね」
「口にした途端に毒と判るような、苦みはないはず」
「うん、ワインに入れたりもしていたみたいだし。
……おかげで修道院をどう扱うかの目途がついたよ。これで後は最後の面会の日に君に脱出の計画を話すだけだよ」
微笑むミケーレに、ヴィオレッタは緩くかぶりを振った。
「そうはいかないかも。……国王の命令で隣国の領主に嫁ぐようにと、院長に言われた」
「ああ、うん。それが気になってた?」
「確定したって知ってたの?」
「まあ……昨日辺りに王都から使いが来たからね。王国の兵士から一応『護衛』を出すらしい。
それで、ヴィオはどうしたいの」
崩れない微笑の完璧さにヴィオレッタが苛立ちを感じたのは、はしごを外されるように感じるからなのだろうか。
「この前、あなたが『単純に人質で負けが見えてる賭け』と言った。
あれだけ助けるとか、殺されてほしいとか好き勝手言っておいて、今更意思を確認するとか……ミケーレは、どう思っているの?」
「最終的な選択権は君にあるから、一応聞いておこうと思ったんだよ。僕としては……」
そう言って、彼は笑みを深めてから、一息に。
「……あの愚王の命にヴィオが従う必要ないし、ヴィオが知らない男の嫁に行くとか無理だし、知ってる男でも無理だし、どうしても好きな相手だから行きたいってヴィオ自身が僕を三日三晩くらい説得しない限りは認めるつもりはないんだけど」
(それは殆ど反対なのでは?)
ヴィオレッタは、先程までの余裕ありげな様子と打って変わった勢いに面食らいつつ、一応、意思を尊重してくれたのだといい方に受け取ることにした。
「本音を言えば」
「これ以上何か?」
「君が行くって言っても、何度も何度も何度も頭の中で計画を潰す予行演習をしてきたけど……ロランドから、あんまり正直だとヴィオが怖がるって言われてね」
「……そう。私はあなたの計画に乗ると決めたし、結婚はしたくない」
手紙からも解っていたが、義兄はまともな感覚の人物なようだ、と少しほっとする。
「それならヴィオ。何があっても君をここから逃がすよ。信じて」
机の上に置いたままの手に、彼女より一回り、いや二回り以上は大きな手のひらを重ねられる。鍛えられて節だった手は見た目よりもずっと硬くて、多分ずっと剣を握ってきて――彫像みたいな見た目のくせに想像より温かい。
(私の方が、余程人形みたい)
ヴィオレッタは自身がここで過ごしてきた日々を想った。彼が外でずっと努力していた間、彼女は漫然と生きて来ただけだ。
「……私やっぱり、あなたがなんで私なんかを助けてくれるのか理解できない」
「うん。約束通り、今日はその話をしよう。メモを取って、君に免罪書に綴って欲しい」
ヴィオレッタは離れていく手のひらを何故か名残惜しく思いながら、羽ペンを取った。
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