第11話 新月の夜の誘い
「……どうやってここまで来たの」
眠る前の祈りの時間の後、ヴィオレッタが写字塔の5階に蝋燭を立ててから階下に羽織り物を探しに降りたものの数分の間に。
閉めていたはずの硝子戸が開け放たれていたことに気付いた彼女が近づけば、そこにはミケーレが立っていた。
「愛があればどんな障害でも乗り越えられると思わない? 都合よく新月の闇に紛れて外壁を登る……とか?」
「全くもって思わない」
「あえて言うなら笑顔かなあ。世間では髪色のせいで月光の騎士なんて呼ばれてるらしいよ」
ウインクしてみせるミケーレは嫌になるほど様になっている。
(これが手段って……)
自分が同じことをしても半目のカエルに見えるだろう、と彼女は自身を評した。
「本当にちょっと、笑いかけてお願いしただけだよ。言っておくけど理由なく誰にでもするわけじゃないよ。本当は、ヴィオを閉じ込めることに加担するような奴ら……」
瞳に一瞬憤怒がちらついたような気がしたが、ヴィオレッタが瞬きをした時には見間違いかと思うように消え去ってしまっていた。
「ところでヴィオ、 ベランダに鍵は付けなかったの?」
「悪魔の誘惑には勝ったから、平気」
こともなげにヴィオレッタは言ってみたが、思いとどまらせた理由の一つがミケーレの言葉であったことは黙っておくことにした。
「それなら、うん、本当に良かった」
「それより答えて。あなたがなにを考えているのか、どうして私に生きて欲しいか」
一歩近づけば、ミケーレの背後に新月の闇が広がっている。
砕いたオパールを撒き散らしたような星々の光を受けて、彼の銀の髪は、自ら光り輝いているようにすら見えた。
外壁を登ったなんて冗談ももしかしたら本当だったのだろうかと思わせる、薄いチュニックと、その麻布越しにでも判るしなやかな筋肉は今までの鍛錬を物語っていた。
「……そうだね、そういう約束だったね」
濃い
ヴィオレッタは息を呑んだ。
彼の美しさだけが理由ではなく、何故か懐かしさを感じている自分自身に。
(……この瞳を、私はどこかで見たことがある。どこで……?)
ヴィオレッタが記憶の深いところを探る前に、彼は目元を綻ばせた。
そして薄くて形の良い唇が、まるで愛の言葉を囁くような甘い声を、夜の闇とバルコニーから続く写字塔の小部屋に響かせた。
「僕は二か月後に死ぬ。そして君はその二日後、僕に殺されるんだよ」
「……どうして」
張り付いた喉からようやく出た小さな問いかけをミケーレは聞き逃さなかったが、それでも彼女の欲しい答えではなかった。
「これは願いで、祈りだ。だから今死んでは駄目だよ、ヴィオ。僕の唯一、僕の金星、僕の女神。どうか生きて、」
美しく儚げな顔立ちと雰囲気。切なげな声と眼差しはどこまでも甘くて、ヴィオレッタは目が逸らせなかった。
そして彼はどんな残酷な懇願でも注がれるままに飲み干してしまいそうなくらい、甘く続けた。
「必ず僕の死の二日後に殺されて欲しい」
(こんな美しさは、ある種の暴力)
たとえ偽の歴史を綴ることがあるにせよ、写本技師として美の徒従でもあるヴィオレッタにとって、彼の懇願は抗いがたいものだった。
それでもヴィオレッタは頭に浮かぶ疑問をひとつひとつ整理しながら問いかける。
「説明になってない。わけが分からない。
言葉通りに受け取ったとして、あなたは免罪書を誰かに渡して死ぬつもり? 死んだあなたが私を殺せるの? 殺されるというのは、言葉通り私に死ねということ?」
「ヴィオ、質問は一回につき一つに……」
「だって、何も教えてくれないから! 理解してもらいたいなら、もっと! 平板な言葉で!」
散々もったいぶって来たミケーレに対して鬱憤をぶつけたヴィオレッタの、その気迫に気圧されたように目を丸くするミケーレはやはり美しくて、それが彼女を余計苛立たせた。
「……うん、ごめん。僕が悪かった」
「そうでしょう」
「僕がどうして君を助けたいかは、おいおい……いや、睨まないで。次回に話すとして。
そうだね……死ぬ、というのは肉体がじゃなくて……肉体も含まれるかもしれないけど」
ヴィオレッタの視線が鋭くなったので、ミケーレは苦笑を浮かべた。
「二か月後、国境との小競り合いにこの修道院が巻き込まれる――これは決まってる」
「決まってる……?」
「国王が追加で派兵した。といっても最近無茶しすぎたせいで国王の求心力に陰りが出ててね、被害が大きくなるのが望ましくない。
だからその前に和平の使者とかで、君をあちらに送ろうという意見も出ている。単純に人質だし、そんなので相手が手打ちにするとは思えない、馬鹿々々しくて負けが見えてる賭けだよ。当然上手くいかなければ君はどちらかに殺される」
「……」
「それに間に合うよう、戦闘の指揮を執りに第二王子のエドアルドがここに来る。彼はこの修道院を戦火に巻き込むつもりだ。
僕はその作戦に従事する予定なんだ。上手くいけば、某領主の第二子にして神殿騎士のシルヴェストリという存在は死に、上手くいかなければ本当に死ぬ」
そう語る彼は微笑んでいて――何故笑っているのだろう、とヴィオレッタは思った。
「君は僕がそうして消えた二日後、どちらにせよ僕に殺される――ヴィオレッタ・オルシーニという存在をね」
「存在?」
「僕は王子と取引をしたんだ。難しい作戦を成功させる代わりに仮死状態になる薬が欲しい、ってね。
どのタイミングであれ、君は『死体』になって修道院から運ばれて捨てられる手筈になってる。そこを王子に回収されて、王子派に通じたロランドと再会できる」
ヴィオレッタは喉を鳴らした。
それではまるで、彼女を助ける引き換えに――。
「そんな薬を飲むんだから、君には勇気のいる決断だと思う。
僕は今まで君を支えてきたもの――同時に逃げたくないと言い出す理由が、君の、お母さんへの想いだと思った。
それを捨てさせるなんてできればしたくなかった。だけどそれがある限り、生きていると思う限り、君はここから出られない」
「……それは、正しいと思う」
「それにロランドとオルシーニの全面的な協力――国王に逆らわせるリスクを取らせるにもそれは必要だった。
だから最初に、君にお母さんが本当に生きているのか確かめてもらいたかった。
第二王子への交渉材料にもなるからね。
そしてお母さんの残したものは、想像以上だった」
「黒いベラドンナと、毒が?」
「タネの割れた手品は怖くないんだよ、ヴィオ」
国王の悪事の証拠と、そして手段不明の暗殺の、毒の正体が分かるとなれば恐怖での支配も終わりに近いだろうと、ミケーレは続けた。
そして彼女に握手を求めるように手を伸ばす。
「ヴィオ、いい? 第二王子はこの修道院の件を踏み台にして、国王を玉座から引きずり下ろすつもりだ。
君には生きて欲しい。そして叶うならこの腐った国を終わらせるための、共犯者になって」
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