第73話 次期当主

 研究施設に入った瞬間、妙な感覚に襲われました。


 寒気――ですかね? 風邪でなければよいのですが!


 中は長い通路。床には赤いカーペット、そして白い壁が目につき、黒い戸がいくつもありました。


 通路には誰一人おらず、奥の扉が開いております。私たちは前へ向かって歩き、開かれた扉をくぐり抜けました。


 匂い。


 そう――嫌な匂いがしました。


 私はこの匂いを知っているような気がします。


 広い部屋。


 入った場所はとても広く、天井が高くなっております。見上げると、たくさんの明るい光で目が眩みました。


 足元には幅5mほどの赤いカーペットで道ができており、その先にニーナ様たちの背中が見え――数人の男性たちと向き合っておられます。そこは部屋のちょうど真ん中で、赤い道がクロスしています。


 お嬢様が突然、フードを外しました。他の皆様もそのようにしていたため、私も慌てて頭からフードを外します。


 道の両端には太い柱が何本もそびえ立っており、その奥には巨大なフラスコが列をつくっています。泡がぶくぶくと浮かび、何故か人形さんが何体も沈んでいたり、浮かんでいたりもしました。

 

 たくさんの種類の動物さんたちが、剥製? らしき形で並んでいるのも――どこか不気味さを感じてしまいます。


 私はびくびくしていたのですが、お嬢様は特に気にした風もなく私の手を引っ張られ、ニーナ様たちから離れた場所で足を止められました。そして、私の手を離されますと、杖を取り出します。空いた手で少しだけ私を後ろに下がらせますと、足を一歩前へと動かされました。


 ふと、目についてしまいます。


 奥の方で、白衣を着た人が倒れていました。


「リッカ!」


 前に出た私は――お嬢様に手を掴まれてしまいます。


「何を、するつもり?」

「え? あ――その、倒れている人がいたものですから」

「大丈夫よ、ただ寝ているだけだから」

「え?」


 何故、あんな地べたで寝ているのでしょうか?

 

「私が信じられないの?」


 お嬢様から睨まれてしまいました。


「い、いえ、そんな――滅相もありません!」

「では、大人しく後ろにさがっていなさい」


 不覚であります。


 お嬢様に叱られてしまうとは。


 私はトボトボと、後ろへと引き下がるのでありました……。


「教会の人間だけでなく、薄汚いな人間まで連れて――何をお考えなのでしょうかな? ニーナ様」


 一番手前にいる、茶色い短髪で髭を生やされた50代ぐらいのおじさん――いえ、おじ様が口を開かれました。後ろの5名は皆同じシンプルな白衣を着ておりますが、彼だけは立派な衣装です。紺色の衣装で、複雑な刺繍がされておりました。


「この女の暴行をわざわざ止めて上げたんだから、まずは感謝するべきなんじゃないの?」

「勘違いしないでください」


 と、ノエルさんはニーナ様に対して言いました。


「……何が?」 

「私は何も、あなたによって止められたわけではありません。あなたのお願いを、私の慈悲の心により――自らの意思で止めてあげたのです」

「あー、それはどうも」

「? あまり、感謝の心を感じませんが?」

「悪いんだけど、慈悲の心でもう少しだけ黙っていてくれる?」

「仕方ありませんね、もう少しだけですよ?」


 ニーナ様は、おじ様の方へと視線を戻されました。


「もう一度、尋ねてあげる。ガーラン――あんたたちは、ここで何をしてんのかしら?」

「……」

「何よ、後ろで伸びている奴みたいに殴られたいわけ? 後ろに控えているこいつに」


 おじ様――いえ、ガーラン様が笑いだします。


「何?」


 ニーナ様の声は不機嫌そうです。


「殺りますか?」


 ノエルさんは拳をつくり、素早く何度もストレートパンチを繰り出します。


「……気持ちは分かるけど、少し待ちなさい」

「お預けですか」

「お預けね」

「そうですか、それならば仕方がありません」


 ノエルさんは大人しく、腕を下ろしました。


「……馬鹿にされているのですかな?」

「先に馬鹿にしたのは、あんたの方でしょ?」

「そんなつもりはなかったのですがねぇ――それより、ニーナ様はまるでこちらが悪いかのようにおっしゃる。それが私の勘違いであればよろしいのですが」

「そんなの当然、私はあんたらを悪と決めつけている。それはあんたらの行いのせいよ」

「これはまた手厳しい」


 ガーラン様は額に手を当て、くくく、と小さく笑われました。


「あんたたちが来てから、クレイワース家はおかしくなった。何もかも」

「それは、ニーナ様とあなたの御母上の中だけの話ではないのですかな?」 

「私はまだ――あんたたちがネーヴェにしたことを、許してはいないのよ」

「まだ言っているのですか?」

 

 ガーラン様は額から手を離されますと、呆れたような顔をなさいました。


「これは、クレイワース家が正当な金で買い上げた道具ですぞ?」


 そう言って、ネーヴェさんを指差されました。


「それを、お館様がどう扱おうとも、お館様の自由かと思いますが」

「だから、その考えが気に食わないのよ」


 ニーナ様は、吐き捨てるように仰いました。

 

「お館様は、ニーナ様の我儘を聞き入れました。なのにあなたは、感謝するどころか怨みつらみを口にするだけ――あの煩わしい女の子供だけのことはありますなぁ」


 そう言って、ガーラン様が鼻で笑われました。


「止めなさい、ネーヴェ!」


 その言葉で、飛び出しかけた身体が止まります。


「何故、止められるのですか? ニーナ様」

「あんな奴、あんたが殴る価値もないだけよ」

「本当に、口が悪いお人だ。まるで、あの女の生き写しのようではないですかな?」

「悪いけど――それは最高の褒め言葉よ、ガーラン」


 眉を、しかめました。

 

「あなたの御母上は初めから愛されてなどいなかった。お館様が本当に愛されたのは私の大事な愛娘ただ一人だけ。それを妬み、恨んだあなたの御母上は――」

「もういい、余計なことは喋るな」


 そう言って、ニーナ様はガーラン様に杖を向けました。


「お母様はクレイワース家に嫁ぎ、クレイワース家の人間として、最後まで誇りを持ち続けた。ならば私は、次期当主として――その誇りを守るだけよ」

「粋がるなよ小娘が。正統な後継者は我が孫たちだ」

「今だけは――くだらない戯言も聞き流してあげる。だから答えなさい、ガーラン。あんたは、ここでなにをしていた?」


 笑いました。


 大きく、笑われました。

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