第3話 私が婚約?

 朝、ランス様のお見送りが終わり、普段の仕事へと戻りました。

 お嬢様も普段のお嬢様であり、私の心は穏やかです。


 ――それにしても、昨日のお嬢様は一体、何だったのでしょうか?

 まるで、夢でも見ていたようです。

 いや――もしかしたら、本当に夢だったのかもしれません。

 しかし、それを確認する勇気が私にはありません。

 



 一人で廊下を歩いていると、アレックス様が私を見て、軽く手を上げました。


 私は失礼がないよう、気持ちを込めて頭を下げました。


「リッカ、僕たちは家族のようなものだ。そんなに畏まらなくても構わないよ」

「いえ、そう言うわけにはまいりません。皆様への感謝の気持ちが私を畏まらせるのです!」


 そう言って、私は自分の胸を軽く叩きます。


 いつものやり取りで、いつものようにアレックス様には笑っていただけました。


「それにしても何故、ランス様のお見送りに来られなかったのですか?」

「そのほうが、ランスは喜ぶと思ったからね」


 そう言って、アレックス様は悪巧みした子どものように笑いました。


 私は良く分からず、首を傾げてしまいました。


「やはり、リッカはランスの気持ちに気づいていないようだね」

「ランス様のお気持ちですか?」

「ところで、少しだけ時間を貰えないだろうか?」


 そのような申し出は珍しいなぁ、と私は思いました。


 今は休憩時間なので、時間はあります。


「大丈夫です」

「そうか、それなら良かった。少し、込み入った話だから、僕の部屋で少し話をしよう」




 アレックス様は部屋に入ると、お客様が座るソファに私が座るよう促してきました。

 私は躊躇しましたが、アレックス様の笑顔に根負けし、座ってしまいました。


 アレックス様は、テーブルを挟んだ向かい側のソファーに腰掛けると、話始めました。


「すまないね、わざわざわ来てもらって」


 アレックス様は本当に申し訳なさそうな顔をします。


「い、いえ、お気になさらないでください」


 私は慌てて手を振りました。


「そう言って貰えると、助かるよ」


 そう言ったあと、アレックス様は急に真面目な顔になりました。


「リッカは、ランスのことをどう思う?」

「どう――とは?」


 質問の意図が分からず、私は戸惑ってしまいます。


「難しく考えず、思いつくまま答えて欲しい。ランスを見て、どのような人物だと思っている?」


 少し考えかけたところで、思考を止めました。だって、難しく考えず、思ったまま答えてほしいと言われたのですから。


「ランス様は、お美しくお優しい方だと思っています」

「つまり、悪くは思っていないということだね」

「当たり前です。あの人を悪く思う人などいないと思いますよ?」


 一瞬――お嬢様の顔が思い浮かびましたが、すぐに打ち消しました。

 

「あいつは少々、無愛想なところがあるからね。どうしても、怖がられやすいんだよ。特に、女子にはね」

「そうなのですか? 確かに、口数は少ないですけど、周りに気を使い、他人を思いやれる方だと思いますが」


 私の言葉を聞き、アレックス様は笑います。


「なるほど、確かにあいつの言うとおりだな」


 なぜ急に笑い出したのかが分からず、私は戸惑ってしまいました。


「ああ、すまない。気にしないでくれ。あいつは分かりづらいから、そのように理解してくれる人間は中々に珍しくてね。大抵の人間は、あいつがいつも怒っていると勘違いする」

「は、はぁ」


 よく分かっていないのですが、取り敢えず頷いて対応することにしました。


「友達贔屓だと思われるかもしれないが、あいつは本当にいい奴だと思うよ。家柄もよく、顔もいいし、仕事もできる。剣や魔法の実力も申し分ないし、男気もある。そして何より、一途だ。彼は女性を幸せにできるものをほとんど持っていると思うよ」

「そうですね。ランス様と結婚できる女性は幸せものだと思います」


 私がそう言うと、アレックス様はとてもお喜びになられました。


「リッカ、それは本当かい!?」

「え? 何がですか?」

「ランスと結婚できる女性は、幸せものだと言うところさ」

「はい、本当ですよ」


 とは言え、お嬢様がランス様の元へ嫁ぐことを想像してしまうと、何か――嫌な感情が湧き上がります。

 

「そうか、それは本当に良かった!」


 アレックス様は本当に嬉しそうだ。本当に、ランス様のことが好きなのだなぁーと思い、微笑ましい気持ちとなりました。


「それでは、君がその幸せな女性になるつもりはないか?」


 頭が真っ白となりました。アレックス様の言葉を理解できながら、理解ができていない――そんな、不思議な感覚。


「リッカ」


 アレックス様は、優しげに私の名前を呼びます。


「――君は、ランスと結婚したいと思うかい?」

「そ、それは――私の気持ちひとつで決まる話ではないかと、思います。ランス様は、私と結婚したいなどと、そのようなことは思わないはずです」

「これは、僕が勝手に言っていることではないよ。前から、ランスに言われていたんだ。君に婚約を申し込んでもいいか――とね」


 あ、頭が、ついていけません。


「ランスは直接、君に伝えたかったみたいだが、僕の独断でそれは止めたんだ。もしも、ランスから直接言われたなら、君は断りたくても――断れなくなる可能性があると、僕は考えたからね」

「ラ、ランス様は、本当に私のことなんかが好きなのでしょうか? とても、信じられないのですが……」


 私がそう言うと、アレックス様は大声で笑い出しました。


「この屋敷で、ランスの気持ちに気づいていないものなど、君ぐらいなものだよ。ランスには申し訳ないが、あんなのはバレバレだね。本人は、上手く隠していたつもりだったみたいけど」

「お、お嬢様も、知ってらっしゃるんですか?」

「当然だよ。だから、アリーシャはランスを嫌っているんだ」


 本当に、私ひとりだけが知らなかった?

 そして、ランス様は本当に――私なんかを好きなのだろうか?

 そして何より――ランス様が私を好きだと、何故お嬢様は嫌うようになるのでしょうか? その理由が、私には分かりません。


「一応、言っておくけど、アリーシャのことは気にしなくてもいい。君が結婚すると知れば泣きわめくかもしれないが、それは一時の問題だ。そんなもののために、自分の幸せを犠牲にする必要などないよ。君は君の幸せのことだけを考えるべきだ」

「……」


 私の視線は下がります。膝の上に乗せた手が――震えているのが分かります。


「僕はランスのことを友達として、大事に思っているけど、君のことは家族として、本当に大切に思っている。だから、アリーシャのせいでランスを選ばないという選択はして欲しくないし、僕のせいでランスを選ぶ――という選択もして欲しくない」


 分かりません。


 自分のことなのに。


 どうするべきなのかが――分かりません。


「リッカ、この選択は君の人生を左右する。だから、今すぐに決めることではない。あいつなら、何年でも待つだろうしね」


 そう言って、アレックス様は笑います。


「まあ、それは流石に冗談だが、一度、アリーシャには相談してもいいかもしれないね。もし文句を言うようなら僕がなんとかするよ」

「わ、分かりました」

「取り敢えず今日はここまでにしよう。悪かったね。長いこと拘束してしまって」


 そう言って、アレックス様は席から立ち上がります。


「い、いえ、お気になさらないでください」


 私が腰を上げると、アレックス様は歩き出し、私のために部屋の扉を開けてくれました。


「ありがとうございます」


 私の言葉に笑顔で応えてくれます。


 私は部屋を出て、しばらく放心しながら廊下を歩くこととなりました。

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